【細説】

1、民衆仏教の提唱

 法然上人以前の南都、叡山、高野山等の仏教は、中国仏教の移入であり模倣である。この仏教に帰依した人は、主として皇室、貴族等の社会の上層階級の人々であって、一般民衆には縁の遠いものであった。上人は、皇族、貴族に独占されていたこの仏教をひろく民衆に開放して、「だれでも」「いつでも」「どこでも」念仏さえ称えたならば、仏の大慈悲(本願力)によって等しく救済されると説いて、多くの人々を導かれた。法然上人門下門流のうち親鸞、証空、一遍らは別派を立てて新しい宗派をひらいたが、しかし、いずれも法然上人の念仏の教えをうけついで、これに新しい解釈を施して敷衍したものである。また栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗においても、その説くところは異なっているものの、法然上人が一法一行を選取してひろく民衆を救済されんとする考えを規を一にしている。法然上人は日本仏教の改革者であるとともに、鎌倉新仏教創唱の原動力をなすものである。

(昭和58年度 浄土宗布教必携より)