はしがき


 「浄土宗二十一世紀劈頭宣言」の具現化を全ての活動において実現するために、浄土宗教師の意識改革・資質向上を目的とした教化研修会館(源光院)の事業をスタートさせました。
 浄土宗の布教指針は、申しあげるまでもなく、一年に一度発せられる浄土門主猊下の教諭を拝して、布教活動を進めていくものであります。一年一度でありますが、この先十年、二十年を想い、不変のみ教えを広めてまいりたいと考えました。とりあえず浄土宗開宗八百五十年を一つの 梃子テコとしてその先も進めていくつもりです。
 宗務庁内に宗祖法然上人八百五十年準備事務局を発足させましたが、記念事業を行うのではなく、僧侶養成、研修を目的とし、存在感ある浄土宗を目指すために、七年後に迎える八百五十年を実りあるものにしようと考えております。
 浄土宗には、宗祖法然上人の御遠忌、そして浄土宗開宗、高祖善導大師大遠忌、宗祖降誕会という、五十年に一度迎える勝縁があります。過去にはそれらを迎えるための記念事業が多く企画され、それなりの成果もありましたが、僧侶の意識が変化したかというと、そうではありません。
 浄土宗には総本山知恩院と七つの大本山があり、それぞれ教化事業を行っていただいておりますが、どちらかというとその施設の増改築、修繕等に主軸が置かれてきたように感じます。
 法然上人のお念仏のみ教えを檀信徒と共々に喜び、そして共生を目指すためには、何よりも僧侶の意識・資質が重要だと考えます。我々は宗祖法然上人がそのご一代で、何を思い、何を感じ、そして何をされたのか?それぞれに感じ方も違うでしょうが、これを考え続けていくことが教化者として必要なことではないでしょうか。
 ともすれば僧侶は、法要を務めていくに立派な佇まい、衣装、そして読経の声等に重きを置いてしまい、集まった檀信徒に教えを説くということが後回しになっているのではないか。「和顔愛語」と申しますように、やさしい言葉で皆さんに話しかけ、そしてみ教えを伝えることを忘れてはなりません。
 葬儀、法事は大切な僧侶の仕事でありますが、布施等が経済活動と見られ、多くの批判があります。世間の評価からは、僧侶の行動、言動が大きく影響していることが予想されます。浄土宗総合研究所等の調査によれば、仏教に対して良いイメージを持っている人は九十%以上あるそうです。これが寺に対してというと二十五%に減少し、そして僧侶に対してとなると十%だとあります。大いに反省しなければならないと感じました。
 一方、同じ調査でありますが、僧侶に対して求めるものを訊いたところ、一位が人徳の高さ、二位が法話の上手さ、三位が親しみ易さであったとのことです。
 僧侶に対する評判は、悪いことばかりではありません。今でも僧侶に期待しておられる人も多いわけです。メディアが取り沙汰するのは悪いことが多く、特に僧侶の悪行となれば扇情的に取り上げられるようであります。
 しかし反面、これらはまだまだ僧侶に対する信頼度があることを示しているものだと感じます。僧侶なのに、という評価がされるのは、僧侶とは立派なものであるとの認識があることを表しています。
 そんな今だからこそ、最後のチャンスといえるのではないでしょうか。我々浄土宗の僧侶は宗祖法然上人の教えを忘れることなく、つまりしっかり愚者の自覚をし、多くの檀信徒そしてその他社会の人々と共にあるということです。いま一度、であります。
 先日ある研修会で、講師の先生が述べられた言葉が素晴らしいと思いました。「自行、化他、そして品行方正」というものです。シンプルで、わかり易くて、良い言葉だと思いました。我々浄土宗僧侶は、この言葉を大切にしたいものであります。
 毎年一回発行しておりますこの『布教羅針盤』、はしがきを書かせていただいて六回目になります。
 布教師会の先生方を中心に、それぞれのお考えを述べられている「法然上人のご法語をいただいて」を私も毎回拝読しておりますが、大変勉強になります。浄土宗僧侶の本懐は、法然上人のお言葉をしっかり身につけ、そしてそのみ教えをを言葉として多くの人々に語りかけていただくことに尽きると考えております。
 布教活動を行っていくためのツールや材料は種々あるわけで、その中で何を選んで話すか、というのは僧侶の裁量にあると存じます。
 私の大好きな法然上人のお言葉に、「教うるに人もなく、示すに輩もなし」を挙げておきます。我々には教うるにも示すにも法然上人がおられます。ありがたいことです。
社会に慈しみをそして世界に共生を
 『布教羅針盤』、平成二十九年度版をお届けします。

 合 掌

 平成二十九年 四月

浄土宗宗務総長 豊岡鐐尓



 ●布教方針●

 テーマ
 「凡入報土(救われていく道)」

 我、浄土宗を立つる心は、凡夫の報土に生まるることを、示さむためなり。
(『法然上人行状絵図』六)

私が浄土宗を立てた意趣は、凡夫が阿弥陀仏の報土に往生できることを示すためである。
(浄土宗総合研究所編『現代語訳 法然上人行状絵図』より)

 法然上人のこのお言葉(心)が、我(法然上人)から我々(全浄土宗教師)に与えられたと認識したとき、全浄土宗教師の行動理念たるものと考えます。すなわち、「示さむ」という意志に基づく自行化他の行動、教化活動こそが浄土宗教師のつとめでありましょう。
 平成三十六年に浄土宗開宗八百五十年を迎えます。本宗の布教方針は、約八百五十年前に法然上人が専修念仏の法を確信し、やがて世に布教されたように、開宗の教えである「ただひたすらに称名念仏を修する専修念仏」を伝えることにあり、その行動指針は「凡夫の報土に生まるることを示す」ことに尽き、法然上人のご法語を通じ、救われていく道を布教することであります。
 この布教方針は、『浄土宗二十一世紀劈頭宣言』(愚者の自覚を・家庭にみ仏の光を・社会に慈しみを・世界に共生を)に活かされているとおりです。
 浄土宗の理想とする教師像は、寺院にて、社会にて、人々の集うところで、さまざまな所で、さまざまな機会に、「立教開宗のこころ」を伝える人であります。