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教諭
平成23年1月1日 願譽唯眞
法然上人八百年大遠忌ご正当の聖辰となりました。
いうまでもなく、浄土念仏の法水を掬いとって口にすることができるのも、水流の源にまします祖師、法然上人のお陰であります。
上人の示寂直後、廟堂で修された『知恩講』では、そのご生涯の教化を「本願興行」「専修正行」「決定往生」などの諸徳にまとめて讃え、「滅後利物」の法恩に浴せる鴻恩を謝したのであります。そして祖師の本懐に順うべく、自らの信仰を振起させたのでした。
大永の御忌鳳詔には、「朕聞く、流派を挹む者は緬にその源を尋ね、枝葉を愛しむ者は力めてその根を培ふと(中略)遺教は海内に布り、属刹は国中に徧し。苟しくもその末流たる者、いずくんぞ本源を忘るべけん乎」とあります。法然上人を仰ぎ、弥陀の本願を信じ、念仏をとなえるもの、皆ひとしく尋源培根の精神を持ちたく思います。
「法然上人は<化物(物=衆生)を以て心と為し、利生を以て先と為す>とされたご生涯であった」と、源智上人はのべられています(源智阿弥陀如来造立願文)。源智上人は、万民を導き、利することを真っ先に心がけておられた法然上人の恩徳に酬ゆるには、化導を使命とされた師の心を、わが心として念仏教化を果たす以外にないと思念され、念仏結縁運動の結果、あの「凡聖一位」「迷悟一如」の阿弥陀仏像の造立となったのでした。師の教化の実践を継承していった歴史が、浄土宗をして教化者教団たらしめたのであります。八百年大遠忌は浄土宗が大教化宗団として興隆する勝縁と存じます。
そのためにも念仏者は、一念で往生が決定するとの信を確立して、多念の行を励むべきであります。智恵のまなこあるものも、仏を念じなければ願力にかなわず、愚痴の闇深いものも、念仏すれば願力に乗じて往生できるのです。弥陀の大願は一切衆生を対象にし、本願に絶対の信を寄せるならば、皆ひとしく慈光に包まれます。賢愚・男女・道俗等がともに、ただ一向に念仏をとなえることによって、万民平等の宗教世界がひろがります。ここに法然上人の念仏思想の根基があります。全国津々浦々に、お念仏の声を響かせましょう。