二、「じゃあ、またね」


浄土宗布教師会東北地区支部 佐藤 康正

如来大慈悲哀愍護念  同称十念

   無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
つつしみ敬って拝読し奉る。宗祖法然上人のご法語に曰く、
「会者定離は常の習、今はじめたるにあらず。何ぞ深く歎かんや。宿縁空しからずば同一に坐せん。浄土の再会、甚だ近きにあり。今の別は暫くの悲しみ、春の夜の夢の如し。信謗ともに縁として、先に生れて後を導かん。引接縁はこれ浄土の楽なり」と。(十念)
(「ご流罪の時門弟に示されける御詞」=『御法語 後編』第二十九章)
ようこそのお参りでございます。暫くの時間、宗祖法然上人さまのみ教えをお取り継ぎさせていただきます。お楽にしてご拝聴くださいませ。
先日、ご主人の年回忌法事が終わりましたところ、お婆ちゃんから「おっさまー、そろそろ迎え来そうだハー」と切り出されました。
ご法事の後、お茶飲み話をしていますとよく耳にする言葉であります。
「こんなに元気だし、まだ先の話。もっともっとこっちにいてもらわないと」とこれまでは返しておりました。最近は、「それはよかったネー」と返すことにしております。大体は一瞬、空気が止まります。
「迎えに来てくれる人がいてよかったね。往くところがあってよかったね。それこそ安心だ。だったら先のことは何も心配いらないから、もうちょっとこっちで頑張りましょうよ」
 さすがに具合の悪そうな方には言えませんが。
お迎えを頂戴出来る、このような会話が出来ることをありがたいことと思います。そんなご縁の中に生活出来ていることが本当に幸せだと思います。
 以前、ある方から素敵な詩を紹介されました。秋田県二ツ井町が主催する「日本一心のこもった恋文」の大賞作品であります。柳原タケさん、当時八十歳の作品です。
 娘を背に日の丸の小旗を振ってあなたを見送ってからもう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのはほんのつかの間でした。三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは今どうしていますか。私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
 あなたは三十二歳の青年、私は傘寿を迎えている年です。おそばに行った時おまえはどこの人だなんて言わないでね。よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせてくださいね。
 お逢いしたら娘夫婦のこと孫のことまたすぎし日のあれこれを話し、思いきり甘えてみたい。
 あなたは優しくそうかそうかとうなずきながら慰め、よくがんばったとほめてくださいね。
そしてそちらの*きみまち坂につれていってもらいたい。春のあでやかな桜花、夏なまめかしい新緑、秋ようえんなもみじ、冬清らかな雪模様など、四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ愛情を支えにして生きてまいりました。もう一度あなたの腕に抱かれてねむりたいものです。
力いっぱい抱き締めて絶対はなさないで下さいね。
*きみまち坂…秋田県能代市内の自然公園。米代川を望む絶景地。
(詩の中で、天国で待っているご主人を思うタケさんですが、あちらの世界で待っている、と読ませていただきました)
大切な方との今生での別れほど辛く悲しいことはございません。声を聞きたい、また会いたいと思う気持ちは消えるものではございません。けれども亡くなった人は決して消えてなくなるのではない。心のどこかで、あちらの世界で待つ人になると信じているからこそ「どうかお護りくださいね」と、手を合わせてお願いをするのではないでしょうか。
    阿弥陀さまは私たち浄土宗徒のご本尊さまです。その阿弥陀さまが法蔵菩と名のられたご修行時代に、いずれはこの世を去らなければならないすべての人のために一つのお約束を誓われました。
 私が仏となったならば、すべての人々が心から信じ願って私の極楽浄土に生まれたいと望んで、十声でもお念仏をとなえたならば必ず救い摂ろう。もし一人でも往生できない者があれば私は仏にはなりません。
 どうぞお救いください、と心からお念仏申す私たちを、一人も漏らさず阿弥陀さまの極楽浄土にお連れくださるお誓いであります。いずれ旅立つ私たちが迷わぬようにと手を差し出しておられるのですから、このお約束に身を任せてただただお念仏申すばかりなのです。
 江戸時代後期の名僧徳本行者のお言葉に次のお示しがございます。
仏法は死ぬる法は教えはせぬ。死なぬ法を教えるのじゃ。
往生という字は、死ぬるという字は書きはせぬ。往き生まるゝと書くぞよ。
この通りに心得て、精出してお念仏を申さっしゃるがよい。 (『徳本上人勧誡聞書』)
 今「往生」という字を辞書で調べますと、死ぬこと、どうにもしようがなくなること、との記載があります。また、自然災害等のニュースの中で「○○のために新幹線が立ち往生しております」と報道されたりもします。ただ、この意味で使われ出したのは今に始まったことではなく、江戸の昔より使われていることが徳本行者の言葉からわかります。
「往生という字は、死ぬるという字は書きはせぬ」
 現在広く認知され、使われている意味がその言葉の意味として辞書に記載されるようですが、もともと「往生」と申しますのは決して難儀な目に遭うことをいうのではありません。
「往き生まるゝと書くぞよ」
 どうぞ素直にこの二文字をお読みいただきたいのでございます。
    冒頭に拝読いたしましたご法語は、法然上人が七十五歳にして四国への配流がくだされた折、身を案じ別れを悲しむ関白九条兼実公にお送りになられたお詞(ことば)でございます。兼実公は法然上人を師と仰ぐお弟子のお一人です。意味は次の通りです。
会う者が必ず別れるということは世の定めであって、今に始まったことではありません。どうして深く歎くことがあるでしょうか。過去の因縁が確かなものであるならば、〔極楽に往生して〕同じの台に座ることができるでしょう。浄土での再会は間もなくのことです。今の別れは、しばしの悲しみに過ぎず春の夜のはかない夢のようなものです。信じることも謗ることも共に縁として、先立つ者が残された者を導きましょう。縁ある人を迎え取ることは浄土での楽しみです。
(『法然上人のお言葉』総本山知恩院布教師会編)

