五、聖光上人の三心理解
『授手印』において聖光上人は、法然上人のご遺文に見出せない「宗義・行相」という区分を創設されている。昨年の拙論にも引用したが、藤堂恭俊台下はその理由の一つとして「一念義にあっては口称念仏を修することよりも、学文をして義を知る・一念往生の理を知る・三心を知ることに重きを置いて、往生の得否を決していることが知られる。この修と知とは弁長によって創設された名目によれば行相と宗義である。弁長は行相を軽視する一念義の邪義であることをあきらかにし、その邪義を破することによって導空二祖の伝承の義をあきらかにすべく、強いて宗義・行相という名目を創設して、その枠のなかで相伝の義を録したのが、この『末代念仏授手印』一巻ではなかろうか」(31)と述べられている。さらに藤堂台下は「弁長は、この(宗義・行相という)枠組をとおして幸西等の三義が、善導の説に反することを表示するとともに、師の法然に対して背師自立の邪義であることをあきらかにし、もって師法然の真義の顕彰につとめたのである」(32)とも述べられている。すなわち、念仏相続を軽んじる一念義・西山義・寂光土往生義といった三派の教義に対抗すべく聖光上人は『授手印』において「宗義・行相」という構造を打ち立てられたのである。
なるほど聖光上人は『授手印』「裏書」に次のように述べられている。
「然るに近代の人人、学文を先と為して、その称名をば物の員にせず。これすなわち邪義なり。邪執なり。無道心の人なり。無後世心なり。
近代の人人の義
ある人の云く、善導は安心門の義、起行門の義を立つ。この二門を建立して、安心門の日は学文して、念仏を修せしめずといえども、安心門に依って往生を得。その起行門の人は、念仏を修せしむといえども、義を知らざるに依って、往生を得ず。云云。
ある人の云く、行門、観門、弘願門、この三門を立て、弘願門は往生を得、その行門の人は往生を得ず。弘願門の義を知らざるに依ってなり。これに依って、学文して能く能く弘願門に帰すべし。云云。
ある人の云く、寂光土の往生、尤もこれ殊勝なり。称名往生は、これ初心の人の往生なり。その寂光土の往生は尤も深なり。
この三人の義、近代の興盛の義なり。
已上の三義、これ邪義なり。必ず必ず全く、これ法然上人の義には非ず。梵釈四王を以て証と仰ぎ奉る。三義ともに学文を為さざるの無智の僧達の愚案なり。慢慢なり。善導の御釈に相応せざるの義なり。心有る人、能く能く善導の御釈を見て思うべし。今現文の義を捨て無文の義を出せり。すでに現文に違し、また古(いにしえ)の行にも背く有り。在御判」。(33)
聖光上人による実に厳格な説示である。洛中に広まった一念義など門下の異解が師法然上人の心をいたく悩ませ、上人自ら筆をとってそれを厳しく戒められていたことは、遠く鎮西の地にある聖光上人の耳にも届いていたであろう。(34)『授手印』執筆の直接的動機が、門弟修(数)阿と敬蓮社との「至誠心の体」をめぐる論争であることは言うまでもないが、(35)その「序文」に「然りといえども、(法然)上人往生の後には、その義を水火に諍い、その論を蘭菊に致して、還って念仏の行を失って、空しく浄土の業を廃す。悲しきかなや、悲しきかなや。何(いかん)が為ん、何が為ん(中略)この間において、徒らに称名の行を失することを悩き、空しく正行の勤めを廃しぬることを悲しんで、かつうは然師報恩の為、念仏興隆の為に、弟子が昔の聞に任せ、沙門が相伝に依って、これを録して、留めて向後(きょうこう)に贈る」(36)とあり、聖光上人は、宗祖門下における念仏相続を軽視する異義の「興盛」を視野に入れつつ、『授手印』執筆の筆を執られたこともまた明らかなのである。
他ならぬ良忠上人が、宗祖法然上人による厳しい一念義批判の中に見出せる念仏相続の重要性を見落とされるはずもなく、あるいは、師聖光上人の『授手印』執筆の際のこうした熱い思いを汲み取られぬはずもない。良忠上人は、『授手印』における対論相手を念頭に『領解抄』執筆の筆を進め、とりわけ宗祖法然上人・師聖光上人の教えを誤またぬよう三心理解の正確さを追求されたであろう。
