はしがき

 平成二十三年十一月、宗務総長に任ぜられて以来、理念を掲げ、宗務宗政を担当させて頂きました。結果として、目的達成とはまいりませんでしたが、それなりに務めてきたという自負はあります。その結果、昨平成二十七年十一月の宗議会において、あと四年、しっかりやれということでしょうか、総長に再任して頂きました。協力、努力をして頂いた内局、職員、そして宗議会の皆様のご期待に応えるべく、身を引き締めているところです。
 過去四年間のなかで、遅々たる歩みではありますが、宗門僧侶の意識改革、資質向上を目指し、八百年大遠忌の僧侶養成のための予算で、総本山知恩院内に研修施設を設けることができました。本平成二十八年四月八日を期して落慶し、十月一日より研修機構をスタートさせる運びとなりました。いずれ『宗報』等でお報せ致しますが、大きな希望を持って推進してまいりたいと存じます。
 浄土宗僧侶にとって何より大切な、檀信徒とのふれあい、そして信頼関係の構築という目標を達成するためには、日頃からの研修・研鑽が必要であることは言を俟ちません。しかし、研修を受けたいけれど、どこへ行ったらいいのか、何を勉強したらいいのか、といった悩みを聴かされることも度々です。そういったことにお応えするのが、今回のこの研修機構なのであります。
 毎年発行いたしますこの『布教羅針盤』誌上には、必ず浄土門主猊下の教諭が示され、それに対して布教委員の上人が「教諭を拝して」と題し解説をして頂いております。ここ数年は、その他に、「宗祖のご法語をいただいて」ということで、それぞれの上人がご寄稿されております。  我々浄土宗僧侶は、まず何よりも宗祖法然上人のお言葉であるご法語を知らねばなりません。法然上人がその人生の中で、これだ、と確信された「教え」そのものが述べられているものです。
 その法然上人の「こころ」を、ご門主猊下が教諭として示されているこの『布教羅針盤』、是非、熟読・吟味され、日頃のご活動の指針として頂きたく、お手元にお届けしております。
 昨今、僧侶の不祥事が多発し報道されたり、また、葬儀・法事・戒名・墓地等々について、間違った論評が横行したりしております。それはそれでけしからぬことでありますが、残念ながら、我々に反省すべきところなしとは申せません。僧侶が日頃から檀信徒の皆様に接するとき信頼を得、尊敬を受けるためにも、人一倍の努力・研鑽が必要なのであります。
 一旦僧侶の資格を得たからそれで良しということではなく、日々、刻々と変化する世の中に対して、僧侶としての見識は当然のこと、宗教仏教関係の知識もまた当然ですし、社会人としての平均的教養は無視できません。政治、経済、歴史、文化、科学など、あらゆる分野での学び、また法然上人が現代におられたらどうされるか等想定し、考えてまいりたいものです。
 私共浄土宗僧侶は、檀信徒の指導者であるとともに、公僕なのであります。くどいようですが、これには日頃の研修・研鑽しかありません。寺院の存在に対する世間の評価は、大切だということを万人が認めております。信仰も、それぞれの信心が必要であるというアンケート結果が出ております。
 これらに比して、僧侶が必要かという問いについては数値が激減します。今、このときに、何らかの行動を示さねば、見放されてしまうことは必定です。僧侶が必要なのは葬儀・法事のときだけ、それも実際に大事なのは僧侶ではなく場所・施設があれば良いといった乱暴な意見も出されております。
 我々は何よりも、そんな世間の評価に右顧左眄することなく、法然上人の心を心とし、「浄土宗二十一世紀劈頭宣言」にあるように、しっかりと「愚者の自覚」をし、檀信徒と共にある寺院・住職・僧侶でなければなりません。
 これから迎える高齢化時代=多死社会において、そして少子化の時代において、何をなすべきかを改めて考えてみたいものです。
 この時代に必要とされる人、その資質とは何であるか、とにかく切磋琢磨し、教養を高め、様々な「心の問題」に対応できる人、そして何よりも「命の問題」に直面したときに相談を受ける人、それは僧侶なのであります。我々浄土宗の僧侶は、素晴らしい祖師・法然上人を戴いております。法然上人の心を心とし、そして決して驕ることなく愚者の自覚を持つ人となるためのひとつのよすがが、この『布教羅針盤』なのであります。  再々申しますが、ご法語には、法然上人が勉学されたエキスが盛り込まれています。熟読されますようお願いいたします。

 合 掌

 平成二十七年 四月

  浄土宗宗務総長 豊岡鐐尓