◎第2章◎ 宗祖のご法語をいただいて
 一、極楽という人生のゴール

 
 
浄土宗布教師会中四国地区支部 棟久 了玄


如来大慈悲哀愍護念  同称十念

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
つつしみ敬って拝読し奉る。宗祖法然上人のご法語に曰く、
「十方に浄土多けれど、西方を願うは、十悪五逆の衆生の生まるる故なり」と。 (十念)
(「一紙小消息」=『浄土宗信徒日常勤行式』より)

 皆さんがお寺にお参りくださったこと、正面の阿弥陀さまはもちろん、皆さま方の大切なご先祖さまも本当に喜んでおられることと存じます。
 先日、亡き母の七回忌の法要を行いました。親族の中には嫁いだ三人の娘夫婦も帰ってきてくれて大変賑やかな法要でした。と申しますのも、母が往生した六年前はひ孫、私からみて孫は四人でしたが、なんとその倍の八人になったからです。大きい子はもう中学二年生、一番小さい子はまだ一歳。ほかに叔父さん叔母さんがいる中で、一生懸命に大きな声でお経本のふりがなをたどたどしく読んでいる孫たちでしたが、お念仏になるとみんなで木魚をたたき大きな声で「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」、中には「なむあみだぶちゅ」もありのお念仏でした。ひいばあちゃんはあの阿弥陀さまの極楽に行っとるんじゃね、と小さいながらに納得していた様子でした。本当にありがたいひと時でした。私は、お浄土の母もさぞ喜んでくれている、そんな思いで孫たちの様子を、目を細めて見ていました。
 法事の席で娘が紹介してくれた孫の絵本に、いもとようこさんの『かぜのでんわ』という作品があります。東日本大震災で大変な被害をうけた岩手県大槌町に、震災後実際に設置された「風の電話ボックス」をモデルにした絵本です。
 ある山の上に一台の電話機が置いてあります。毎日どうぶつたちがやってきて電話機に話をします。ある日たぬきのぼうやが、お兄ちゃんとまた遊びたいと言う。次の日はうさぎのお母さんが、ぼうやに子守唄をうたう。きつねのお父さんが、奥さんに話をする。
 この電話機はどこにも電話線はつながっていません。どうぶつたちは亡くなってもう会えなくなった人に想いを伝えるために電話をかけているのです。そんなある雪の日、線のつながっていないはずの電話がリンリンと鳴っています。管理人のくまのおじいさんが受話器をとってみると、雪は止み、数え切れないほどの星がきらきらと輝き始めました。私たちの想いは亡くなった人に通じるんですね。まるで「電話ありがとう……ありがとう……ありがとう……」と言っているようでした。
 私たちには「かぜのでんわ」はありませんが、法然上人のお念仏のみ教えがあります。お念仏によって亡き人と心がつながっています。亡くなられた方は西方極楽浄土から私たちを見守ってくださっています。
 近年、地球温暖化の影響からか大雨による水害、台風などの天災が多く、また事故や事件なども頻発し、大変な時代といわれるようになってきました。こうした今こそ、心のよりどころとなる宗教に救いを求めることが大切と思います。
 今日ご紹介するご法語は、法然上人のお言葉で、皆さんのお経本の中にも入っている「一紙小消息」といわれるものです。
 「一紙小消息」は「一枚起請文」に次いでよく拝読される法然上人のご法語です。法然上人のみ教えを具体的に示しているともいわれています。消息とはお手紙のことです。「一紙小消息」ということからして、一枚の紙に書かれた手紙として送付された短編のご法語といえると思います。
 どなたに送られた手紙かと申しますと、『和語灯録』という、法然上人が書かれたものをまとめた書物には「黒田の聖人へつかわす御文」とあります。一説には〝黒田の聖人〟とは東大寺の大仏再建で有名な重源上人ともいわれます。重源上人は大原問答への参加などから法然上人と交友があったと推測され、しかも東大寺領の荘園があった伊賀国黒田(現在の三重県名張市)には何度か立ち寄っておられます。
 ゆえに法然上人から〝黒田の聖人〟と呼ばれていた、とする説もありますが、実のところ明確ではありません。
 「一紙小消息」は、末法の時代の人々を極楽往生できる性質・能力に当てはめてみると、たとえ悪人であっても救われる、また一念十念の念仏であろうともお念仏すれば往生できること、さらに具体的にはどのような心持ちで念仏すればよいか、そして最後にはその念仏往生の確実性と素晴らしさが説かれています。法然上人のお念仏のみ教えを分かりやすく端的に示しているといえます。
 さて、最初に読ませていただきましたのは、その「一紙小消息」の一文です。

