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教諭

平成30年1月1日 願譽唯眞

 宗祖法然上人には沢山のお言葉(ご法話)が残されていますが、中でも有名なご法語が『一枚起請文』と『一紙小消息』の二つであります。その『一紙小消息』の一節に
 十方に浄土多けれど、西方を願うは、十悪五逆の衆生の生まるる故なり
と仰せであります。
 東西南北四維上下に、数知れぬ多くのみ仏が、それぞれの国土(お浄土)を構えておられる中に、ひときわ有名なお浄土が、西方にある阿弥陀如来さまの「極楽浄土」であります。今から十劫という遠い昔、永くきびしいご修行の結果、その酬いとして一切衆生のためにお建てくださったのが、この西方極楽浄土でありました。そのお浄土が、他の仏国土と異なるのは、十悪五逆ほどの大悪人でも、我が名を呼ぶ者は、必ず済い取るという阿弥陀ほとけの誓いが成就されて建てられた国土であるという点にあります。それを我々衆生の側から申せば「所求の土」(求めるところのお国)といただくのであります。
 実際のところ振り返って我が身を思う時、まことに恥ずかしい凡夫であることに愕然といたします。因縁ととのわず刑務所に行かないだけで、ものの生命を取る殺生罪をはじめ、はては五逆の大罪をも犯し兼ねない大悪人とは、私のことであると気付く時、お浄土の存在がまことに尊く、また身近に戴けるのであります。お経さまに、お浄土は〈十万億土の仏土を過ぎた遥か向こう〉とも説かれ、また〈ここを去ること遠からず〉とも説かれています。これは矛盾するようですが、どちらも正しいと思います。わが罪に気付かず、懺悔の念もなく、み仏のお慈悲をいただけない者にはお浄土は遠く、我が身の罪障におののき、み仏のご本願の真実に目覚めた者には「去此不遠」の経文が素直に喜べるのです。まことにお浄土は「弾指」の一瞬、即得往生の益を蒙るのであります。西方極楽浄土への憧れは、やがて「阿弥陀浄土変相図」のような曼陀羅を画くようになります。中国の善導大師などもこの変相図を画くこと三百舗に及んだといわれており、日本でも有名な「當麻曼陀羅」や「智光曼陀羅」「清海曼陀羅」などが作られ、当時の人々のお浄土への想いが偲ばれます。
 また西方浄土へのつよい憧れは「日想観」の修行でも知られます。法然上人も四天王寺西門の辺りでこの観法をされたと伝えられています。私たちは西空に真っ赤な、大きな太鼓のような夕日が沈んでゆく、その彼方に阿弥陀仏のお浄土を拝み、同信の肉親・縁者との「俱会一処」の歓びを実感するのであります。
  愛宕山 入る陽のごとく あかあかと
           燃やし尽くさん のこれるいのち
 哲学者西田幾太郎博士のお歌でありますが、愛宕山に沈む夕日の向こうに自らの終焉の浄刹を見定め、大いなる歓喜のうちに残るいのちを燃やし尽くそうとされたのではないでしょうか。
 吉水の流れを汲む我々は、お念仏の中で緇素おしなべて一蓮同生の益を蒙るのみならず、個人的な小我小欲を棄て、あかあかと燃える情熱をもって進んで全人類の幸福・全世界の一大福祉の為に貢献しようという大誓願を持たねばなりません。その道こそ「四弘誓願」の菩薩道にも通じるものであり、浄土宗が二十一世紀劈頭に宣言した「社会に慈しみを 世界に共生を」という精神に外ならないのであります。
合 掌
平成30年1月1日

浄土門主 願譽唯眞