(細説)

 1 日本仏教の改革者

 朝鮮半島および中国本土より奈良の地に伝わった仏教(法相宗、三輪宗、華厳宗、倶舎宗、成実宗、律宗の六宗)は中国仏教の模倣である。聖武天皇によって建立された東大寺および諸国における国分寺の建立は、中国における開元寺建立の制度を模倣したものであって、日本独自のものは見られない。それは、学解を尊び、荘重な儀式によって国家の安寧と氏族の繁栄を祈るものであって、一般民衆とは縁遠いものであり、国家仏教、氏族仏教であった。伝教大師最澄、弘法大師空海によって伝えられた天台・真言の両宗は、教義の面において中国のそれとは異なったものを組織したが、両宗ともに加持祈祷の仏教として皇室・貴族に信奉されるに至った。しかし、これまた皇族貴族に独占された仏教であって、民衆のものでなかった。慈覚大師円仁によって天台宗内に伝えられた弘声念仏、引声『阿弥陀経』による浄土信仰は、藤原道長の法成寺無量寿院、頼道の字治平等院鳳凰堂のごとき優れた浄土教建築を造りあげたが、この立派な建物に参詣し、阿弥陀仏の御前にて荘重な儀式に参加するものは貴族であって、建築に従事した一般民衆は、身分の相違によって参加できなかったのである。儀式法会に参加した貴族は、荘重な仏教音楽と儀礼によって、この世の極楽浄土に在るごとき法悦に浸ったのであろう。しかし、一般民衆は参加できなかったのである。このことは換言すれば、貴族は救われても一般民衆は救われざるものであった。

 この貴族と民衆との差別を取り除き、「だれでも」「いつでも」「どこでも」「念仏さえ称えたならば、仏の本願力によって平等に救済される、と説くところに法然上人の教えがある。換言すれば、法然上人の出現は貴族独占の仏教を民衆の仏教として開放したことであって、ここに日本仏教の一大改革がある。法然上人の後をうけて別派を立てた親鸞・証空・一遍らの教えは、いずれも民衆を平等に救済する法然上人の念仏の精神をうけつぎ敷衍したものである。また栄西の臨済禅は、日本をもって禅法に機縁深き国として、持戒修禅の一法をもって広く民衆を導かんとしたものである。道元のごときは「人みな仏法の器なり、依行すれば悟りを得る」といって民衆に只管打坐の一行を説いた。また、日蓮は、『法華経』の要中の要は題目にあるとして、唱題の一行を広宣流布すべき時機にあたるといい、ひろく民衆に唱題の教えを説いた。これらは、いずれも法然上人の浄土開宗の精神と軌を一にするものである。要するに、法然上人の出現は、日本仏教の改革であるとともに、鎌倉新仏教開創の原動力となったものであり、また民衆仏教の創唱である。

(昭和57年度 浄土宗布教必携より)