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教諭
平成11年4月1日 心誉康隆
念仏の心
我が身は我が物乍ら我が物ではない、誰も呼吸を停めたり内臓の働きを停めることは出来ない。それらは親からの頂き物、その親とても同じこと。こうして親から親と辿ってゆけば、結局全ての生命の総親様の無量寿の全てを生かす働き、無量光の全てを育くむ働きという本願業力の力を我が身の「生命の保全と拡充」という二大本能として授かっていたからに外ならない。いわば我々は全て我々が生命の大御親と仰ぐ弥陀仏の愛し児に外ならなかったのである。
その昔釈尊が開かれた正覚も亦た、この天地一切の生命力によって生かされつつある実相への開眼に外ならなかったのであった。その時釈尊は暁方近い夜空に瞬く星々を眺められて、思わず南無無量佛と伏し拝まれた。そして「甘露(不死)の門は開かれた。生ある者は聞け!」と叫ばれたという。
その心を宗祖は遍ねく照らす月影に、弥陀一仏の大慈悲心と汲み取られて選択本願念仏義の浄土宗を開かれ、軈て選択集を撰述して茲に八百一年の春。正しく全宗徒の新生第一春と仰いで、その教えを人から人にとお手次ぎして、間もなく迎える八百年遠忌に向けて全宗門一丸となって、全国津々浦々に念仏の響を轟かせて頂きたい。それこそが我等の使命であり、祖師報恩の道に外ならないであろう。
「唯だ常に念仏せよとのたまいし
祖師の訓しに泪こぼるる」
平成11年4月1日
浄土門主 心誉康隆
至念至念 合掌和南