 この世での別れは定めであります。私たちの力ではどうしようもないことです。しかしながら法然上人は、共にお念仏を申すご縁にある者はお浄土で再会を果たすことをお示しくださいました。
露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころは同じ 花の台ぞ
 朝露のように儚いこの身が、たとえどこで息絶えたとしても、あなたと私は必ずまた極楽のお浄土のの花の台でお会い出来ることでしょう。
 兼実公との別れを惜しみながらも、お浄土での再会を約束された法然上人のお歌であります。
 今生でのお別れは「さようなら」ではなく「じゃあ、またね」と、お浄土での再会をお約束してお見送りさせていただくのであります。
「浄土の再会、甚だ近きにあり」
 本当にありがたいお念仏の功徳であります。お念仏の教えに「お別れ」の言葉などないのであります。
 しかも、それだけで終わりではありません。
「信謗ともに縁として、先に生まれて後を導かん」
 懐かしい方々とお会いしましたならば今度は、お念仏を信じる人もそうでない人も、お念仏と何かしらご縁あった者同士、共々に導きましょうと呼びかけられます。それを「お浄土での楽しみ」と申される法然上人を、ただただお慕い申し上げるばかりでございます。

     Iさんは毎月十四日のお写経会に欠かさず参加されている奥さんです。何も記憶にはないけれども満州国で生まれ、三か月で父親と死に別れ、母におぶられてやっとの思いで日本にたどり着いたと母親から教えられたそうです。あれからもう七十二年になりますが、父親のことは仏壇にお飾りのたった一枚の茶色くなった写真でしか知りません。
「父親は私を産みっぱなしで往ってしまったのよ。産みっぱなし。ひどい話でしょ。だから向こうの世界に往ったら、真っ先に父親に会いたいのよ。会えるかな、会えるよね。私だけ違うところに往ったらどうしようかと思って」
大丈夫です。毎日お念仏手向けるIさんですから、必ずお父さまにお会い出来ます。阿弥陀さまがお誓いしてくださり、法然上人が極楽浄土での再会をお示しなのですから。その時をお父さまもさぞかし楽しみにしておられることでしょう。
 
