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教諭

昭和63年4月1日 明誉實應

人は、確乎不動のよりどころに根差さなければ、心身のやすらぎを得ることができないまま、毀誉褒貶の渦まきに流されて、死生に煩いながら自分はもとより、他人に対しても貪瞋による汚染をくりかえし、ついに水火の二河に堕する外ありません。
しかるに、わが大師宗祖法然上人は、大悲願王阿弥陀仏の本願、釈迦牟尼如来の出世の本懐、六方恒沙諸佛の証誠たる選択本願念佛を明らかにし、「源空はすでに得たる心地にて念仏は申すなり」(『常に仰られける御詞』)と称名念仏の一行に徹して、往生極楽に決定の確信を得られると共に、「生死ともにわづらひなし」(『常に仰られける御詞』)との心境に達せられました。
私たち吉水の流れを汲む教師は、こぞって大師のこの尊い行実を、信行策励の範と仰いで、自行に一層精進して大師の慈恩に添えたてまつり、その弘通につくすことが期待されているのであります。 三上人の御遠忌を奉修いたし、第二祖辨阿上人、第三祖然阿上人、祖廟復興の源智上人の業績に多くのことを学ぶと共に、主義・思想の百花斉放する現状を熟思いたしますに、自行はもとよりのことではありますが、とくに化他にいたっては、念仏往生の道理をしかとわきまえ、心得て置かなければなりません。
異解異行の人による折伏を断ち截るすべもなく敗退したり、あるいは、懐疑・未信の人たちに対して、道理をつくして納得させることができないのでは、自信教人信の実をあげることは到底不可能なわけであります。「念仏往生の旨を知らざらん程は、これを学ぶべし」(『法然上人伝記』一期物語所収)との大師のおことばは、自行化他をとおしての教示であると受けとめ、二十一世紀を荷負う人たちの心中に、宗祖大師のみ心、阿弥陀如来の本願の聖意を下種することに、最大の努力を傾注いたして、吉水の法燈のいよいよの隆昌に資したいと存ずる次第であります。

昭和63年4月1日
浄土門主 明誉實應