5.『登山状』の原文と現代語訳
以上、『登山状』の文献的な事柄について解説しましたので、次に内容を紹介します。最初に原文と現代語訳を挙げておきます。原文は知恩院発行の『平成新版元祖大師御法語』(前篇)の第一、二十一、二十二章に引用されているテキストに基づくこととします。 (9)ただし、直接には漢字表記等でさらなる改訂を加えた『法然上人のお言葉―元祖大師御法語―』(知恩院浄土宗学研究所編集委員会編、総本山知恩院布教師会発行)所収版を利用します。(10)また、段落は筆者の判断で五段に分けることとしました。
【原文】 | 【現代語訳】 | |
第一段 |
(一)それ |
(一)そもそも〔私はその時、輪廻の世界である〕三界(= |
(二)輪廻 |
(二)四生(= |
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(三)華厳開講の |
(三)〔釈尊が成道直後に〕『華厳経』を された時にもそこに参加することはなく、〔成道後三十年から四十二年の間に〕『般若経』を講説された〔その折りの〕座にも |
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(四)我れ |
(四)〔その時〕私は〔釈尊が〕 |
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(五)知らず、地獄八熱の底にや住みけん。 | (五)それとも、さあどうなのかわからないが、八熱地獄の底に沈んでいたのであろうか。 | |
(六) 恥ずべし、恥ずべし。悲しむべし、悲しむべし。 | (六)〔いずれにせよ〕恥ずべきであり、悲しむべきことである。 | |
第二段 |
(一)まさに今、 |
(一)〔ところがこのたび幸いになことに〕まさに長い長い時間を費やして何度も何度も生まれ変わっても生まれることの難しい人間の世界に生まれることができ、無量劫というとてつもない長い時間を送っても巡り遇うことの難しい仏教に巡り遇うことができた。 |
(二)釈尊の在世に遇わざることは悲しみなりといえども、
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(二)釈尊がこの世におられた時にお会いできなかったのは悲しみではあるが、仏教の教えが流布している世に巡り遇うことができたのは、〔まさに〕喜びといえる。 | |
(三)譬えば目しいたる亀の、浮き木の穴に遇えるがごとし。 | (三)ちょうど、盲目の海亀が〔海面に浮かび出た時、たまたま海面に浮いていた〕浮き木の孔に遭遇するようなものである。 | |
(四)我が朝に仏法の流布せし事も、欽明天皇、 |
(四)我が日本に仏法が流布するようになったことを例にとってみても、〔次のようなことがいえる。〕欽明天皇が天下を治められるようになって十三年目の壬申の年(=五五二年)冬十月一日に〔百済の |
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(五)それより |
(五)それ以前には、〔釈迦〕如来の説かれた教えは〔日本には〕流布していなかったので、〔人々は〕悟りに至る道について〔残念ながら〕未だ聞き知ることができなかった。 | |
(六)ここに我等、いかなる宿縁に応え、いかなる |
(六)ところが、私たちはいかなる前世の縁の果報としてか、〔また〕どのような善行によってか、仏教が流布している時代に生まれ、生死輪廻から解脱する方法を聞くことができたのである。 | |
(七)然るを、今、遇い難くして遇うことを得たり。 | (七)そのようにして、今〔私たちは〕巡り遇うのが難しいにもかかわらず、〔仏教の教えに〕巡り遇うことができた。 | |
(八) |
(八) |
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第三段 |
(一)あるいは |
(一)〔それにもかかわらず、私たちは〕ある時は、〔晋の官僚であった |
(二)あるいは千里の雲に馳せて山の |
(二)もしくは、千里を流れてゆく雲に思いをはせつつ、山の鹿を捕って年を送り、もしくは万里も続く波の上に浮かんで海の魚をとって日々を重ねている。〔また〕もしくは厳寒の中で氷〔の冷たさ〕に堪え忍びつつ〔日々の〕生計を立て、もしくは炎天下に汗を拭いつつ〔日々の〕 |
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(三)あるいは妻子眷属に |
(三)もしくは、妻子や一族郎党の者たちに頼りにされて、恩とか愛とかといった〔世俗的な〕絆を断ち切ることができないでいる。あるいは敵対する者や自分に恨みを持つ者に遭遇して、 |
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(四)惣じてかくのごとくして、昼夜朝暮、行住座臥、時として止むことなし。 | (四)総じてこのように、昼夜朝暮〔を問わず〕、動いていても |
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(五)ただほしきままに、飽くまで |
(五)ただただ、自分の思いのままに、尽きることなく三悪道(=地獄道・餓鬼道・畜生道)や八難という〔悪い結果の因となる〕行為を重ねている。 | |
(六)然れば或る文には、「 |
(六)だから〔『浄度菩薩経』(『浄度三昧経』)中の〕ある文に「一人の人において一日のうちに八億四千の |
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(七)かくのごとくして、昨日も徒に暮れぬ。今日もまた虚しく明けぬ。 | (七)このようにして昨日も徒に暮れ、今日もまた虚しく明けてゆく。 | |
(八)いま幾たびか暮らし、幾たびか明かさんとする。 | (八)〔このようなままで〕あと幾たび、日を終え、夜を明かすというのか。 | |
第四段 |
(一)それ、 |
(一)そもそも、朝に開く栄花の花は夕方の風によって簡単に散ってしまい、夕方に結ぶ命の露は朝の光で容易に消えてしまう。 |
(二)これを知らずして常に栄えんことを思い、これを |
(二)〔ところが人というものは〕このことを知らないで、永久に栄えるように願い、このことを理解しないで〔自分は〕いつまでもこの世にあると思っている。 | |
(三)然る間、無常の風ひとたび吹きて、 |
(三)〔でも〕その間に、無常の風がひとたび吹き、〔それによって〕有為(=因によって生成された事象)〔という存在である命〕の露が永久に消え去れば、これ(=遺体)を広野に捨て、これ(=霊魂)を遠き山に送る〔こととなる〕。 | |
(四) |
(四)屍は最終的には苔の下に埋もれ、魂は寂しく旅の空のもとで迷い続ける。 | |
(五)妻子眷属は家にあれども伴わず、七珍万宝は蔵に満てれども |
(五)妻子や一族郎党は家にいても同道してくれることはなく、
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(六)ただ身に随うものは |
(六)ただ身に付き従うのは〔なぜ命ある間に仏道修行を積んでおかなかったのかという〕後悔の涙だけである。 | |
第五段 |
(一)遂に閻魔の庁に至りぬれば、罪の浅深を定め、業の |
(一)〔死後〕ついに閻魔の庁に至ったならば、〔閻魔王によってその人の〕罪の浅深が定められ、〔生前の悪〕業の重い・軽いが判定される。 |
(二)法王、罪人に問うて曰く、「汝、仏法流布の世に生まれて、何ぞ修行せずして徒らに帰り来たるや」と。 | (二)その時、閻魔王はその罪深き人に問うて言う。「汝は仏教の教えが流布している世に生まれながら、どうして修行しないで、むなしく〔この輪廻の世界に〕帰ってきたのか」と。 | |
(三)その時には、我等いかが答えんとする。 | (三)その時に私たちはどのように答えようというのか。 | |
(四)速やかに |
(四)〔だから今〕速やかに〔迷いの世界から〕抜け出ることを求めて、むなしく〔この輪廻の世界に〕帰ってくることがないように。 |