法然上人は、浄土宗なる一宗派の開創者に止まらず、新日本仏教の創唱者である。法然上人以前の南都、北嶺、高野山等の仏教は、貴族なる一部の人々に独占されていたものである。これに対し、法然上人の念仏の教えは、民衆を平等に救済する教えであって、貴族に独占されていた仏教をひろく民衆に開放したものである。法然上人以後にひらかれた栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗等は、いずれも法然上人の一法一行選取の理念と、時機に相応する教行の提唱という考えをうけて民衆に仏教を開放したものである。さらに、法然上人の門下より分派して一宗を形成した証空の西山浄土の各派、親鸞の真宗十派、一遍の時宗等は、いずれも法然上人の専修念仏の教えを敷衍したものである。もし法然上人が出現されなかったならば、現今のごとき仏教国日本、念仏王国日本とはならなかったであろう。法然上人の出現は日本における釈尊の出現と思われる。
(昭和58年度 浄土宗布教必携より)