六、おわりに
 最後に浄土宗伝法史上における『領解抄』の占める位置付けについて、今一度、確認の意味を込めて次の二点を提示して閣筆したい。
 第一に、『領解抄』は『授手印』の内容を「領解」され、師聖光上人自ら良忠上人に印可を授けられた書であるということ。
 第二に、『選択伝弘決疑鈔』巻第五に「先師(聖光上人)、衆に対して示して曰く、我れ年闌にして齢ひ頽へり、在世久しからず。将来の痴闇を思ふに肝腑安からず。然りと雖も、我が法は然阿に授け畢んぬ。法灯、何ぞ銷へん。然阿は是れ、予が盛年に還るなり。遺弟、此の人に対して不審を決すべしと」(43)、あるいは、『決答授手印疑問抄』巻上に「弁阿亡じての後は、法門の事は然阿に問わるべし。然阿はこれ、弁阿がこれ盛年に成れるなり」(44)と良忠上人自ら記されているように、良忠上人が師聖光上人から全幅の信頼を寄せられ、聖光上人自ら「不審」や「法門」については良忠上人に尋ねて決すべしと述懐されていること。
 こうした伝歴は、弥陀・釈迦・諸仏三仏同心によるお念仏の教えが善導大師から法然上人・聖光上人を経て、良忠上人へと嫡々と受け継がれてきたことを如実に証明していよう。私たち浄土宗僧侶は、今一度その伝歴の重要性を胸に刻み込みつつ、勧誡に赴かねばならないのである。
 以上、五重相伝の三重伝書に据えられた『領解抄』の勧誡において留意すべき点として、『領解抄』の構造、特に、三心の四句分別の由来や説示の意図を中心に、二祖三代と継承されてきた浄土宗義の正統な理解の一端について言及してきた。とはいえ、紙面の制約などもあり、いずれを取っても、不充分の謗りは免れないと忸怩たる思いは尽きないところである。ご覧いただいた諸大徳には、一つの愚考と受け止めていただき、ご容赦賜るよう伏してお願い申し上げる次第である。          合掌

【註】
(1)聖冏上人の多彩な業績については、拙稿『平成十二年度 布教・教化指針』「第六章 七祖聖冏上人」(浄土宗)を参照されたい。
(2)『浄土宗聖典』五巻二五一頁。
(3)『浄土宗聖典』五巻二四〇頁。
(4)『浄土宗聖典』五巻二四一頁。
(5)『浄土宗聖典』五巻二五八頁。
(6)『浄土宗聖典』五巻二八一頁。
(7)林彦明台下『昭和新訂・三巻七書 附解題』「解題」四四頁。
(8)『浄土宗聖典』五巻二五一頁。
(9)『浄土宗聖典』五巻二五二頁。
(10)『浄土宗聖典』五巻二五七頁。
(11)『浄土宗聖典』五巻二三四頁。
(12)『浄土宗聖典』五巻二五四頁。
(13)林彦明台下『昭和新訂・三巻七書 附解題』「解題」四四頁。
   なお、阿川文正台下もほぼ同様の視点で「しかし乍ら『領解鈔』の中で最も力を注がれているのは三心釈である。三心とは、言うまでもなく浄土宗における念仏修道者の心構えとして説かれたもので、安心・起行・作業という浄土修道の三大項目の一つである。故に善導大師は『観経疏』において多くの紙数を用いて広釈され、法然上人は『選択集』第八章段に祖師の多くの引用を以てこれを釈し、漢語灯録・和語灯録の中にも、数多く念仏行者の心得べき様を説き示されている。聖光は、法然上人の口決相伝に基づいて『授手印』においてこれを祖述し、『念仏三心要集』においては更にこれを布衍している。『授手印』の「念仏の行者必ず三心を具足すべき事(『浄土宗聖典』五巻二二八頁)」の中では、『観経』『礼讃』等の文証をあげて三心を詳しく釈し、「至誠心の事」では虚実・始終・多少の三種、「深心の事」においては信疑・始終の二種、「廻向発願心の事」では願行有無・西方余事回願の二種、合せて七種の四句分別を示されたのである。三祖良忠は聖光の意を禀承し、これを更に布衍して、深心にも至誠心と同じく多少の四句を作り、廻向発願心にも多少と始終の四句を加えて、十種の四句分別を施された。即ち『領解鈔』に、「本書(授手印)には略を存じて、僅かに七種を挙ぐ。ただ意を得るに在り。煩わしければ、委しく載せざるのみ。今十種の四句を作って、また至誠心に准ずるのみ」(『浄土宗聖典』五巻二五四頁)と述べられている如くである(中略)また続いて、「もしまた委しくこれを知らんと欲せば、三心に各二種の四句を得。謂く、上の一向と多少と始終とに并んで互いに四句を作る。故に爾なり」(『浄土宗聖典』五巻二五四頁)とあり、更に至誠心に一向実と多少実とを始終に配し、また一向虚と多少虚実とを始終に配して二種四句を作り、同じく深心には一向信と一向疑と多向疑と多少信疑とを始終に配し、廻向心にも一向西方と一向余事とを多少西余に対せしめ始終に配して各々二種の四句を作り、都合十六種六十四句に拡充されたのである」(「『領解末代念仏授手印鈔』について」『浄土学』第三六号二二頁・二八頁)と述べられている。
