四、如来の光明摂取し給う
如来大慈悲哀愍護念 同称十念
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
つつしみ敬って拝読し奉る。宗祖法然上人のご法語に曰 く
「『観無量寿経』にいわく、一々の光明、遍く十方の世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨て給わず」と。(十念)
(『元祖大師御法語』前篇第二十六章)
はい、ありがとうございます。しっかりとお念仏をおとなえいただき、誠に尊いことでございます。どうぞお姿をお楽にして、ご聴聞をいただきたく存じます。
このたび、尊いご縁をいただきまして青森県外ヶ浜町の松壽寺から参りました石田孝信と申します。短いお時間ではありますが、共々にお念仏の信仰が深まるよう努めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
本日の法話会は、宗祖法然上人のみ教えの中から、「如来の光明摂取し給う」、つまりお念仏する私どもを、阿弥陀仏はどのようにお救いくださるのか、別な言い方をすると、お念仏するとどのようになるのか、なぜお念仏するのか、などということについて、お取り次ぎさせていただきます。
早速ですが、先ほど讃題に拝読しましたご法語は、法然上人が大胡の実秀公に送られたお手紙の一節であります。最初に、お手紙が送られた経緯についてお話し致します。
実秀公というお方は上野国大胡の御家人です。現在の群馬県前橋市一帯を治めていた鎌倉幕府の武士でした。法然上人とのご縁が深かったのでしょう。父君の隆義公と共に親子二代にわたって、法然上人からご指導をいただかれた篤信の念仏者でありました。教えどおり日々お念仏に励まれる。すると信仰が進み、理解が深まるにつれ、様々な疑問が出てきたようです。大変熱心な方ですから、この疑問を解決しないことには、居ても立ってもいられなくなってしまった。これはもう、法然上人にお尋ねするしか道はないと思い詰められ、藁にでも縋る思いでお手紙を書き、性という方にお願いして、届けてもらいました。
お手紙を読まれた法然上人は、早速お弟子の真感房に代筆を頼み、これはこういう意味です、ここはこのように理解すればよろしい、といった具合に、誠に懇切・丁寧なお返事を出された。その最後には「正月二十八日 源空」と認めてありました。
実秀公、どんなに喜ばれたことでしょう。お手紙は終生大事にされ、親から子へと代々伝えられ、今日に至っています。
それでは、ご法語の内容について、多少の説明を加えながらお話し致します。
「『観無量寿経』というお経に、お釈さまが阿弥陀仏についてご説法されております。それによると、「阿弥陀仏は、これより西方にある極楽浄土におられます。そしてお身体は金色に輝き、無量の光明を放っておられます。しかも光明の一つ一つは、遍く十方の世界を照らし、お念仏するすべての人々を救い取って捨てることはありません」と。
大体このような意味になります。皆さまには、このことから三つのことをご確認していただきたく存じます。一つは、阿弥陀仏のおられることは、お釈さまのご説法で初めて知ることができました。二つには、阿弥陀仏は極楽浄土におられ、無量の光明を放っておられる、三つには、阿弥陀仏は、お念仏する人を光明でお救いになっておられる、ということです。
お気づきの方もおられると存じます。ただ今のご法語は読み下し文になっておりますが、これを音読みにしますと……そうです、「摂益文」のことです。朝夕のお勤めや法要の中などで、念仏一会の前に必ずお読みすることになっております。ご存じの方も多いと思いますので、ご一緒にお読みいただきたいと存じます。それでは、「光明照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」、はい、ありがとうございます。
「摂益文」をお読みする時には、二つのことを心がけていただきたく存じます。一つは、「光明照 十方世界」、つまり、阿弥陀仏はく十方の世界を照らしておられます。だから、「今、ここも」照らしておられます。二つには、「念仏衆生 摂取不捨」、阿弥陀仏は、お念仏するすべての人々をお救いになって捨てることはありません。だから、「この私を」必ずお救いくださる。このようにお受け取りいただきたく存じます。
