3.執筆者の問題
このように、本法語全体は門弟もしくは念仏誹謗者への誡めが中心となっているのですが、「法然上人御法語」として拝読される第Ⅰ段は、内容的にほとんどそのようなテーマとは無関係な一段といえます。つまり『登山状』全体の中では異質であるということです。
そしてこの第Ⅰ段の異質性は、実は『登山状』のみならず法然上人ご法語全体からしても指摘され得ます。そうすると、この一段は偽撰の可能性が高いということになるわけです。その異質である理由を以下に列挙してみましょう。
まず、第Ⅰ段はかなり長文であるにもかかわらず、そこに、念仏も阿弥陀仏も浄土往生も全く説かれていないことが挙げられます。これだけ長文に渡って浄土の教えが説かれないご法語は、法然上人の場合、皆無といっていいでしょう。
さらには「霊魂」という意味で「たましい」という語が用いられていますが、そのような例も他の法語には一切見られません。
そして何といっても、文体が法然上人らしくありません。そもそも法然上人の文体は飾り気がなく質素です。それに対し、『登山状』第Ⅰ段は、対句や隠喩(メタファー)などの修辞技巧を凝らした美文で全体が貫かれています。もちろん、法然上人も修辞技巧を使った表現をとられることはありますが、(3)散発的といえます。
よって、以上のような理由から、少なくとも『登山状』第Ⅰ段は法然上人の文章ではないと考えられるわけです。(4)では、誰の文章かというならば、おそらく法然上人の門弟の一人である聖覚法印であろうと推測されます。なぜなら、先にも紹介したとおり、『法然上人行状絵図』巻三二において、『登山状』は「聖覚法印に筆を執らしめ」と記されているからです。もちろん、聖覚法印は法然上人のおっしゃったことをそのまま筆記しただけという可能性もありますが、少なくともこの第Ⅰ段は、その文体からして、聖覚法印の文章である可能性が高いといえます。
聖覚法印(一一六七―一二三五)とは天下随一の唱導家(説教師)で文章家としても名をはせた人物で、父の澄憲法印の後を受けて、安居院流の唱導を大成した人とされますが、この『登山状』第Ⅰ段はまさにその唱導家の文章といえるからです。
まず、語調が極めてよく、修辞技巧を凝らした美文調の文章は、唱導家が得意とするところといえます。さらに、この第Ⅰ段では『和漢朗詠集』の「金谷・南楼」の故事が引用されていますが、このような故事をもとに文章を作るのも、唱導家の文章作法の特色です。
また、『登山状』第Ⅰ段で、「この迷いの世界を厭い離れ、ひたすら悟りを求めるべき」ということが一貫して説かれているのは、唱導家の文章規則に則ったものといえます。実際、安居院流の唱導の法則・心得などを説く『法則集(5)』(一三世紀後半成立、天台宗全書二○・六八頁上)では、説法中何度でも「厭離穢土」、すなわちこの生死輪廻の世界を厭い離れよということを説くべき、と述べられています。
さらに、唱導の実例を記した金沢文庫蔵『餓鹿因縁(6)』(鎌倉末期書写)の後半は、『登山状』第Ⅰ段と構成・内容がかなり一致しており、類似表現も何箇所か指摘できます。
このようなことからすると、『登山状』第Ⅰ段が唱導家の文章であるのはほぼ間違いないといえます。そしてその唱導家は誰かというならば、当然、『法然上人行状絵図』の記事からして聖覚法印ということになるでしょう。
聖覚法印は法然上人の信頼も篤く、(7)『送山門起請文』でも筆を執っておりますが、やはりこの『送山門起請文』も故事を援用し、しかも美文調であることからして、『登山状』第Ⅰ段、『送山門起請文』ともに、実質的には聖覚法印の文章と推測されることとなります。