3 青壮年の生き甲斐と念仏信仰

 現今の厳しい競争社会の中で、大きな責任を背負って生きていかねばならない日々の生活において、常に順風に帆をあげるような快適な日々のみではなく、失意の日、苦難の時代のあることは当然考えられることである。この時は忍従の時であり、蛟竜雌伏の時代と考えるべきである。仏は念仏するものを光明をもって照らしたまい、十力をもって一切の人々の心の奥底まで見抜いていられる方であるから、自己の考えや行為は、仏は必ず見たまい、知りたまうものであることを信じ、仏の擁護の中にある自己を見いだして、時機が来たなれば大きく飛躍することができるだけの力を養い、もって苦難を超えるべく努力すべきである。自己放棄(自殺)は仏の大悲にそむく行為であるから、大罪を犯すことになる。

「治政産業これ仏教なり」とは伝教大師の言葉であるが、日々、仏の教えを信ずる心をもって従事する仕事の他に仏教があるのではない。何人といえども心の奥に強い宗教心をもつべきであり、かかる心を基とする一切の仕事(業務)であってこそ、真に幸福なる人生を築く治政産業ということができる。

 念仏によって生命の永遠を信じ、未来の幸福を確信して(浄土)、仏の照覧のもとに、日々の仕事に精励するところに真の生き甲斐のある日々を送ることができるであろう。真の幸福な生き甲斐のある人生とは金銭や名誉ではなく、確固たる信仰(信念)によって得られることを説きあかすべきである。

(昭和61年度 浄土宗布教必携より)