以前、あるお方からご質問をいただきました。「浄土宗は、死後に極楽に往生する教えだと聞いております。それだと、死んでからでないと救われないのでしょうか」というお尋ねでした。皆さまはどのようにお考えでしょうか。
実は法然上人の時代にも、同じ疑問をお持ちの方がおられたのです。残念ながらお名前は伝わっておりません。『念仏往生要義抄』という書物に載っておりましたので、ご紹介致します。
あるお方が、法然上人にお尋ねになりました。原文は、「摂取の益を
これに対して法然上人は、「平生の時なり」と、はっきりお答えになっております。つまり、それは生きている時です、現世においてです、と明言されております。続いてのお言葉を現代文に直してみます。「平生の時に照らし始めて、臨終までお捨てになりません。ですから念仏者を救い取って捨てることがない誓約というのです」と、このようにお答えになられています。ということは、平生、そして死後もお救いくださるということであります。
法然上人は、「『摂益文』に説かれている『摂取不捨』という言葉には、平生の時と臨終、死後の両方が含まれています。だから私どもは、この世、後の世、現当二世にわたって、阿弥陀仏のお救いをいただけるのです」と、このように教えておられるのです。
続いて、摂取不捨のお救いの内容、つまり、阿弥陀仏は私どもをどのようにお救いくださるのかということについてお話し致します。法然上人は、『三部経大意』という書物の中に、現当二世のお救いをいただけると、述べておられます。
まず、現世における阿弥陀仏のお救いについてお話し致します。
法然上人は、この書物の中で、「摂取不捨の光明、常に照らして捨て給わず」そして、「信心いよいよ増長し、衆苦ことごとく消滅す」(聖典四・二八八頁)ると、述べておられます。日々のお念仏が身に付くようになると、お念仏の味わいとでも言いますか、手応え、実感をいただけるようになります。そうすると、この身このままにお念仏の中に悦びと有り難さなどをいただけるようになり、すべての苦しみが、消滅する、なくなると説かれています。ただし、苦しみがなくなると言いましても、それは苦しみが苦でなくなるという意味であります。災いを転じて福となすといわれるように、吉凶禍福すべてのことが有り難くいただけるようになることをいいます。この世は諸行無常であります。若さ、健康、伴侶、家族、友人、地位、名誉、財産等どれ一つとっても、私どもの思いどおりにはならないのです。ですから苦そのものがなくなるというのは、ありえないことなのです。
次に、臨終における阿弥陀仏のお救いについてお話し致します。
元気に過ごしている時には気にも掛けませんが、いよいよ自分の死が現実のものになってくると、どなたも死の恐怖で苦しむようです。人類共通の苦しみとも言えます。
このことについて法然上人は、「臨終の時には、妄念内に催して境界、自体、当生の三種の愛心
一番目は境界愛と申します。自分を取り巻く環境に対する執着という意味です。伴侶や家族など愛しく大切に思う人々や仕事や財産などに執着して、別れたくない、失いたくないと悩み苦しむことを言います。寂しさや不安、悲しみで夜も眠れなくなり、涙も枯れるほど流すなど、とても安らかではいられなくなります。
二番目は、自体愛と申します。自分の身体に執着して、自分が消えてなくなることに耐え難い恐怖を抱き、死にたくない、まだまだ生きていたいと孤独の中で苦しむことを言います。
三番目は、当生愛と申します。死後、来世に対する執着のことです。もはや死ぬことは避けられない、生きることを諦めるざるを得なくなります。するとこれまでの生涯が走馬灯のように蘇り、因果応報による罪が自覚されるようになり、良心に
いかがでしょうか、皆さま。臨終を迎えても、自分にはそんな心配は必要ないというお方はおられるでしょうか。多くの方は、三種の愛心により無常苦と罪悪苦に陥ることでしょう。何としてでもこの苦しみから救われることを願い、必死に助けを求めることと存じます。
だからこそ、法然上人はお念仏をお勧めくださるのです。何となれば、「臨終の時至れば仏来迎したまう。行者これを見たてまつりて、心に歓喜をなして禅定に入るがごとくして、たちまちに観音の台に乗じて安養の宝池に到るなり」(聖典四・二八九頁)だからであります。
