2、四句分別説示の意図
次に良忠上人による三心の四句分別説示の意図について考えてみたい。そこで四句分別説示に続く十一の問答の中から、特に第四・第六・第十一の三つの問答を取り上げてみたい。
◎第四問答「問う、もし爾らば彼此の四句混乱す。何ぞ言論を費やすや。所詮無きに似たり。答う、衆生に種種の心有ることを知らしめんが為に苦ろにその異を尽くす。多言を厭うこと勿れ。ただし少乱有ることは四句を成ぜんが為なり。更に尽理に非ず。多少始終相対の故に爾なり」(19)
ここで良忠上人は、一見、煩瑣とも思われるほどに懇ろな四句分別を施した意図として「衆生に種々の心」があることを知らしめるためであると述懐されている。
◎第六問答「問う、多実少虚の者は一向に浄土に往生すべからず。たとい少分なりといえども、虚仮有るが故に。答う、衆生の心識いまだかつて定住せず。譬えば野馬のごとくまた猿猴に似たり。一たびは虚心を起し、一たびは実心を起す。実心多きが故に、命終の時に臨んで至誠心を具せばすなわち往生を得。虚を具してまさに浄土に生ずと謂うには非ず」(20)
ここでも良忠上人は、「実」と「虚」をめぐって揺れ動く「衆生の心識」のありさまを「野馬」や「猿猴」に譬えながら説き示されている。
◎第十一問答「問う、三心すでに具すれば仏これを護念したまう。何の退縁有ってか更に退転すべきや。故に文に「蒙光触者心不退」と云う。何ぞ心の退不退に就いて、まさに四句を立てるや。答う、凡夫の行者は、進退、縁に随う。仏力もまた加すべきに加す。十信なお退す。何にいわんや信外をや、譬えば軽毛(きょうもう)の風に随って東西するがごとし。心不退とは、且く不退の者に約してこれを釈するなり。もし三心を具して必ず退せずんば、何ぞ四修を以て三心を用策せんや」(21)
ここで良忠上人は仏の「護念」をいただきながらも衆生の信が「退転」することについて問答を設定し、その答えとして「凡夫の行者は、進退、縁に随う」と、その「退転」は決して仏の「護念」力(仏辺)に瑕疵(かし)があるわけではなく、衆生の側(機辺)の問題だと主張し、一度具わった衆生の安心が退転する可能性を決してなしとはしない。無論、善導大師が『観経疏』の中で四重の破人について説示されているように、退転・動乱されない「深信」こそが大切なことは言うまでもない。しかし、そうした説示の存在こそ、衆生の信退転の可能性を示唆する端的な証左と指摘できよう。
ちなみに良忠上人は、そうした衆生の心のさまを「軽毛」に譬えている。先の第七問答においても「野馬・猿猴」などに衆生の心のさまを喩えられたが、これらの比喩は「凡夫の心は物にしたがひてうつりやすし、たとふるにさるのごとし、ま事に散乱してうごきやすく、一心しづまりがたし」(22)、あるいは、「その定善の門にいらんとすれば、すなはち意馬あれて六塵の境にはす、かの散善の門にのぞまんとすれば、又心猿あそんで十悪のえだにうつる。かれをしづめんとすれどもえず、これをとどめんとすれどもあたはず(中略)ほとけの密意弘深(みつちぐじん)にして、教文さとりがたし。三賢十聖もはかりてうかがふところにあらず、いはんやわれ信外の軽毛也、さらに旨趣をしらんや」(23)などという法然上人のご法語中にも説き示されていることを確認しておきたい。
以上、『領解抄』において良忠上人がこれほど詳細かつ綿密に三心の四句分別を説示された意図は、三心はどこまでも衆生の側(機辺)が発し具えるべき心であって、仏の側(仏辺)にそれを求めるべきものでは決してないことを明かさんがためであったと推測される。衆生の側が発すべき心であるのだから、人によって、あるいは、時や状況に応じて、常に揺れ動くことは言うまでもなく、だからこそ良忠上人は「苦ろにその異を尽く」して説示を施す必要性があったのであり、もしそうでなければ、「四修を以て三心を用策」する必要などないではないか、と強い口調で訴えられたのである。