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教諭
平成10年4月1日 心誉康隆
小衲の学生時分の恩師松浦一先生は「生まれては野越え山越え旅路ゆく人に賜いしみ仏の杖」と詠まれた。み仏の杖とは、念仏のこと。
またその頃、毎月巣鴨千石町一行院の別時会でお導き頂いた田中木叉先生も「坂三里辛さが楽し里帰り青葉の彼方桃の咲く家」と訓された。
桃の咲く家とは、極楽のこと。四苦八苦の娑婆も極楽帰りの旅路と思えば、どんな苦労も耐え得ようとの心である。無門禅師も無門関四四則に芭蕉柱杖の話を説いて「扶かっては過ぐ断橋の水、伴うては帰る無月の村」と訓された。
宗祖も余事をしつつ念仏すな、念仏しつつ余事をせよと訓されている。あの日本第一号女性宇宙飛行士向井千秋さんは、帰還第一声に一枚の紙の重さに驚かれて私達が、地上で自由自在に暮らせるのも、全く眼に見えぬ 地球の引力のお蔭で何とも有り難いことだと感嘆され、米国の第一号宇宙飛行士も宇宙からみた地球の美しさに神を信じて牧師になられたという。この両名の感得を宇宙大に広げたのが釈尊の正覚であったろうと考えられる。
佛陀伽耶の金剛宝座で釈尊は二千五百年もの昔正覚された時、夜空に輝く星々の瞬き、わけても赤く輝く暁の明星を仰いで、思わず南無無量 仏(なむあみだぶつ)と伏し拝まれたという。我らが宗祖は、父の遺言忘れがたく、善導の「故の文」に啓発されて、遂に遍く照らす月影に弥陀一仏の凡てを救う大慈悲心を拝して高聲念仏されて、浄土宗を開かれたのであった。
本年は、宗祖が『選択集』を著わされて八百年に当たり、全国の寺々で別時会や五重相伝会が開かれることでしょう。皆様も是非それに参加して本願の念仏を選びとられ、人生の坂道や茨道を辿る杖柱として生命綱として、どんな苦難にもめげず、どこまでも極楽を目指して力強く生き抜いて下さいませ。
南無阿弥陀仏。
平成10年4月1日
浄土門主 心誉康隆
合掌和南