つまり、私どもが臨終を迎える時には、阿弥陀仏は極楽から来迎してくださいます。すると死の恐怖である三種の愛心を離れ、苦しみから救われるのです。そして、穏やかに従容として、阿弥陀仏に導かれ極楽浄土に往生させていただける、そのように救われるのですよと、『三部経大意』のなかに述べておられるのです。
このように法然上人は、お念仏する私どもを阿弥陀仏は、この世、
法然上人は、「摂益文」に示されている内容をお歌にしておられます。ご存じでしょうか。宗歌になっています。……そうです、宗歌「月かげ」です。吉水講の皆さんは「月かげの御詠歌」と呼んでおります。それでは、一緒に歌ってみたいと思います。合掌をお願いします。
ハイッ、「月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の 心にぞすむ」。
ありがとうございます。心に染みわたる有り難いお歌ですね。
法然上人は、「摂益文」に説かれている意味を宗歌「月かげ」の中で、どのように表現されておられるかということについてお話し致します。
まず前半のところです。「月かげの いたらぬさとは なけれども」、ここは 「光明照 十方世界」、つまり阿弥陀仏の光明を月かげに喩えて表現しておられます。阿弥陀仏の光明は、く十方の世界を照らしておられる。そのことは、例えば、月は空中にあってすべてを平等に照らしています。都と里を分け隔てて照らすことはありません。そのことと同じです。阿弥陀仏の救いは、善人にも悪人にも平等であることを尊くいただいておられるのです。
しかし、実際には月を見ない人、月に気づかない人がいます。それは、阿弥陀仏のお救いを信じない人、知らない人、お念仏しない人がいるのと同じであります。そのことを法然上人は、誠にもったいない、実に残念と思われ、「なけれども」「ないのに……」という表現を用いておられるのです。
次は後半の「ながむる人の 心にぞすむ」です。ここは、「念仏衆生 摂取不捨」のことを表現されています。阿弥陀仏は、お念仏する人々を摂取とお救いになって、見捨てることはなさらない。そのことは、月はどんなところ、つまり器や場所の大小、そこにある水の清濁に関係なく、水のあるところに月かげを宿すことと同じです、という意味であります。
ここでご注意いただきたいのは、「月」と「月かげ」を区別していただくことです。「月」は、極楽浄土におられる阿弥陀仏、「月かげ」は、阿弥陀仏の光明のことを喩えておられます。つまり、阿弥陀仏の「光明」が念仏の衆生を「摂取不捨」とお救いくださることは、月の「月かげ」がながむる人の「心にぞすむ」ことと同じです、という意味であります。法然上人は、空中の月ではなく、池の水に浮かぶ月かげを問題にしておられることを、見失ってはいけません。
何故かというと、月かげがすむ、前と後とでは全く違うということです。月かげがすむ前は、暗闇の状態です。しかし、月かげがすむと、光り輝く光明の世界に変わるのです。何と素晴らしいことでしょう。この感動を喩えておられるのです。
暗闇というのは、何のために生きているのか、死んだらどうなるのかなどという、人生の目的や意味を知らないでいることを言います。また、私どもが、日々、むさぼり、いかり、おろかさの煩悩に支配され、目先の損得や自分の好き嫌いに執着して、悩み苦しみを繰り返している、そんな愚かで罪深い私どもの人生を闇に喩えているのです。
阿弥陀仏の光明に救われるということは、人生の目的を知らされるということでもあります。法然上人は、人生の目的は極楽に往生して成仏することであると達観されました。そのためには、お念仏して阿弥陀仏のお救いをいただかなければなりません。また、人生は、お念仏することによって、意味と価値を持つようになるのです。何故ならば、お念仏する人は、阿弥陀仏の光明に照らされます。それはあたかも、月かげが池にすみ、暗闇が光明に転じるようなものです。人生のすべてのことが光り輝き、尊い価値のあるもの、素晴らしい生き甲斐あるものに変わらせていただけるようになるからであります。
月は、新月から少しずつ変化して満月になります。同じように、阿弥陀仏の光明によるお救いも、それをいただく人の信仰の浅い深いによる違いはあります。例えば、一パーセントから百パーセントの段階があるようなものです。
