三、正雑の二行

 
 
浄土宗布教師会近畿地区支部 井野 周隆
如来大慈悲哀愍護念  同称十念

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
つつしみ敬って拝読し奉る。宗祖法然上人のご法語にのたまわ
「正行を修せんとおもわば、正助二業の中に、なお助業を傍にして、えらびて正定をもはらにすべし。正定の業というは、すなわちこれ仏の御名を称する也。名を称すれば、かならずうまるることを得。仏の本願によるが故に」と。(十念)
    (『元祖大師御法語』前篇第十二章)

 二〇二〇年に開催される東京オリンピックも、いよいよ五年後に迫ってまいりました。東京での開催は、前回の東京オリンピック(一九六四年)以来、五十六年ぶりの二回目ということですが、このオリンピックの呼称について、時折、「五輪」といった言葉が使われます。この言葉は、そもそも今から八十年ほど前に、読売新聞のある記者がオリンピックマークを見て発案したといわれています。このオリンピックマークには、五つの輪っか、五輪が重なりあうように連結した形で描かれています。この五輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアなどの世界の五大陸を表しており、つまり、これはスポーツを通じて世界の五大陸が一つにつながっていく状態を表しているのだそうです。このオリンピックマークの五輪の状態というのは、浄土宗における行の体系にも共通するものがありまして、浄土宗にもこの五輪と同じ数だけの五つの行がございます。これを五種の行ということで「五種正行」と申すのですが、このオリンピックマークの五輪の状態を、五種の行に引き当ててみたならば、五種の行もご本尊阿弥陀さまを通じて、この五輪のように一つにつながっていくのでございます。

 この五種の行、すなわち「五種正行」は、すべて阿弥陀さまと親しい行、近しい行ということで「正行」と申しますが、決してこの「正行」の「正」の字は、こちらの行が正しくて、あちらの行が間違っているといったような、正邪を意味するものではありません。この「正」の字を分解すると「一に止まる」と書きます。つまり、極楽往生を願う私たちが阿弥陀さま一仏だけに心を止めて行じていくための「正行」なのであります。この「正行」というのは、すべて阿弥陀さまに直接、関わりのある行でありまして、これと反対に、阿弥陀さまと直接、関わりのない、つまり「五種正行」以外の行をすべて「雑行」と申します。
 このように法然上人は、仏道修行を大きく「正行」と「雑行」の二つに分け、そしてさらに、その「正行」に五種あることを明かしておられます。これが先ほども申し上げた「五種正行」といわれるもので、詳しく申しますと、第一番目が「読誦正行」。これは、阿弥陀さまや極楽浄土について説かれた『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の「浄土三部経」を読誦することですが、ここで大切なのはお経を声に出して読むということであります。
 このことに関連して、以前、某新聞の投書欄に若くして息子さんを亡くしたお母さまから次のようなお手紙が寄せられていました。

長男は難病のため、十七歳の短い生涯を閉じました。気力を失い、泣き暮らすうち、法事のたびに耳にするお経の意味を知りたいと思うようになりました。あの世で息子が聞いているなら、そのお経の意味ぐらいは理解しておきたい、と。お経の解説本を読み、月命日には漢文でお経を読むようになりました。漢文のお経のほかに、和文のお経もあれば、仏前で息子に話しかけるように読むことができるのではないかと思います。

