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教諭

平成29年1月1日 願譽唯眞

浄土宗では、平成三十六年(二〇二四)に開宗八百五十年の嘉辰を迎えます。浄土宗の開宗、それは承安五年(一一七五)春、善導大師『観経疏』の「一心専念弥陀名号……」の文によって回心された宗祖の一大宗教改革であり、『勅修御伝』にて、
我、浄土宗を立つる心は、の報土に生まるることを示さむためなり。
と述べられていることは皆さま周知のとおりであります。凡夫とは日々、貪・瞋・痴の三毒の煩悩にまみれて暮らす自力開悟の望みなき我々のことです。この救われがたい人間の性を法然上人は二十四歳にして、しっかり自覚されました。
叡空上人のもとで厳しい修行を終えられた法然上人は、ひとまず山を下りて京の都に立たれます。そこで目にされた動乱は、「保元の乱」でありました。それは肉親同士が相争う戦いでした。天皇家は崇徳上皇対後白河天皇、摂関家は頼長対忠通、平家は忠正対清盛、源氏は為義対義朝、まこと兄弟、叔父・甥、親子が殺し合う醜い争いです。叡山でも別所という清閑の地に、浮生の煩わしさから離れ、一種の無菌状態の世界に育った法然上人は、この現実の醜い社会に、どれ程か驚かれたに違いありません。しかしこれがこの世の偽りのない姿です。
幼い時父と死別した法然上人、兄弟もない天涯孤独の身には、肉親同士が何故争うのか理解できなかったと思います。「私なら絶対争わなかったろうに……」、法然上人はそう思われたに違いありません。
嵯峨清凉寺釈迦堂に参籠された時も、聞こえてくるのは、人々の愁嘆の声でした。お灯明のうす明かりのなかから、「どうぞ、戦さのございませんように」、「どうぞ、あしたの食べ物がありますように」、「どうぞ、わるい病の流行りませんように」、「どうぞ、地震や洪水のありませんように」、……と祈る庶民の声に法然上人は愕然とされます。それは鴨長明の『方丈記』で想像のつく、この世の地獄を嘆く呟きでした。
「学問もなく、難しい修行もできぬこの人々を救うには、どうすれば良いのか」、「今までの私の修行は何だったのか」。……法然上人は再び報恩蔵に籠られます。
四十三歳の立教開宗に先立つ最初の回心がまずここにあったと戴きます。
人間ほど愚かなものはありません。お経に「一人一日のうちに八億四千の念あり。念々の中の所作みな三途の業なり」とあります。刹那刹那のおもい・行いがみな地獄道・餓鬼道・畜生道に堕ちても不思議でない程の恥ずかしい自分であることに気付かせていただくのもお念仏の功徳であります。
浄土は報土と申して、阿弥陀仏が我々衆生を救うために兆載永劫という永い時間ご修行くださった報いとしてお建てくだされ、我々凡夫をお迎えくださる楽土です。
膨大な一切経の中から凡夫往生のために「浄土三部経」を撰び取り、数ある論疏の中から、『観経疏』、なかんずく「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念々不捨者是名正定之業 順彼仏願故」の一文を肝要とお示しくださった宗祖法然上人の祖徳に報いるためにも、お念仏のなかに謹んで開宗八百五十年の聖辰をお待ち受けしたいものであります。                     合 掌
平成二十九年一月一日
浄土門主 願譽唯眞