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教諭

平成17年4月1日 心誉康隆

法然上人は、それまでの南都北嶺の仏教が、学問や今生での覚りを求める仏教であるのに対し、称名念仏の一法一行によって、大衆がひとしく救済される万民平等往生の仏教を創唱され、日本仏教を大きく展開された。
それは、劣機の行とされていた称名念仏を、阿弥陀仏が本願力によって約束された往生を誓約された行であり、更に阿弥陀仏、釈迦牟尼仏、六方諸仏が推賞選択された尊い勝行であることを表明されたのである。まさに、知恵を極める仏教より、自己反省を基とする信仰の仏教の提唱という、新しい価値の発見であった。
かかる勝れた易修の念仏の教えは、社会不安に悩む各階層の人々にひろく受け入れられたが、反面、厳しい批判と弾圧を受け、上人は晩年四国へ流罪となった。その時、上人は念仏の興行を止めるべきと勧める弟子の言葉に、「我、たとい死刑に行わるとも、この事言わずばあるべからず」と語り、たとえどんなことがあっても本願念仏の教えを説かねばならぬという、強い意思を示されたのである。
法然上人の八百年大遠忌を迎えるにあたり、われら宗門人はこの上人の強い意思を範として、紛争、戦争、凶悪犯罪の多発など、今日の昏迷した社会の人々を導くべく、念仏弘通への道に邁進されんことを願うものである。

平成17年4月1日
浄土門主 心誉康隆