『説法式要』(牛秀)に
「およそ一寺に住持するものは学不学を論ぜず、説法するが本務とすべし」
とある。寺院住職はすべて布教師たるの自覚をもって、檀信徒の教化に専念すべきものという意味である。また、住職の修学について、『蓮門住持訓』(貞極)には、
「日課及ビ寺役法事ノ遑ニハ聖教ヲ見テ、仏道ノ案内ヲ知リ、時ニ修行ヲモ致シ、仏法ヲ知ラウト思ヘ。住職己後ハ聖教ヲ手ニ取ラズ、学問(文)ヲセヌ事ノ様ニ思ヒ、学問(文)ハ所化因分(若年)ノ時ト心得テ、世事ニノミウチカカル……コレ甚シキ僻事ナリ、懈怠ノ至極ナリ」
とあり、住職たるものはつねに学問を励むべきことを説きあかしている。近時、大学教育の一般化とテレビ・ラジオの普及にともなって、社会科学・文化科学等に対する知識を得る機会が多いために、布教師たるものは常に浄土宗学を根幹として、仏教学のみならず社会一般の諸科学に関する知識を十分に涵養して、話題の豊かな布教につとめるべきである。
また、平常仕事に追われて直接教えを聞く機会にめぐまれぬ人には、文書(小冊子、パンフレット、リーフレット等)による伝道も重要なものであるから、仏教の知識に乏しい人々に対しては、正しくやさしい日本語を駆使して、仏教、浄土教の理解に努めるべきである。
(昭和59年度 浄土宗布教必携より)