二、『領解末代念仏授手印抄』撰述とその構成

   1、『領解末代念仏授手印抄』の撰述
 三重伝書である三祖良忠上人撰『領解抄』は、その冒頭に「『末代念仏授手印』とは、蓋(けだ)し浄土宗の肝要なり。これに依って、瑞夢の告、一に非ず。依り信ずる者これ多し。沙門然阿幸いにこの文を伝え、輒(たやす)くその義を受く。領解の分、聊か一隅を記す(2)と記されている。すなわち、師聖光上人が撰述された『末代念仏授手印』(以下『授手印』と記す)こそ、宗祖法然上人の教えを正しく受け継ぎ「浄土宗の肝要」を明かされた書であって、多くの方がそれに因んだ「瑞夢」を体験され、良忠上人も『授手印』を相伝され、ご自身の「領解」を記したのがこの『領解抄』である、と述懐されている。
 その『授手印』「手印・血脈」には「右手印 左手印 授手印 源空 弁阿 然阿 嘉禎第三歳卯月十日巳時 沙門弁阿在御判」(3)とあり、嘉禎三(一二三七)年四月十日、両手印を捺した『授手印』が聖光上人から良忠上人へと相承されていることが分かる。また『授手印』「手次状」には「ここに法然上人浄土宗の義を以て、弁阿に伝う。今また弁阿相承の義ならびに私の勘文、『徹選択集』を以て、沙門然阿に譲り与え畢んぬ。これを聞かん人、たしかにこれを信じ、これを行じて、往生を遂ぐべし。仍って秘法を録するの状、手次を以てす。于時嘉禎第三歳八月一日 法然上人口決沙門弁阿在御判」(4)とあり、同年八月一日には、聖光上人から良忠上人へとことごとく相承の義が授けられている。
 さらに『領解抄』には「嘉禎三年八月三日 善導寺においてこれを草記する処なり。上人、親りこれを見たまいて合点したまい畢んぬ。 沙門然阿在御判」(5)とあり、同年八月三日、良忠上人が草記した『領解抄』に対し、聖光上人が合点・印可を授けられていることが分かる。ちなみに、聖冏上人撰『領解授手印徹心抄』には「言は、『末代念仏授手印』を領納し解知する故なり、故に「領解末代念仏授手印」と云う。「抄」と言うは、疏なり、『授手印』の不審の茂きを疏す。故に「抄」と云うなり」(6)とあるように、『領解抄』は『授手印』の説示を良忠上人が「領納・解知」された「疏」であり、その理解の正当性と相伝の正統性を二祖聖光上人自らが印可された書に他ならないのである。