ちなみに、聖光上人撰『浄土宗要集』に自ら『授手印』の四句分別に説示を譲っている次の箇所がある。
「尋ねて云はく。何を以ての故に至誠心の下の雑毒の善は往生す可からずや、如何。何を以ての故に深心の下の疑心の念仏は往生す可からずや、如何。何を以ての故に廻向発願心の下の一向の願ならぬ彼此の所願・所望の念仏は往生せざるや、如何。
答ふ。仏は至誠心を以て一切衆生を決定往生せしめんと立て給ふ所の本願なり。仏は深心を以て決定往生せしめんと願じ給へる念仏なり。念仏せる衆生の中に疑心を以て念仏を申す故なり。仏の一切衆生の為に弥陀の名号の念仏を以て往生せしめんと願じ給へる往生の願には当てずして、今生の己が所願にあて寿命長遠・福徳円満とあつるが故なり。仏は三心を以て立て給ふ所の決定往生の念仏の本願なり。念仏申す行者、三心を具せず、或は虚仮心、或は疑心、或は不定の所願なり。是の故に能化の三心に所化の三心相応せざるが故に往生せざるなり。能化の願は三心具足して立て給へば、所化の行も三心を具足して往生す可きなり。此に四句の道理有り。授手印の如し」。(37)この中で聖光上人は、阿弥陀さまの側の「能化の三心」(仏辺)とわれわれ衆生の側の「所化の三心」(機辺)とを明確に区分され、浄土往生のためには両者が相応しなければならず、「能化の三心」が円かに具足されている以上、私たちの側の「所化の三心」具足の称名念仏が不可欠であると訴えられている。そして、その四句分別を『授手印』の説示に譲っていることから、『授手印』の四句分別が「所化の三心」を論じていることは明白である。
聖光上人の教えを遺漏なく相承された良忠上人は、これまで述べてきた師の立場、すなわち、『授手印』執筆の動機、『授手印』における宗義・行相という構造創設の背景、三心をめぐる能・所の関係等を知悉された上で、それを敷衍して『領解抄』において十六種からなる三心の四句分別を施されたのである。
良忠上人は、他の著作中でも「此の三心は行者の心根なり」、(38)「問ふ。三心具足の人退する義有る可きや。答ふ。伝に云く、凡夫所具の三心なり。何ぞ退する者無からんと」(39)などと述べられ、これまで見てきた『領解抄』の理解を基調に三心論を展開されていることが分かる。
かつて石井教道勧学は「然し善導所釈の全三心論からみて、それは即ち凡夫の起す三心である以上、浄土宗的解釈に依るより仕方ない」(40)と述べられたが、善導大師・法然上人・聖光上人・良忠上人という二祖三代の伝統をいただく浄土宗義の基底にこうした三心の理解が貫かれていることを私たち浄土宗僧侶は肝に銘じておかねばならないだろう。
昨年の拙論において筆者は「二重伝書『授手印』(中略)〈行相〉における〈第三重・三心〉〈第四重・五念門〉〈第五重・四修〉〈第六重・三種行儀〉の勧誡によって、願往生人がお念仏を称える際の心のありようやお念仏をとなえながらの日々の暮らしについて演繹的に明らかにされるが、〈五念門〉と〈三種行儀〉こそ言及がないものの、それは『選択集』第八章〈三心篇〉・第九章〈四修法篇〉の説示に通じている。このように初重『往生記』・二重『授手印』の勧誡を通じて、『選択集』において機辺の立場から述べられるべきすべてのことが説き示され、最終的に『授手印』の〈奥図〉を開示することによって、機辺の立場を積み上げた結論としての結帰一行三昧が明らかとなるのである」(41)と述べた。そして、『領解抄』最末尾に説かれる「三心・五念・四修皆これ称名なる所以は、細しく尋ねて了すべし。もし能く知らんと欲せば必ず口授を須いよ。これを筆点に題することを得ざれ」(42)との一節は、『授手印』に説かれるこうした結帰一行三昧の構造を十二分に踏まえたもので、良忠上人の師聖光上人へのこの上ない敬意を伺い知ることができ、同時に、師から弟子へと嫡々と受け継がれる瀉瓶相承の大切さを目の当たりにすることもできるのである。ここに、七祖聖冏上人が「機・法」を経た五重相伝の綱格中、『領解抄』を三重「解」として位置づけられた教学的由縁が自ずから浮かび上がってくるのである。