12.『登山状』を布教に生かす

 さて、この『登山状』をどのように布教に生かすかということですが、まずは檀信徒の前で、もしくは檀信徒とともに声に出して拝読することかと存じます。なぜなら、『登山状』の美しい文章は、自身で唱えても、また耳で聞くだけでも、誠に心地よいからです。(18)意味が十分にはわからなくとも、その心地よさそのものがちょっとした宗教的法悦をもたらす可能性があります。意味も部分的なら聞いただけで理解可能な箇所もございます。
 また、その美文に関心を持っていただいたら、今度はそこから内容に入ってゆければ、より好ましいといえるでしょう。『登山状』はある意味、仏教の基本中の基本、仏教の入口として最も大切な点を説いていますので。
 現在の日本仏教は総じて先祖供養に相当にかたよっており、仏教徒、檀信徒といっても、自身の悟り(浄土宗の場合は直接的には往生)を意識して修行(もしくは念仏)している方はそれほど多くないというのが現状ではないでしょうか。そうした中にあって、「この世を厭い離れ、悟り(もしくは往生)を目指すべし」という仏教の王道を説く『登山状』は、本来の仏教の目指すべきところを、檀信徒等に再認識していただくためのよい布教手段になるかと存じます。ただし『登山状』はあまりにストレートに仏教の基本を示しているために、先にも申しましたように、現代の日本人には少し受け容れがたい部分があるのも否めませんので、そこは適宜、トーンダウンするなり、もしくは受け容れやすいように読み替えるなどする必要はあるかもしれません。要は、最終的にその基本的内容・精神が伝わることが大切といえるでしょう。今の日本仏教においてはその点がなかなか伝え難いところですので。
 繰り返しとなりますが、『登山状』は『一枚起請文』も『一紙小消息』も強調していなかった点、しかも仏教徒にとっては大事な点を説いています。(19)『一枚起請文』『一紙小消息』と並んで、『登山状』の拝読や『登山状』に基づく説法が今より盛んになることを、心より念じる次第です。




(1)ただし、内容的には弁明の度合いがあまり強くないので、もう少し以前の成立ということもあり得るかもしれません。
(2)ただし、実は門弟への誡めの部分も、もしかすると「このように私も門弟を誡めているので、叡山の方も念仏者を批判しないように」という意図で書かれた可能性もありますが。
(3)たとえば『選択集』末尾の「浄土の教、時機を叩(たた)いて行運に当り、念仏の行、水月を感じて昇降を得たり」(聖典三・一九○頁)。この一文では対句と隠喩の両方が使われています。なお、法然法語中、対句は少なからず使用されますが、隠喩の使用例はあまり多くはありません。
(4)なお、第Ⅱ段以降も内容的に法然上人らしくない教説があったり、第Ⅱ段にはかなり修辞技巧が見られたりと、法然上人の真撰を疑うべき要素はありますが、全体としてはおおよそ法然上人の教えが反映された内容といえます。
(5)澄憲法印の孫弟子に当たる信承法印の撰とされます。
(6)永井義憲『日本仏教文学研究 第三集』(新典社、昭和六〇年)四〇五~四一一頁に翻刻が掲載されています。
(7)『みょう しんぎょう しゅう』には、法然上人が「私の滅後、念仏往生の教えを正しく説くことのできるのは聖覚と隆寛である」とおっしゃったと伝えられています(大谷大学文学史研究会編『明義進行集 影印・翻刻』一五八頁)。
(8)もしかすると、法然上人が口頭でそのような趣旨を伝えられたのに対し、聖覚法印がそれなら自身が以前に作成した文章で代用できると考え、自分の文章を援用されたということかもしれません。また、そのような操作そのものを、法然上人も認めておられた可能性も否定はできません。
(9)実は『登山状』の場合、『拾遺和語灯録』や『法然上人行状絵図』所収の原文と、私たちが普段拝読している原文の間には少し違いが見られます。
(10) 実際にはさらにほんのわずかながら、そこに私独自の変更を加えてあります。
(11)過去七仏や他方仏などの教えからすると、釈尊以前にも仏教の教えは説かれていたことになりますが、少なくとも、現在広まっている仏教は釈尊に始まるといえます。
(12)『雑阿含経』(大正蔵二・一○八頁下)、『大般涅槃経』(大正蔵一二・四九八頁下)など、多くの経論に見られる有名な譬えです。
(13)『日本書紀』に示された仏教公伝の年とされます。なお、十月は旧暦では冬となります。
(14)いずれも中国の故事ですが、有名な和歌・漢詩を集めた十一世紀初頭成立の『和漢朗詠集』、および十一世紀中頃成立で日本の漢詩等を集めた『本朝文(もん)粋(ずい)』を直接的典拠としていると考えられます。
(15)ただし、石崇はその後ろ盾であったひつが失脚すると自身も官を罷免され、更には賈謐に替わって権力を掌握した趙王倫の部下から、寵愛していた妓女緑珠を差し出すよう求められます。結局、緑珠は金谷園の高楼から身を投げ、石崇は殺されるという悲しい歴史も秘めています。
(16)「流転三界中」で始まる有名な「報恩偈」でも、世俗的な報恩より無為(=悟り)をめざすことこそが真実の報恩であると説かれています。
(17)この一文は道綽『安楽集』(浄全一・七○六頁下)に「経に云く」として引用され、良忠『安楽集私記』(浄全一・七四六頁下)ではその経とは『浄度菩薩経』を指すとされますが、『浄度菩薩経』に相当すると考えられる『浄度三昧経』の現行本では、この一文は見あたりません。
(18)私の個人的な経験ですが、『登山状』を拝読した際、法要後、「本当に聞いていて心地よかったです」という感想を述べられた檀家さんがおられました。
(19)『登山状』の説くところはすべての仏教徒に当てはまる事柄です。よって、他宗の方も参列しておられる法事などの際の法話としては、テーマ的には取り上げやすい面があるかもしれません。

*訂正*

 平成二十七年度『布教羅針盤』に掲載されました拙稿「『一紙小消息』の心―凡夫往生の喜び」の原文・現代語訳に関し訂正がございます。
 二四頁の二行目から三行目にかけて、上段に原文として「罪根ふかきをもきらわじとのたまえり」とあり、下段にはその現代語訳として「〔阿弥陀仏は〕罪深き者をも嫌わないと仰っている」という訳文をつけましたが、この訳文中の「阿弥陀仏」は「法照禅師」とすべきというご意見を読者から頂戴しました。
 確かに法洲『小消息講説』(『大日比三師講説集』二七八頁)などによりますと、この箇所は法照『五会法事讃』(浄全六・六八六頁上)の「彼の仏、因中に弘誓を立てたまえり。名を聞きて我を念ぜばすべて来迎せん。(中略)破戒と罪根深きをも簡(えら)ばず」に基づくとされていますので、その場合、「のたまえり」の主語は阿弥陀仏ではなく、法照禅師となります。少し後に現れる「自身はこれ煩悩具足せる凡夫なりとのたまえり」の「のたまえり」の主語(すなわち「自身」)は善導大師であることは明らかなことからして「罪根ふかきをもきらわじとのたまえり」の主語も、同じ中国の人師である「法照禅師」の方がより好ましいともいえます。そうしますと、その場合、現代語訳は、「〔法照禅師は、阿弥陀仏が〕罪深き者をも嫌われることはないとおっしゃっている」となりましょう。