  十方に浄土多けれど西方を願うは十悪五逆の衆生の生まるる故なり。
 「十方に浄土多けれど」とは、仏さまの世界に浄土はたくさんあるが、その中で西方極楽浄土への往生を願うのは十悪や五逆罪という、仏教の中でも最も重い罪を犯した人ですら往生できるからであります。
 さらに続いて、諸仏の中で特に阿弥陀さまに帰依させていただくのは、三遍、五遍といったわずかなお念仏だけでも自らお迎えに来てくださるのは阿弥陀さま以外にないからであります。さらに様々な行がある中で、特にお念仏を極楽浄土に往生するための行とするのは、お念仏こそは阿弥陀さまが本願として誓われた行であるからです。
 以上の三つを仏教の言葉で所求しょぐ所帰しょき去行こぎょうと申します。
 私たちが求めているのは、極楽世界です。極楽浄土です。これが所求。
 私たちが帰依、おすがりさせていただくのは阿弥陀さまです。これが所帰。
 その阿弥陀さまに帰依して、極楽世界に往生させていただくにはお念仏を申すしかありません。このお念仏を申させていただくこと、これが去行です。浄土宗で一番大切な三本の柱です。
 求むるところは極楽世界、帰依し奉るは阿弥陀さま、そして西方極楽浄土に往生させていただく行はお念仏の一行です。これが肝要です。
 法然上人が活躍された鎌倉時代。今の大阪の東部にあたる河内の国に、天草の耳四郎という大強盗がいました。耳四郎は放火・殺人・強盗をして日々の生活を送っていました。ありとあらゆる悪事を重ね、京に出て盗人として生計を立て、その悪評は日増しに高まってきました。ある日、姉小路あやねこうじの白河御殿に忍び込みその屋敷の床下にいたとき、床の上では法然上人のお説教が始まろうとしていました。その床下で息をひそめる耳四郎、出るに出られなくなり、床下でじっとしていました。法然上人のお説教が耳に入ってきます。
 「どんなに悪業を重ねた人でも、そのままでは地獄に落ちるような人であっても、仏さまはいつも見守っておられます。そして救いの手をさしのべてくださいます」という話でした。耳四郎はいたく感動し、思わず床下からはい出て、上人の前にひれ伏してしまいました。周りの人は、さぞ驚いたことでしょう。耳四郎は「俺は幼いころから盗みがやめられず、人のものを盗んで豪遊し、とうとうこんな姿になった。こんな俺でも仏さまは救ってくださるのか?」と尋ねました。法然上人は穏やかな声で「必ず救われます」とお答えになられた。しかしそんなに簡単な答えではさすがに得心できずに、「どうして俺のように悪いものでも救われるのか?」と詰め寄ります。法然上人は静かに耳四郎の方に向き直り「耳四郎さん、よくお聞きなさい。この法然が助かるのですよ。こんな私のようなものでも助かるのだから、あなたが助からないはずがない」
 これを聞いた耳四郎は驚きます。
 大泥棒の耳四郎ですが、法然上人の庵を訪ね、ついには頭を剃り、名を教阿弥陀仏といただいてお念仏の信者になりました。
 まさに「十方に浄土多けれど西方を願うは十悪五逆の衆生の生まるる故なり」です。
 極悪非道だった耳四郎でしたが、極楽への救いを求めて、法然上人に帰依して、極楽世界に往生いたしました。これが所求と申されるものです。
 もうだいぶ前の話ですが、私の友人が四十歳という若さで極楽浄土に往生いたしました。
 趣味が多く、山にもよく登っていた友人。私のような馬車馬的な山登りとは異なり、山の空気を感じ、山草を見ては喜び、山のお花畑を楽しんで登る友人でした。冬にはマラソンをし、沿道の人を湧かしたランナーでした。
 当初、初期の大腸がんで入院していましたが、半年くらい経ったとき腸閉塞になりました。お見舞いに行くと「今日は調子がいい」と言って元気な姿を見せているかと思うと、また腸がおかしいと寝込んでしまうことがあり、入退院を一年くらい繰り返していました。
 今だったらもっといい薬があると思いますが、二十年余り前のことです。発病してちょうど一年目の頃、だいぶ調子がいいと社会復帰し会社にも行くようになりました。しかし食事に誘ってみると食べられたのは卵豆腐の角を少しと、コップのビールをなめただけでした。一か月位会社に行っていました。仕事がきつくないだろうかと心配していた矢先、奥さまから電話があり「腸閉塞が再発しました。今度は長引きそうです」とのことでした。
 見舞いに行ってみると、夕食時でしたがベッドの回りのカーテンを閉めて薄暗くしています。理由を聞いてみると「今回は絶食なんだ。何も食べられない」。じゃあ、テレビでもつけようかと申しますと、「テレビは今の時間、料理番組や食事のシーンが多いんだ。もう辛くて辛くて、週刊誌を見ても食べるところばかりが目に入って辛いんだ。絶食して一週間目位たったが、今が一番辛い」と、やせ細った顔で答えてくれました。