法然上人は、速い遅いの違いはありましても、私どもは、この世、後の世にわたって阿弥陀仏の光明によってお救いをいただき、極楽では皆さん、どなたも必ず仏さまにならせていただけるのです、心配しなくてもよろしいですよ、そのために私たちにできることはお念仏だけです、しっかり申しましょう、と、このように仰っておられるのです。宗歌「月かげ」は、法然上人の真意がこめられているお歌です。しっかり頂戴したいものです。
皆さま、平成二十三年は、浄土宗にとっては記念すべき年でした。ご記憶でしょうか。そうです、法然上人の八百年大遠忌をお迎えした年です。
私事で恐縮です。この年の四月二十日、ご縁をいただき、和歌山県海南市の法然寺さまに、初めてお参りさせていただきました。ご住職の井上上人のご好意で、寺宝として大切に伝えてこられた、法然上人ご自身が彫刻された御影、法然上人像を拝まさせていただきました。その時の感動が、今だに忘れ難い思い出として残っております。皆さまにご紹介させていただきます。
井上ご住職が、お厨子の扉を慎重に、恭しく開けてくださると、電灯の薄い光に照らされた、中にお祀りの法然上人さまが現れました。その崇高なお姿を目の前にして、自然と手が合わさり、お念仏せずにはおれなくなりました。これほど感動したのは、初めての体験です。お顔は気品に満ち、涼やかで威厳のある眼差しをしておられました。法然上人は、当時の人々から生き仏さまのように拝まれたと伝えられています。おそらくこのように尊いお姿をされておられたのであろうと実感させていただきました。阿弥陀仏の光明に照らされ救われることの事実を見せていただいたようで、有り難いことでした。
それでは、現当二世にわたって阿弥陀仏のお救いをいただけることの事例として、法然上人のご生涯の中から、二つだけですがお話し致します。
一つは、法然上人、御年七十五歳の時のことです。法然上人は、謂われなき罪を負わされ、四国へ流罪に処せられるという、誠に理不尽な法難に遭っておられます。
発端は、それほど大きなことではなかったのです。時は、建永元年(一二〇六)十二月のある日のことです。京都の東山鹿ケ谷の草庵で、法然上人のお弟子さんや信者の方々が集まって、お念仏の修行をする別時念仏という行事を開催しておりました。お弟子の住房と安楽房のお二人は、清らかで澄んだ美声で知られており、お唱えするお経は哀調味を帯びて、実に見事で有り難いものであったようです。
その有り難さも相まってか、そこに参加されていた二人のお若い女性が、往生を願う信仰心を抑えがたく、出家してしまわれたのです。これだけですと、それほど大きな問題ではありません。実は、このお二人は、後鳥羽上皇の女官であったのです。しかも運の悪いことに、この時、上皇は熊野詣でに御幸されていて、お留守でした。つまり、お二人は、上皇に無断で御所を辞めてしまったのです。当時のことですから、重罪に処せられる事件です。その上、事の仔細を讒訴する者がいたため、上皇は殊のほか激怒され、住房と安楽房のお二人に死罪を申し渡したのです。ところが、上皇のお怒りはそれでも収まらず、弟子の罪を師にも負わせることになり、法然上人は四国へ流罪に科せられたのです。
この時、法然上人は「この度の流刑は、決して恨んではいけません」と、仰っておられます。このように理不尽な処罰に対して、法然上人は、他を非難したり、恨むことはなさらなかったのです。そして続いて、「これまで、田舎の方にもお念仏を弘めたいと願ってきましたが、なかなか果たせないでおりました。ところがこの度、はからずもそれを叶えることが出来るのです。むしろ、朝廷のご恩だとも言えます」と、このように仰るのです。
どうしてこのように、ご立派に振る舞うことができるのでしょうか。法然上人のみ教えは、空理、空論でなかったことの証拠である、と思わずにはおれません。
法然上人は、先ほど申し上げましたように、『三部経大意』の中で、「お念仏をおとなえすると、阿弥陀仏の光明に摂取されます、するとその人は、現世では、衆苦ことごとく消滅するのです」と述べておられます。本当にその教えの通り、法然上人は、ご自身に降り掛かった理不尽な法難、不幸、苦しみを、苦とすることがない、まさに苦が消滅したに等しい状態になっておられます。
