(イ) 法然門流の浄土教

 法然門流の諸派は、いずれも法然上人が浄土宗を開いて定められた『浄土三部経』を根本聖典とし、阿弥陀仏の本願を信じて称名念仏することを説くところはすべて同一である。ただ観点の相違により経論祖釈に新しい解釈をほどこす点に、新宗義組成の契機が見られる。しかし、門下の諸派の開祖・派祖は、法然上人の教えとは異なった異義異説を説くという考えはなく、法然上人の教えを祖述するものとしている。ただ後世になって、その教団が大きく成長するに及んで、法然上人の教えと異なったところが強調され、開祖・派祖の教説の特色が鮮明化されるに至った。しかし、いずれも法然上人の教えを敷衍したものに他ならない。したがって、法然上人が生誕されて、浄土宗を開創されたからこそこれら門下の諸宗派が出来たといえる。つまり法然上人の教えは日本における念仏教団形成の母体ということができるのである。

 さらに、上記の天台宗盛宗、融通念仏宗および臨済宗・天台宗・真言宗等の諸宗派においても念仏が唱えられているのは、法然門流の念仏教団の繁栄に影響されたものと見られる。

 このほかに民間念仏として、念仏聖や遊行聖によって民衆の中に伝えられた念仏がある。虫送り念仏、虫供養念仏、雨乞い念仏、踊り念仏、攘災招福の念仏、大念仏、六斎念仏、先亡者追修の念仏等、種々なものがある。これらの念仏のすべてが法然門流の念仏より出たものとはいうことができないが、法然門流の念仏が社会の各階層に浸透するに及んで、民間念仏信仰と互いに影響しあって栄え、「現在日本人にして念仏を知らざるものなし」といわれるほどひろく伝わっている。このように、日本における念仏信仰には諸種の形態があるが、これらの念仏信仰を形成する母体となったものが、法然上人の専修念仏一行説である。

(昭和57年度 浄土宗布教必携より)