第二 三帰三竟

 仏教の第一の出発は、三つの宝に帰依するところから始まります。三つの宝とは仏、法、僧のことです。

 聖徳太子も十七条憲法の第二条に「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり……」と示され、これこそが万国の極宗、四生の終帰といっておられます。

 これには次のように称える作法があります。

  (我弟子等)願従今身、尽未来際、帰依仏両足尊、帰依法離欲尊、帰依僧衆中尊(三帰)願わくは今身より未来際を尽すまで、悟れるものの人とし人の尊さに帰依し、ことわりの道、おのれなきの尊さに帰依し、つどいの力のよろず障りなきの尊さに帰命せん。

  (我弟子等)願従今身、尽未来際、帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟(三竟)

  願わくは今身より未来際を尽すまで、悟れる者に帰依し終り、ことわりの道に帰依し終り、つどいの力に帰依し終らん。

『華厳経』第六浄行品によると、

 自ら 仏 に帰依したてまつる。仏 は両足の尊なり。当に願わくは衆生とともに、大 道を体解て無上意を発さん。

 自ら 法 に帰依したてまつる。法は離欲の尊なり。当に願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて智慧海の如くならん。

 自ら 僧 に帰依したてまつる。僧は衆中の尊なり。当に願わくは衆生とともに、大衆を統理えて一切無礙とならん。

    仏−釈尊…仏像…さとれるもの…明るく

三宝  法−説法…経巻…ことわりの道…正しく

    僧−教団…僧尼…つどいのちから…仲よく

    諸行無常…つくられたるものうつりゆく

三法印 諸法無我…このよにあるものひとりあらず

    涅槃寂静…おのれなきものにやすらいあり

(昭和57年度 浄土宗布教必携より)