第一の門は、仏教入門であります。仏教とは、もとより釈尊の説かれた三世を一貫した、真の人生への教えであります。それには、まず人として生を受けたことの有難さを確認していただく必要があります。『法句経』の中に、
得生人道難 ひととしての生をうくるはかたく
生寿亦難得 やがて死すべきものの、いま生命あるはありがたし
世間有仏難 正法を耳にするはかたく
仏法難得聞 諸仏の世に出ずるもありがたし
とあります。また善導大師は「玄義分」に、
道俗の時衆等は、おのおの無上心をおこせ。生死は甚だ厭いがたく、仏法もまたねがいがたし……
と書き出しておられます。
せっかく人として生まれた以上、あることかたき人生の意義、人生の価値、死すべきものの、いま命あることの認識によって、人生の尊厳を、仏教の門に入ることによって発見されるのであります。そこに生の歓喜、生の躍動、仕事への情熱が湧き起こって来るのです。
仏教の門に入るには、仏のみこになることです。それには戒を受けることです。
『梵網菩薩戒経』に、
大衆心に諦かに信ぜよ、汝は是れ当成の仏なり、我は是れ己成の仏なり。常に是の如くの信を作せば、戒品己に具足す。一切心有らん者、皆応に仏戒を摂くべし。衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じうし己りなば、真に是れ諸仏の子なり
と説かれております。戒とは仏教の通規であって、「つつしみ」「はげみ」「いましめ」「おしえ」「おさとし」と受け取っていただきます。
諸悪莫作 ありとある悪をなさず
衆善奉行 ありとある善きことは、身をもって行い
自浄其意 おのれのこころをきよめんことこそ
是諸仏教 諸仏のみ教えなり
これは『法集要頌経』の中や『法句経』に出ている偈で、「諸仏通戒の偈」といわれています。
また『涅槃経』には誰にも仏の子たり得る仏性のあることを示して「一生の衆生には悉く仏性あり、如来は常住して変易あることなし」といっています。
(昭和57年度 浄土宗布教必携より)