栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗は、いずれも法然上人におくれて開創されたものであるが、これらの新宗派は、その教義の特質をあきらかにするために、法然上人の念仏に対して種々の批判非難をあびせている。
しかし、いずれも経典に説かれる諸善万行の中より一法一行を選取して、それに絶対的な価値を与え、時機相応の教行とすることは、法然上人の選択の考えと軌を一にしている。
栄西は、坐禅観行こそ時機相応の教えであるというばかりでなく、日本に最もふさわしいものであるとして、持戒修禅の一法一行を重視することは法然上人の選択の考えと同じである。道元は念仏を評して「蛙の声」といい、また易行易修の行として念仏を排斥しているが、「只管打坐」の一行を説くことは、法然上人が『一枚起請文』に「ただ一向に念仏すべし」といって「只一向」の行を説かれた選択の理念と同じものといい得る。日蓮のごときは、折伏すべき第一のものとして法然上人の念仏をとりあげているが、唱題の行をもって末法相応の行とし、臨終における唱題による霊山浄土往詣説や唱題成仏の信心を確立するために就仏立信、就経立信を説くことは、善導・法然の考えを模倣したものといい得る。このように鎌倉新興仏教の臨済宗、曹洞宗、日蓮宗は、それぞれ説く教説の内容を異にしているが、いずれも法然上人が時機相応の教えとして一法一行を選取した理念をうけたものであって、法然上人の念仏一行選択の考えは鎌倉新仏教を生む原動力ということができる。
(昭和57年度 浄土宗布教必携より)