    農家のYさんが旦那さんを亡くされて四年になります。旦那さんは寺の世話人も長く務められ、ご先祖さまをとにかく大切にご供養された方でした。また、当地では早くから有機農業を営み、ご夫婦手を取り合って試行錯誤を繰り返されてきたそうです。周りから色々と言われながらも二人三脚で苦労を重ね、今では押しも押されもせぬ大農家であります。何をするにもどこに行くにも、ご夫婦一緒だったそうです。
旦那さんの火葬の際、いまだに忘れられない光景があります。旦那さんの棺が火葬釜に静かにゆっくりと入っていくお別れのなか、参列者と共にお念仏でお送りしておりました時、Yさんが棺から手を離そうとせず一緒に釜の中についていこうとしたのです。
「何で一人だけ行くのやーとうちゃん。置いていくなー」
棺についていくYさんを息子さんが慌てて引き戻しましたが、釜の扉が閉まっても「一人でいくなー。置いていくなー」と何度も何度も声をかけ続けておりました。
 その夏、新盆のお参りでお宅にお伺いしましたら、玄関先まで詠唱の声が聞こえてきました。「詠唱始めたんですか?」と尋ねたところYさんが出てきて、「いいや、テープ、テープ。毎日お父ちゃんに聞かせてんのよ」。
 仏間に入ると仏壇前の座布団の上にテープデッキが座っておりまして、仏壇に向かって結構大きな音でお唱えしていました。「お父ちゃん耳遠かったからよ。私がここにいなくとも寂しくないようにと思ってよ」と。息子さんは「毎日うるさいけど、好きなようにさせてます」と微笑んでおりました。  お参りのなかで家族みんなでお念仏をおとなえし、終わってお茶飲みをしながら「何するにも父ちゃんと一緒。自分一人だけ先に往ってしまって、もう頭にくる。向こうで会ったら文句言ってやんのよー」と声を荒げておりました。けれども私には、旦那さんとお浄土で再会したその瞬間に、涙流して抱きついていくYさんの姿しか浮かんできませんでした。
 古歌に、
先き立たば おくるる人を 待ちやせん 花の台に なかばのこして
という歌がございます。
先にお浄土へ参ったならば、後から来る人をお待ちしましょう。極楽浄土のの花に、その方の席を半分お空けして。
 二人三脚で苦労を重ねてこられたご夫婦です。旦那さんは隣の席をしっかり空けて今か今かと待っているのでしょうか。それとも指定席でありますから、慌てないで俺の分も頑張ってこいと、悠然としてこちらを見護りながら待っているのでしょうか。
 一方Yさんはというと、命日には必ず自転車に乗って片道二キロを寺まで来られます。お墓に向かって「父ちゃん来たぞー」、位牌堂でも「父ちゃん来たぞー」。声が大きいからすぐにわかります。静かになった時は手を合わせてお念仏をお手向けなのでしょう。そのうち一人ブツブツと旦那さんにしゃべり始めます。住む世界は違ってしまっても、心通わす夫婦の姿はこれまで通りであります。
 お念仏のなかに生活があるから感応道交、あちらの世界とこちらの世界、仏さまと私はいつも気持ちが通い合うのでございます。
ただ心を致して、専ら阿弥陀仏の名号を称念する、これを念仏とは申すなり。
 法然上人のお示しです。阿弥陀さまの御名を心を尽くしてひたすら声に出しておとなえすれば、一人も漏らさず大切な方々がいらっしゃる極楽のお浄土に救い取られて参ります。阿弥陀さまのお約束なのです。そして百人いれば百人すべてが極楽のお浄土で懐かしい方と再会を果たします。
 お念仏申す私たちは往き先の確約をいただいておりますから、先のことなど何の心配もいりません。父と母から頂戴したこの命大切に、お念仏の生活の中に今を精一杯生きていくばかりでございます。
ただ頼め 頼む心の あるならば
南無阿弥陀仏を 声に出せよ
同称十念