1 漆間家の信仰
法然上人の生家は、当時の高僧といわれる人がほとんど貴族出身であるにもかかわらず、山村僻地の下級武士の家である。『四十八巻伝』によると、父漆間時国と泰氏出身の母は、「子なきことをなげきて、夫婦こころをひとつにして仏神に祈り申す」とあり、祈誓されたのは本山寺の観世音菩薩であるといわれている。また、幼少期の上人を「ややもすれば西の壁にむかいいるくせあり」とも書かれているから、漆間時国夫妻は、大変信仰の篤い人であったことが知られる。かかる家庭に育った人であったからこそ、上人のごとき偉大な人格者が生まれたのである。
現今の学校教育、または家庭では、一部を除いて、宗教についてきわめて無関心である。社会もまた、唯物的な考えに支配されて、仏や神に対する畏敬の念が薄く、「御利益製造機」か「苦しい時の神頼み」式の仏神しか考えず、仏神の儀礼祭礼を観光見物の道具として、儀礼の意味を理解しようともしない。金儲けのための儀礼としか考えず、さらに無宗教をほこり、みずから進歩的なものと自負するものもある。「偉大な科学者は偉大な宗教人である」と古人がいったごとく、偉大な文化業績を残した人に深い宗教心のあることが知られる。無宗教の国といわれるソ連・中国は、宗教人の眼より見れば、レーニン教・毛沢東教の国と評することができる。物質文化におぼれ、ご利益宗教の栄える中にあって、ご利益宗教が我欲我執を増長さす教えであることを説き、自身が我欲我執の固まりであることをまず第一に知らしめて、法然上人の還愚の精神を説くことが大切である。すなわち念仏するところに「永遠の生命に生きる今日」のあることをあかし、もって親みずからが深き宗教心をもつべきことを強調する必要がある。「子どもは親を見ならって生長する」いわれているように、立派な家庭は親の宗教心によって築かれることを説きすすめるべきである。
(昭和57年度 浄土宗布教必携より)