三、同解説

  1 法然上人の徳を讃えた願文

 昭和五十七年七月、滋賀県甲賀郡信楽町勅旨の玉桂寺に所蔵されていた木像阿弥陀仏立像の胎内から発見された造立願文の内容は、最初に釈迦の教えが勝れていることを述べ、次いで法然上人が聖道門を捨て凡夫出離の浄土門に入ったことは、末代有縁の門を開いたことを述べている。これによって比丘・比丘尾・優婆塞・優婆夷など五悪の闇が晴れ、未断悪の凡夫も、欲界・色界・無色界の栖を出て四徳の城に入ることができるのは、ひとえに師法然上人のおかげである。どんなに報謝しようとしても報謝しきれない。そこで三尺の阿弥陀像を造立してその恩徳に報いようとした。この像中に数万人の交名を納めたことは、亡魂の恩に報ずるためである。それは法然上人が化物を心とし、利生を先としたためであり、衆生利益の根本である。この衆生利益が、法然上人の恩徳に報謝することになる。真の報謝は、像中に納めた交中の道俗貴賤・有縁無縁の人々が、自分の方便力によって、必ず法然上人の引接を蒙むることである。そしてこの結縁の衆は、過去・現在・未来の三生のうちに生まれ、早く三界をぬけ出して、九品の浄土に到達することができる。そうすれば法然上人の徳に報ずることができるし、この作善は莫大である。その上分の善により、三界諸天の善神離苦得道のため、兼ねては秘妙ら親類のために、中分の善をもって国王・国母・太上天皇・百官・百姓・万民のために、下分の善をもって自分の決定往生極楽のために宛てたい。もしこの中、一人でも浄土に往生したならば、すぐさま娑婆に還来して、残りの衆生を極楽に導くだろうし、もし自分が極楽に往生したならば、必ずそうするという還相回向を力説している。このように自他よく和合して五悪趣を離れ、同じく九品の往生をしようという。そして最後に、諸仏菩薩・諸天の善神知見して、私(源智上人)の願いを成就してくれといっている。ここには遠大な救済の姿が見いだされる。そして源智上人自身、生死を超え、現在から未来際を尽くして、慈悲の願行に行きようとする力強い宗教的使命観に支えられた姿勢が見られる。

(昭和60年度 浄土宗布教必携より)