2うらみとすべからず
心の方向とは、心のもって行きようである。
佐藤春夫(一八九二~一九六四)の文章に次の一説がある。
一門を狩り立てた源氏と平家とが命がけで権力を争ふに急な、それこそ積極々々の極度に達してゐた世の中で、これ亦世の風潮に見習つて甲冑で身を堅めた山法師や奈良法師がどんな難題を持ちかけようと、果ては遠流の朝命でさへも忝(かたじけな)くお受けしていつも念仏の一点張といふのだから消極的だか積極的だか分つたものではない。或はこれが志賀氏(筆者註 志賀直哉)の所謂「意味のある消極の方がなんぼう積極であるか分らない」もので「意味のある消極」といふものかも知れない。
(「念仏偶記」、『浄土』昭和十一年三月号所収)
つづいて佐藤は、「(念仏)行を徹底的に遂行した上人の態度が言ば、負数の無限大(─∞)みたいなもので消極の積極ともいふべき、不思議な謎のやうなものである」(同)と述べている。言うまでもなく、「遠流の朝命でさへも忝くお受けしていつも念仏の一点張」の人は法然上人のこと。「積極々々の極度に達してゐた世の中」という表現は、昭和十一年の佐藤春夫にとって彼なりの時局観の現れでもあったろう。
今からちょうど八百年前、源平の覇権争いがようやく治まり、政局は鎌倉幕府(源氏・北条)の内紛に移りつつあった。
承元元年(一二〇七)二月、法然上人に四国配流の朝命が下った。この近年、上人の主催する教団の拡大がめざましく、
それとともに旧勢力との軋轢が増していた。
法然上人は、三年前の元久元年(一二〇四)の山門衆徒の攻撃では、『七箇条制誡』を著してわが念仏教団内の規律を糺し、翌年の『興福寺奏状』への対応では弟子の破門すらした。上人は内面に向かって綱紀を粛正することによって、外部圧力との対決を避け、融和を図ったのだった。対応に腐心する法然上人の心がうかがえる。
それが功を奏し、南都北嶺との軋轢もようやく治まりかけ、専修念仏も安心して行えるようになった矢先だった。弟子住蓮と安楽の行状を「悪し様に讒し申す人」があって、後鳥羽院の逆鱗にふれた。何か仕組まれたようすである。
法然上人の一代記『法然上人行状絵図』(『勅修御伝』・知恩院蔵)第三十三巻によると、安楽は後鳥羽院の面前で、誘うように「修行有る者を見ては瞋毒を起こし、方便破壊しては競いて怨みを生ず。……」(聖典六・五三八)と善導大師『法事讃』の一説を誦し、さらに怒りをかうことになったとある。結局「弟子の科」を師匠が一身に受ける形となった。すでに、旧仏教勢力の法然憎しは頂点にあった。言うまでもなく、為に作られた流刑に相違ない。
しかしその時、還俗までさせられても法然上人は遠流の朝命を「忝くお受け」(佐藤春夫)したのだった。
配所に赴くにあたって、弟子の法蓮房は師匠に申し入れた。
一向専修の興行を止むべき由を奏し給いて、内々御化導あるべくや侍らん。
(聖典六・五四三)
専修念仏をやめると、形だけでも朝廷に申し出て、遠流の許しをえて、内々の布教に止めてはと提案したのだった。しかしその時、
流刑さらに恨みとすべからず。 (同)
と、法然上人は内心を吐露したのだ。上人から返ってきた言葉は、
「いやいや、わしはこのたびのことは、うらみと思っていない。いつかは別れなければならないのが、人の身じゃ。いつかは浄土であえるでないか。じつはわしは、長年地方の人々にお念仏をすすめようと思っていた。じゃから、ちょうどよい機会だと思っているのですぞ」(著者意訳)
「わしは、たとえ死刑になっても、お念仏のありがたさを人々に説かないわけにはいかないのじゃ!」(同)
と、ばかりである。
「流刑さらに恨みとすべからず」
うらみをうらみとしない。
ここに法然上人の天資がある。
現実を理解し従順である。考え方が柔らかい。切り替えが早い。しかし決めたこと(真実)は曲げない、ということだろう。(2)
うらまない、あえて反攻しない……この「意味のある消極」こそが法然上人の生涯を通しての真面目である。法然上人を法然上人たらしめている行動だと理解したい。
法然上人のごとく、抑圧を受けても、次の自己の心の外へ向かう力を断ち切ること─これが私たちの現実生活におけるうらみの作用を断ち切る解決を与えてくれるヒントではないか。
志賀直哉や佐藤春夫の言う「意味のある消極」、「負数(まいなす)の無限大(―∞)」、「消極の積極」の態度こそが、現実社会にあって私たちの念仏生活のキーとしてある。うらまない、と強い否定の言葉と意志があってからこそうらみは、はじめて抑止される。言わば否定(消極)の強い意志を私たちは発見するのである。
私たちの実生活に必要なのは、「あえてうらまない」こと、すなわち否定(消極)する強い意志を涵養させることである。「あえてうらまない」抑止行動は、消極ながらも、主体性の強い言葉としてあらためて理解されるのである。
さて私たちは、抑止行動が法然上人の子ども時代にすでに発現されているのを見ることができる。