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教諭

平成12年4月1日 心誉康隆

「19世紀の問題は、神が死んだということにあった。21世紀のそれは、人が死んだということにあるのである。」と社会心理学者エーリッヒ・フロムは、その著『基督のドグマ』(邦訳『革命的人間』)の中で述べています。今や人々は押し並べて「市場的」即ち取引的志向(心構え)に禍いされて、誰もが分裂的自己疎外の危機に陥っていると警告し、今こそ「人間らしさ」を取り戻す必要があると説いています。ところで、彼のいう「人間らしさ」の恢復とは、取りも直さず、十九世紀に死んだ神と、20世紀に死んだ人間との同時復活でなくてはなりますまい。それこそは、大乗仏教が久しく説き続けてきた「全ての人はみな佛のひとり子」との信仰を確立することにほかならないのであります。
教祖釈尊は生後7日にして母公を失ない叔母君の手で育てられたが、父王浄飯王の名で知られる如く、農耕民族・稲作民族の家庭教育で育ち、従弟の提婆のいじめで人生の四苦八苦を悩み、六カ年間難行苦行をし、遂に自力による苦行では真の生命の実相を覚り得ぬと知り、村娘のスジャータの捧げた乳粥で気力を恢復されて、尼連禅河で沐浴して、対岸のピッパラ樹即ち菩提樹下の金剛宝座で禅定に入られて仏知見を開かれ、師走八日の暁方近い夜空に瞬く星々を仰がれて思わず「南無無量仏」と伏して拝まれ「甘露(不死)の門は開かれた。生ある者は聞け」と叫ばれ、「あたかも暗き部屋にともし火を導き入れて生ある者は見よ」との如くに、この大いなる生命の実相を説かれ、80歳の生涯を伝道一途の行脚で過ごされたのであります。
2,3世紀頃南天竺の龍樹菩薩は『智度論』でこの念仏を易行道として不離仏値遇仏の念仏三昧を説かれ、5世紀頃世親は『往生論』で五念門等の教相を整え、6世紀初頭菩提流支から受法した曇鸞は『論註』で総相別相の念仏を分別し、それを六師の相承から継いだ道綽が玄忠寺で聖浄二門を別けて小豆念仏を修し、その直門の善導大師が終南山で三昧発得され古今揩定の書『観経疏』を書かれ、我等が宗祖法然上人はその「故の文」に依て弥陀一仏の大慈悲心を選び取って、承安五年春三月、四十三歳を期して洛東吉水の地で万機普益の浄土宗を開かれ、「我死刑に遭うともこのこと言わずんばあるべからず」と八十歳の生涯を念仏弘通に努められたのであります。
その宗祖法然上人の800年遠忌も後僅かに迫り、しかも今や新たなミレニアム(1000年紀)を迎えて流通通商交通のグローバル時代を迎え、地球家族・宇宙ファミリー時代に入り、人々の心もまた世界的交流時代の夜明けを迎え始めているのであります。西欧各地に禅ブーム・密教ブームも興り、やがて念仏門に帰入する下地が整えられつつあります。
そして昨秋、バチカンでも宗教サミットが催されて諸宗教の対話と交流が祈られたのであります。このような時世を迎え、今こそ私たちは、宗祖法然上人の唱えた万機普益のみ心を汲んで、大いに東西の文明と宗教との間に、新たな「黄金の架け橋」を築くことが大切であると存じます。
どうか皆さま、宗祖法然上人のみ心を汲んで、今こそ念仏門の弘通に努めて、輝かしい人類の「黄金の架け橋」を構築してくださるよう念願して止みません。

平成12年4月1日
浄土門主 心誉康隆
合掌和南