4.如去から如来へ

そもそもさとりの境界とは、不可言説であり無相です。仏教学の大家であった山口益氏は、正覚を成就した釈尊が、説法する如来となったことに着目して、

仏陀(buddha・目覚めたる者)とは、真実に目覚めて、真実の世界(tathāta・真如)に到達した者・真実の世界に去って行った者(tathāgata→tathā+gata・如去)ということであり、如来とは、仏陀・如去として真実の世界に去って行った者という意味とは逆に、真実の世界より来生したる者(tathagata→tathā+āgata)ということである。それは、正覚を成就せる仏陀ということにおいて、迷妄(凡夫)の世界から真実(仏)の世界へ如去したという往相的な動向を、また、説法を開始せる如来ということにおいて、真実の世界から迷妄の世界へ如来したという還相的な動向を示している(14)
と述べています。山口氏は、「如去」と「如来」という語に着目して、仏には真如をさとるという側面と真如より来たりて法を説くという側面があることを指摘しています。これは「如去=智慧・如来=慈悲」とすることができます。釈尊がさとりを得たにも関わらず、即座に説法をしなかった理由とは、単に理解する人が少ないということと共に無相の境界であり不可言説である勝義真実を、相対的な俗世間的にあらわし出されることへの自己矛盾に対する絶望であると述べているのです(15)。 つまり、不可言説のさとりの世界を言語化することに対する矛盾が正覚後の釈尊の苦悩であったことを指摘しているのです。そして、この沈黙を破らせたのが一切衆生の済度のために説法をしてほしいという梵天の勧請だったのです。それによって、釈尊は「如去」から「如来」へ展開することになるのです。これについて山口氏は、
智慧の真実が大悲の説法となって相対的な世俗にあらわし出され世俗的となり、それによってわれわれ凡夫の救済が実現されていくあり方が、方便(upāya・近づく)といわれるのである(16)
と述べています。このことは、仏の体得せられた智慧(無分別智・勝義諦)が、衆生済度の慈悲(無分別後智・世俗諦)として展開することを表すものに他なりません。「仏方便」とは、仏が凡夫に近づくことですが、それは不可言説・無相の境界を凡夫が捉えられるように可言説化・有相化することなのです。
 さらに、山口氏は報身・受用じゅゆう身について次のように述べています。
まことに、報身・受用身とは、正覚の智慧が大悲の説法となって展開せんとする、すなわち、仏陀が如来となって展開し、説法をもって、一切衆生を救済せずにはおかないという智慧の意志・約束・本願である。それは、一切の自己矛盾をあえておかしても、そうせずにはおれなかった仏陀の苦悩そのものであり、仏陀が如来になったということの深い意味が、この報身・受用身といういい方の上に見られるのである(17)
 ここでは、智慧(無分別智・勝義諦)が、衆生済度の慈悲(清浄世間智・世俗諦)として展開する根拠に仏の智慧の意志及び本願があることを指摘しています。この論考から報身とは、体得した不可言説の智慧の境界を凡夫済度のために可言説という形によって凡夫に提示する仏身ということができます。すなわち、報身としての阿弥陀仏は、真如をさとった後にその境界を衆生に捉えられるように「報土」を構えられたのであり、それが極楽浄土の有相荘厳なのです。