 それからも状態は良くならないまま一か月が過ぎた頃、「最近、無性に宗教が気になる。仏教の分かりやすい本を貸してくれないか? すべての宗派の載っている分かりやすいのがいい」と、このように申しますので、早速、仏教や宗教の入門書を何冊か届けました。「お前は宗派はどこだったか?」と聞きますので、付箋を指さして「付箋が貼ってあるところだ」と説明すると大きくうなずいて、「浄土宗か……法然上人……南無阿弥陀仏ととなえると阿弥陀さまの極楽世界に救われる……」。
 「しばらく本を借りていいか? 俺はもう長くないと思うんだ。自分の道は自分で決めたい」。このように申しますので、こみ上げる涙を抑えて「ゆっくり読めよ」と申してその日は帰りました。
 それから二か月経ったとき、「もう歩けなくなった。一人でトイレにも行けなくなった。もう何もできない。どこにも行けなくなった。……元気だったら、また山に行きたい。九重山のミヤマキリシマをもう一度見たい。滝にも打たれてみたい。座禅もしてみたい。でも……もう出来なくなった」と、涙ながらに語ります。
 「でも……今の自分、今の自分でもお念仏、南無阿弥陀仏はできる。これでいいのか、これでいいのか?」
 私が、大きくうなずいて「それでいいよ」と言うと、ベッドに寝たまま手を合わせ痩せて目が落ち窪んでいる、その眼に一杯涙をためながら蚊の鳴くような声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
 お十念をした友人でした。それから二週間後に極楽浄土に往生いたしました。
 「死んだら見てくれ」と言われて預かったという一冊のノートを、奥さまから見せていただきました。それには何もかも書いてありました。普段奥さまがお勤めのためか、自分の葬儀について、葬儀社にはすでに話をしているらしく、担当者の名前が記されていました。亡くなった時に会社に連絡する担当者の名前も、保険のことも。そして、これから自分はどうなるかも全て書かれていました。
 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……とお念仏をとなえた自分。その自分を阿弥陀さまが迎えに来てくださる。そして西方の極楽浄土に導いていただけるから何も心配しなくていい。自分のことは心配しなくていいから後を頼む」とも書かれていました。
 若くして盆栽をしたり、尺八を吹いたり、花を育てたり、大きな車に乗ったり、そして山登りだけでなく何もかもを経験し何でも興味を持ち、仏教と出会い、お念仏と出会い、最期を迎えた友人。
 その友人のことを今思い出すと、まさに「所求」私たちが求めるところの西方極楽浄土をめざし、「所帰」帰依するところで阿弥陀さま一仏に帰依され、「去行」南無阿弥陀仏のお念仏に救われた素晴らしい人生でした。  友人はマラソンランナーでしたが、私たちの人生もよくマラソンにたとえられます。マラソンには上り坂もあり、また下り坂もあります。それだけではなく人生のマラソンには〝まさか〟という坂まであります。友人も人生で何度かのまさかを体験しお浄土に旅立ちました。
 私も皆さま方も、みんなこの人生のマラソンを走っているんです。平たん路だけじゃない、山あり谷あり、そして〝まさか〟のある人生のマラソンで一つ一つを乗り越えながら走っています。人生のマラソンで辛かった時も、苦しかった時もあったでしょう。
 時には休憩をし、のんびり休んで「自分で自分をほめられるような」素晴らしい人生を送ってください。
 人生のマラソン、私たちランナーの両足を動かすのは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」です。ゴールは「西方の極楽浄土」です。そこには「阿弥陀さま」が待っていてくださいます。
 今日は「一紙小消息」の一文をお話しさせていただきました。
  十方に浄土多けれど西方を願うは十悪五逆の衆生の生まるる故なり。
 「十方に浄土多けれど」とは、世界に浄土はたくさんあるが、その中で西方極楽浄土への往生を願うのは、十悪や五逆罪を犯した人、極悪人の耳四郎のような人ですら西方極楽浄土に往生できるからであります。どのような方でも往生できる西方極楽浄土。
 私たちが求めているのは、誰もが生まれることのできる西方極楽浄土です。これが所求です。今日は所求についてお話をさせていただきました。西方の極楽浄土に旅立つため阿弥陀様を信じお念仏を申すことのできるありがたさ、これが浄土宗のお念仏です。
 最後になりますが、大きなお声で十遍のお念仏をおとなえしましょう。
 同称十念