(14)『授手印』と『領解抄』との四句分別の対応については、阿川文正台下「『領解末代念仏授手印鈔』解題」(『浄土宗聖典』五巻五七七頁以降)を参照されたい。
(15)『浄土宗聖典』五巻二五四頁。
(16)『往生大要鈔』『昭法全』五四頁。
(17)『御消息』『昭法全』五七九頁。
(18)『浄土宗略抄』『昭法全』五九四頁。
(19)『浄土宗聖典』五巻二五六頁。
(20)『浄土宗聖典』五巻二五六頁。
(21)『浄土宗聖典』五巻二五七頁。
(22)『聖光上人伝説の詞』『昭法全』四五九頁。
(23)『登山状』『昭法全』四二一頁・四二二頁。
(24)『念仏大意』『昭法全』四〇九頁。
(25)『禅勝房にしめす御詞』『昭法全』四六三頁。
(26)望月信亨猊下『浄土教概論』『浄土宗選集』第五巻二一五頁〜二一七頁。
(27)平雅之氏『親鸞とその時代』一六六頁。
(28)同『親鸞とその時代』二一三頁。
(29)拙稿「法然上人における倶会一処への視座〜親鸞聖人との対比を通じて〜」(『石上善應教授古稀記念論文集・仏教文化の基調と展開』第二巻所収)を参照されたい。
(30)拙稿「法を伝える〜結帰一行三昧〜」『平成十四年度 布教羅針盤・勧誡編』五五頁。
(31)藤堂恭俊台下「法然・聖光両祖師における善導教学の受容と展開」『善導大師研究』二五三頁。なお、これとほぼ同様の説示が、同「聖光房弁長上人における善導教学の受容と展開」『仏教文化研究』二四・四四頁にも見られる。
(32)藤堂恭俊台下「聖光房弁長上人による宗義・行相の創設とその意図」『坪井俊映博士頌寿記念・佛教文化論攷』一二七頁。
(33)『浄土宗聖典』第五巻二四六頁。
(34)法然上人による一念義を戒めたいくつかのご法語からその一部を示しておこう。(ア)『越中国光明房へつかはす御返事』「一念往生の義、京中にも粗流布するところなり。おほよそ言語道断のことなり(中略)かくのごときの人は、附仏法の外道なり、師子の身の中の虫なり。またうたがふらくは、天魔波旬のために、精進の気をうばわるるともがらの、もろもろの往生の人をさまたげむとするなり。あやしむべし。ふかくおそるべきもの也」『昭法全』五三七頁〜五三九頁、(イ)『基親の書信並びに法然上人の返信』「近来、一念のほかの数返無益なりと申義、いできたり候よし、ほぼつたへうけたまはり候、勿論言ふに足らざるの事か。文義をはなれて申人、すでに証を得候かいかむ。もとも不審に候。またふかく本願を信ずるもの、破戒もかへりみるべからざるよしの事、これまた問はせたまふにも、およぶべからざる事か。附仏法の外道、ほかにもとむべからず候」『昭法全』五四九頁、(ウ)『九條兼実の問に答ふる書・其の二』「一念の後又称念せず。ならびに犯罪せば、なを決定往生と信ずべきにあらず。此くの如く信じ候は、一重、深心に似たるといへども、還て邪見と成候歟。近来此の邪見に住する輩多きに候也と」『昭法全』六一〇頁。
(35)『授手印伝心抄』『浄土宗聖典』五巻二七一頁。
(36)『浄土宗聖典』第五巻二二四頁。
(37)『浄土宗要集(東宗要)』第二「第十一 三心具足文事」『浄全』一〇巻一六〇頁上。
(38)『浄土大意抄』『浄全』一〇巻七一七頁下。
(39)『三心私記益』『浄全』一〇巻六九一頁上。
(40)石井教道勧学『選択集全講』三四九頁。
(41)拙稿「法を伝える〜結帰一行三昧〜」『平成十四年度 布教羅針盤・勧誡編』五七頁〜五八頁。
(42)『浄土宗聖典』第五巻二五七頁。
(43)『浄全』七巻三四七頁上。
(44)『浄土宗聖典』五巻二九六頁。