5、感謝と喜び

 阿弥陀仏は一切の人々を平等に救済すべく本願を建てられ、兆載永劫の修行を励んでついに十劫の昔に「さとり」をひらいて仏となられた。そして本願に「我が名を称えよ」と説かれた。さらに上述したごとく、仏は智恵の光明をもって念仏するものを見たまい、護念したまう。よろずの災厄が除かれて延年転寿を得ることができるばかりでなく、この有限の生命が終ったならば、無限の生命に生きる浄土へ導きたまう。これはひとえに、「我欲我執」にとらわれれて悩む凡夫を救済するためであって、そのために仏は本願を建て、兆載永劫の修行を積まれたのである。この「我欲我執」に悩むものとは、他人ではなく、われ自身のことである。したがって私一人を救うために建てられた本願であると受けとり、仏恩に感謝し、仏の護念によって生かして頂く私を喜ぶべきである。このように仏恩感謝と護念の喜びを説くとともに、さらに大乗仏教の理念によって、天地万物すべてのものは仏であるから、仏さまのおかげで生きさせて頂く喜びと感謝の念を説き、あわせて一物といえども粗末にしないように教え導くべきである。

(昭和59年度 浄土宗布教必携より)