7.〈第一段〉 釈尊に出会えなかった悲しみ

 以下では、語句解説などもしつつ、一段ずつ内容を紹介していきます。

【原文】

 (一)それろう さんがいのうち、 何れの さかいに趣きてか釈尊の出世にわざりし。
 (二)輪廻しょうの間、 何れの しょうを受けてか如来の説法を聞かざりし。
 (三)華厳開講のむしろにも交わらず、般若演説の座にも連ならず、 じゅ せっぽうの庭にも臨まず、 かくりん はんみぎりにも至らず。
 (四)我れしゃさんのくの家にや宿りけん。
 (五)知らず、地獄八熱の底にや住みけん。
 (六)恥ずべし、恥ずべし。悲しむべし、悲しむべし。

【語句解説】

●三界…よっかいしきかいしきかい という三つの迷いの世界のことで、生きとし生けるものはこの三界を輪廻するとされる。欲界とは欲望の境地で六道を指す。色界は欲望は離れたが物質が残る世界、無色界とは精神のみが残る世界。ただし無色界も最上の悟りの世界ではない。
●四生…すべての生き物を胎生・卵生・湿生・化生という四つの生まれ方で分類したもの。胎生とは母胎から生まれたもの、卵生とは卵から生まれたもの、湿生とは湿ったところから自然にわき出してきたもの、化生とは何もないところに忽然と生まれたもののことで、天人や地獄の衆生などがそれにあたる。
●知らず…文頭で用いられると「さあ、どうだか」ほどの意味となる。
●地獄八熱…地獄に八熱・八寒・孤独の三種があるとされるうちの一つで、八熱地獄、八大地獄ともいう。焦熱で苦しめられる等活・ こくじょうしゅごうきょうかん・ 大叫喚・ しょうねつ・大焦熱・ けんの八つの地獄のこと。

 仏教は釈尊に始まります。(11) ですから、教祖である釈尊から直接教えを聞くことができれば、仏教徒にとってはこれほど素晴らしいことはありません。もし、直接に教えを授かっていたならば、私たちもすでに悟りを開いていた可能性が十分あります。なぜなら、釈尊はそれほどに指導者としても優れておられたと思われるからです。釈尊にしろ法然上人にしろ、遺された教えに基づいて理解・実践するよりは、ご本人から直接教えを授かる方が断然、効果的であるというのは間違いないでしょう。
 ですから、本当は直接に教えを受けたかったのですが、残念ながら、私たちはそれができませんでした。釈尊がこの世にお出ましになったとき、きっと人間以外の生を受けたり、他の場所にいたりしたと考えられます。そのことを本当に残念なことと嘆いているのが、この一段です。
(三)の一文は天台宗の教相判釈である「五時」の教えに基づいて述べられています。それによると、釈尊は悟りを開いた直後の三週間に『華厳経』の教えを説かれたが(華厳時)、難しすぎるので鹿(ろく)苑(おん)で十二年間、小乗の教えを説き(鹿苑時)、その後、八年間にわたって少し高度な大乗経典(=ほうどう経典)の教えを示し(方等時)、続く二十二年間は「般若経」を説法し(般若時)、 そしてついに成道後四十余年にしてりょう じゅせんで『法華経』を開示され、最期の涅槃の折に補説として『涅槃経』を説き示されたとされます(法華涅槃時)。「華厳開講」「般若演説」はこのうちの華厳時と般若時にあたり、「鷲峰(=霊鷲山)説法」は『法華経』の説法、「鶴林涅槃」とは『涅槃経』の説法を意味します。そのいずれの場所にも私はいなかったという嘆きです。なお、「鶴林」とは釈尊の臨終の際に周りに生えていた沙羅双樹の林が、釈尊入滅の悲しみのあまり瞬時に白く枯れ、それがあたかも鶴のように見えたことを指し、ひいては釈尊の入滅そのものを意味する言葉ともなりました。  いずれにせよ、釈尊在世の時、自身は残念ながら地獄かどこか別の境涯を輪廻していた可能性が高いのですが、もしかすると釈尊のすぐ近くにいながらそれに気付かないでいたかもしれません。それが「舎衛の三億の家」です。『大智度論』(大正蔵二五・一二五頁下)などでは、釈尊が舎衛城で説法されていたとき、舎衛城には九億の家があったが、そのうちの三億は釈尊と会って教えを聞いたものの、別の三億は釈尊のことは知っていたが会うことはなく、残りの三億は釈尊の名前すら知らなかったと述べられています。この『登山状』での「舎衛の三億の家」はまさに最後の、名前さえ知らなかったという三億の家を指します。近くにいても、関心や機縁がなければみすみす素晴らしい機会も逃してしまうということでしょう。