法然上人は、お念仏する人は、この世でも阿弥陀仏のお導きとお救いをいただけることが真実であることを、身をもって証明しておられるのです。阿弥陀仏の光明は、宗歌「月かげ」に詠われているように、月かげが法然上人のこころにすみ、法然上人の人格を光り輝かせているのです。その生きた証の法然上人に、海南市の法然寺さまで、お出会いさせていただいたことを喜んでおります。
最後に、阿弥陀仏は、お念仏する人を臨終の時にも救ってくださいます。法然上人の往生のご様子からお話し致します。
建暦二年(一二一二)正月二日よりご往生される二十五日までにおける、法然上人の行状は詳しく伝えられております。それによると法然上人は、世間話は全くなさることはなく、お念仏のお話をなさる以外は、常に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏に励まれ、お休みの時にも舌とお口は絶えず動いておられたということです。
正月十一日、午前八時頃のご様子をご紹介致します。
法然上人は、起き上がられ、高声にお念仏されました。すると、お側にいてそのお念仏を聞いていたお弟子たちは、あまりの有り難さに、皆さん涙を流されたというのです。法然上人は、お弟子たちに仰いました。「お前たちも、高声にお念仏しなさい。今、阿弥陀仏がお迎えに来られている。お念仏すれば、ひとりも往生しないということはない」。そして、いつものようにお念仏のお話をされたということです。
いよいよ、往生の時が近づいてきました。
正月二十五日、午前十一時頃のことです。これまで昼夜を問わず、高声にお念仏に励まれておられた法然上人、お念仏のお声が次第にかすかになられ、時々、高声におとなえするご様子になられました。もう余命、幾ばくもない状況です。お釈さまの故事に習われたのでしょう。頭を北にお顔を西にお向けになり、「光明照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」とおとなえになられ、眠るように息を引き取られております。そして、お声がしなくなった後も、なお唇や舌を動かされること、十余回ほどでありました。お顔の色はまことに鮮やかで、容貌は微笑んでおられるように見えたということです。時に建暦二年正月二十五日の正午のことでした。お年はちょうど八十歳になっておられました。
先にお話し申し上げました、法然上人がお書きになられた『三部経大意』を思い出していただきたく存じます。法然上人は、「摂益文」の中に説かれている摂取の言葉には、阿弥陀仏が現当二世にわたってお救いくださる意味があります、とお説きでありました。その中で、臨終における阿弥陀仏のお救いがありました。
要約して三つに分けてお話し致します。一つは、阿弥陀仏がお迎えに来られる。二つは、心が穏やかになる。三つには、極楽に往生できる、ということです。
法然上人のご往生の様子を伺いますと、阿弥陀仏は臨終の時に来迎引接してお救いになる、という教えは真実であることを疑うことはできません。法然上人の臨終のご様子から、しっかりと確信させていただきたいものであります。
お釈さまがお説きになった「阿弥陀仏の一々の光明は、く十方の世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨て給わず」という教えは、突き詰めて言えば、阿弥陀仏は、お念仏するこの私を、今、ここから、現当二世にわたってお救いくださる、ということでありました。
法然上人は、ご自身のお念仏のご体験から、「摂益文」の教えは真実であることを、宗歌「月かげ」に、「月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の 心にぞすむ」と、お示しくださいました。
そして、このことが紛れもない事実であることは、法難に遭われた時の法然上人のご心境、そして、臨終における法然上人の様子、また、確かな証である法然寺さまの法然上人の御影から、いただきたいものであります。
法然上人は、『一枚起請文』に「ただ一向に念仏すべし」、つまり「諸行を廃して、ともかくお念仏だけしなさい」と、宗義の肝要を示されました。このことを指針に、日々おおらかに(数多く)、そして高声(高らかな声)のお念仏を心がけたいものです。
お話の終わりにあたり、宗歌「月かげ」を斉唱して、締めさせていただきます。
「月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の 心にぞすむ」
(同称十念)