4うらみを消すのは自分の意志


 森三樹三郎著『「名」と「恥」の文化』(講談社)によると、古来中国思想では、うらみの解消には二つの系統があるという。
 「怨みに報ゆるに徳をもってす」という老子の言葉の思想と、いっぽう孔子の「直(正当な道)をもって怨みに報い、徳をもって徳に報いん」(『論語』憲問編)と応報の理屈による思想である。
 現実には、後者の教えが主流で、『礼記』(表記編)に「子曰わく、徳をもって徳に報ゆれば、則ち民は勧む所あり。怨みをもって怨みに報ゆれば、則ち民は懲る所あり」とあるように、民心を治めるためには、怨みをもって怨みに報いるという懲悪思想がむしろ是認されていた。とくに父兄の仇を討つことは 「父のあだは与に天をいただかず、兄弟の讎は兵にかえらず」と儒教道徳上の正当の論理であった。ところが魏の黄初四年(二二三)に法律によって復讐が禁じられ、犯したものは一族が死刑と定められた。復讐が社会を揺るがす自体となった現れだった。しかし日本ではずっと遅く、「仇討ち禁止令(復讐禁止令)」発布は、明治六年(一八七三)のことである。
 日本では長きにわたって、「会稽の恥を雪ぐ」ために「怨みをもって怨みに報ゆる」のが武士の必須で、正当の行為であった。
 しかし、法然上人は、「あえてうらまない」ため出家の道を選んだ。一般人でいては、怨親平等の心を持ちえないと自ら判断したからだろう。

  われらはこれ烏帽子もきざる男なり。
 
(『聖光上人伝説の詞』)


という法然上人の言葉がある。この言葉は、烏帽子を着けるのが一般男子の習慣であった平安末期にあって、私は出家者だという自戒の言葉と筆者は理解している。「出家たるべし」とは、出家の原点を忘れないことに他ならない。それは、法然上人においては父親の遺言を守ることであった。
 うらみをうらみと思うな、そしてうらみを消すのは自分自身の作業だと自戒していると、理解するのである。
 この「あえてうらみをうらみとしない、それをするのは自分自身である」という、「意味のある消極」(志賀直哉)・「消極の積極」(佐藤春夫)の極致ともいえる法然上人の教えは、現代に生きる指針として、私たちにも大きな強い意味を持つ。
 二十一世紀になった時代でも、世界のあちこちで、報復による戦争やテロや紛争が繰り返し起こっている。その連鎖を断ち切るものは、あえてうらまないという主体的な意味ある消極的態度ではないか。
 師法然上人をこよなく慕った親鸞聖人は八十三歳の時、すでになき師の言葉を念仏者に伝えた。
「この念仏する人をにくみそしる人をも、にくみそしることあるべからず。あはれみをなし、かなしむこころをもつべし」とこそ、聖人(法然)は仰せごとありしか。
(『末灯鈔』第二通「笠間の念仏者の疑ひとはれたる事」、浄土真宗聖典註釈版七四八)

憎しみの連鎖を、意志を持って断ち切るべしと弟子に語る法然上人の姿である。
 釈尊や法然上人始め、念仏者に通底する怨親平等の実践、私たちは社会生活の必須のものとして大切にしたい。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、
ついに怨みのむことがない。
怨みをすててこそむ。
これは永遠の真理である。

(中村元訳『ブッダの真理の言葉 ダンマパダ』第五偈 岩波文庫)

付記
 本文に載る事績には、史実と確認されていないものもある。たとえば、平重衡へ説戒する法然上人や源義経の自死のくだりなど。しかし、『平家物語』や『義経記』に採られ、人口に膾炙して語られている歴史的事績としてあるという意味で文化的「史実」に違いない。平家の公達も源氏の武将も、法然上人の説く浄土教を必要とした。法然上人に浄土往生を説いてもらいたかった。布教の場で説く歴史とは、そういう意味を含んでいる。

参考・引用図書
浄土宗聖典刊行委員会『浄土宗聖典』第六巻「法然上人行状絵図」
早田哲雄著『勅修法然上人御伝全講』
梶原正昭校注『義経記』(日本古典文学全集)小学館
市古貞次校注『平家物語』(日本古典文学全集)小学館
高木市之助他校注『平家物語』(日本古典文学大系)岩波書店
真宗聖典編纂会『浄土真宗聖典─注釈版─』本願寺出版社
『底本 佐藤春夫全集』第二十一巻
佐藤春夫著『掬水譚 法然上人別傳』大東出版社
森三樹三郎著『「名」と「恥」の文化』講談社
中村元訳『ブッダの真理の言葉 ダンマパダ』 岩波書店
その他

註記
(1)漢字は人為の創作物で、人々の素直な感覚が漢字として構成され、表記がなされている。だからこそ、漢字には物事の本質を内在していると考える。
(2)法然上人は、読書において「篇目をみて、大意を取る」(『勅伝』第五巻)べきことを述べている。全体を注視して判断することを重視したのである。ここに上人の柔らかい現実的な社会観を見てとれる。