〈9〉五重相伝で唱える(歌う)詠唱(讃歌)


 五重相伝は勧誡が中心となりますが、法要や贈五重などを通して行われる回向師の回向や回向讃なども五重の大切な要素となります。近年、その中に詠唱や讃仏歌などを取り入れる五重も多くなりました。
 過去におきましても勧誡のお説法をされるときに、お歌を詠じながら、またオルガンを弾きながらされていた勧誡師もおられました。受者にとっては法悦のひとときでしょう。
 今ここに、詠唱の中から「月かげの御詠歌」と「光明摂取和讃」、「五重和讃」の三曲、さらに讃仏歌から「夕べの歌」と「法然上人頌」を選曲し、勧誡師、教授師、回向師いずれの方でもお唱えできるお歌五曲を択びました。五重相伝に相応しい曲はまだまだありますが、この五曲は内容的にも意義深く、お唱えしても独唱または大衆と同唱し易く、勧誡をしながら歌をおり混ぜることも可能です。歌を入れることによって受者が五重の悦びを感じていただけると一層効果的と存じます。(以下に掲げる歌の音譜および歌詞はまとめて後掲します)


○月かげの御詠歌  
 法然上人の代表的なお念仏のお歌です。宗歌にもなっていますので、五重相伝の開筵中にぜひお唱えしたいお歌です。
 お歌の主旨やその心をお伝えして阿弥陀さまの光明摂取、衆生済度を説き、お念仏をお勧めするに最効果的なお歌です。お唱えの仕方はご自由ですが、吉水流詠唱のように詠題を唱えて発声するか、または「宗祖法然上人御作『宗歌月かげ』」と言って発声するか、いずれでもよいと思います。
 お歌の内容については浄土宗発行の『吉水流詠歌集』をご参考にされるとよいでしょう。


○光明摂取の御和讃  
 光明摂取和讃は御和讃の中でも広く皆に知られた和讃です。勧誡の中でも回向のときでもいつでもお唱えいただける和讃です。特に追善回向のときや新亡回向のときにこの和讃は非常な功徳と効果をあらわすことと思います。
 一番は世の無常を、二番はありし日の思い出を、三番は弥陀の光明に摂取されゆくさまを歌っています。曲の組み立ても、メロディもとてもよく出来ていて、亡き人の追善の和讃としては唱え易く、心にしみ入る名曲の一つです。お念仏も加わって五重に相応しい曲です。


○五重御和讃  
 五重を受けるということは、まことに不思議な尊いご縁によるものです。受け難き人身を受け、あい難き仏法にあう思いであります。人生の来し方をふりかえり、罪や悩みの多いわが心を洗い浄めていただく相伝に、頭を垂れて反省し、懺悔をしたくなります。
 五重和讃は一番から六番まで五つ重ねに浄土宗のすべてのみ教えをいただき、お歌の中で五重の内容を知り、お説法も楽しさのうちに拝聴できることと思います。
 自らお唱えすれば身も心も共に高鳴り、五重の悦びを得ることができるでしょう。


○夕べの歌   
 静かに暮れゆくこの夕べ かねがなる かねがなる――。  
 短い歌ですが、大衆がすぐに歌える歌としてはとてもいい歌です。  
 春の夕ぐれ、秋の夕ぐれ、一日の五重が終わるころ、ちょうど日没を告げて梵鐘が鳴る。五重開筵中、一日の終わりを鐘の音が一層五重の雰囲気をもり上げ、今日一日の感謝をふくらませ、明日も元気でお寺に来ようという気をおこさせる抒情豊かな曲です。お歌は簡単で受者全員で楽しくお唱えできます。


○法然上人頌  
 法然上人七百五十年御忌のときに制作されたお歌ときいております。法然上人に深く導かれ帰依していた文豪佐藤春夫さんの詩によるもので、上人のみ心を的確に表現されたお歌です。一番は無量寿・無量光が、念仏を称える人々に分け隔てなくいただける功徳であることを、二番は煩悩を断ち切れとは仰せられなかった、乱れた心もお許しになり、人間の性のまにまにお念仏をお称えなさいと諭された法然上人の心のやさしさがしのばれる見事なお歌です。
 勧誡の中でも回向のときでも、休憩のときでもお唱えして大衆を引き寄せていただく五重に相応しいお歌と存じます。