 お手紙にも書いてあるように、このお母さん、最初は最愛の息子さんを亡くし、気力も失い泣き暮らしていた、と。しかし、法事のたびにお経を聞くようになって、自分も声に出してお経を読むようになった。そして、今ではお経を通して息子さんと会話されるまでに気力を取り戻されたのでありまして、このお母さんのようにお経を声に出して読むことで、極楽浄土に先立っていかれた方々、さらには阿弥陀さまと心がつながっていくことができるのであります。ですから、「読誦正行」といいましたら、どうぞ声に出してお経を読んでいただきまして、とりわけ「浄土三部経」を大切にしていただきますようお願いいたします。
 次に、第二番目は「観察正行」。学生時代に理科の授業で習った「観察かんさつ」という字を書きますが、ここでは「かんざつ」と「さ」を濁ってお読みします。つまり「観察正行」とは、阿弥陀さまや極楽浄土のことを慕い、そこへ想いを寄せていくということです。そして、この「観察」の「観」には、「観る」という意味がございますが、単に両方の目、肉の眼で見るのではなく、想像力を働かせて心の眼で観ていただきたい。
 例えば、今から六年程前に、盲目のピアニストで一躍有名になられた辻井伸行さんという方がおられますが、辻井さんは生まれつき目が不自由というハンデを乗り越えて、日本人で初めてアメリカで行われた国際ピアノコンクールで優勝という快挙を成し遂げられます。後日、辻井さんの記者会見が開かれたのですが、その際に、ある新聞記者の方が辻井さんに対して、「辻井さん、もし一日だけ目が見えるとしたら何が見たいですか」と尋ねました。すると、辻井さんは、その質問に対し少し間を置いてから「両親の顔が見たい。でも、今は心の眼で観ているので大丈夫です」と笑顔で答えておられたのが印象的でした。私が思いますに、おそらく辻井さんは生まれてこのかた、何度も何度も想像力を働かせて、心の眼でご両親のお顔を慕いに慕ってこられたのでしょう。まさに「観察正行」の「観る」ということは、辻井さんが心の眼でご両親の顔を観てこられたように、心の眼を開いて、心の眼で阿弥陀さまや極楽浄土を観ていく。その足がかりとして、まずはこの肉の眼に映るものを通して、例えばお寺の本堂の内陣は、極楽浄土の世界を再現しており、また、正面には阿弥陀さまもお姿を現していてくださる。お家にあってはお仏壇もしかりであります。ですから、どうぞお寺の本堂にお参りいただき、またお家のお仏壇の前に座っていただき、まずは肉の眼を通して、いずれ命終わったならば、本堂の内陣やお仏壇の中のような明るい清らかな極楽浄土に生まれていくのだ、ということを今からイメージトレーニングをしておいていただきたいのでございます。これが、第二番目の「観察正行」であります。
 次に、第三番目は「礼拝正行」。ここでも、この私を救ってくださる仏さまということで、阿弥陀さまに対して敬いの心をもって礼拝を行っていくのですが、この礼拝に三通りの仕方があります。一つには、手は合掌して座ったまま行う礼拝、二つには、手は合掌のままひざまずいた状態で行う礼拝、三つには、手は合掌で、身体は立ったり座ったりといった礼拝。この三つ目の、立ったり座ったりの礼拝は、「五体投地接足作礼」と申しまして、両肘、両膝、額を床や畳にこすり付けて行う最高の敬いの姿であり、一番丁寧な礼拝の仕方であります。そして、接足とは、阿弥陀さまの両方のおみ足を、水平に差し出した両手にいただき、阿弥陀さまのお徳を頂戴するという意味が込められておりまして、敬いの心を形に表していきますと最終的にはこのような礼拝の姿になっていくのが三番目の「礼拝正行」であります。
 次に、第四番目は「称名正行」。これは、南無阿弥陀仏のお念仏をおとなえすること。これを本願の念仏と申しまして、阿弥陀さまが立てられた四十八の誓願の中の第十八番目において「私が将来、仏となったならば、私の名前を呼ぶ者は、その声に応じて、必ず極楽浄土に救い摂ろう」とお約束なさった本願の行であります。ですから、私たちが阿弥陀さまの御名を呼べば、阿弥陀さまはその声に応えて、今も見守り、導いてくださるのでありまして、決して私のお念仏の声は一方通行ではないのですね。まさに、私たちが呼べば阿弥陀さまは応えてくださるという、私たちと阿弥陀さまは呼応関係にあるのですが、まずはこの口に南無阿弥陀仏とお念仏をおとなえするのが第四番目の「称名正行」であります。
 そして最後に残りましたのが第五番目、「讃歎供養正行」。「讃歎」とは、阿弥陀さまの功徳を褒め讃えるということで、「供養」とは、阿弥陀さまに対しお灯明やお線香、お花などをお供えし、物心両面から供養のまことを捧げること。
 この供養の心ということで、以前に四国は松山のお寺のご住職さまから次のような尊いお話を伺いました。それは、そのご住職さまが、夏にお檀家さんや地域の子どもたちを引率し、総本山知恩院での「子ども奉仕団」に参加された時のことでした。
 二泊三日の「子ども奉仕団」の全行程も無事終了し、四国への帰路の途中、フェリーの中で、参加した小学四年生のある女の子が、そのご住職さまの所までやってきて嬉しそうに家族に買ったお土産を報告しだした。「お父さんにはこれを買った、お母さんにはこれ、お兄ちゃんはこれ」といった具合だったそうですが、その話の中でそのご住職さんが「あれっ?」と引っかかるところがあった。それは、その女の子が「お祖母ちゃんにもお土産を買った」というところだったのですが、でもその女の子のお祖母ちゃんは半年前に亡くなっておられたのですね。そこで、不思議に思ったご住職さまが、その女の子に「何を買ったの?」と尋ねましたら、その女の子嬉しそうに「お線香」と答えたそうですよ。これを聞いて、ご住職さまもびっくりされたそうですが、普通は小学四年生の子どもが亡くなったお祖母ちゃんのためにといって、なかなかお線香を買わないですよ。おそらく、その女の子のご家庭では、毎日、親御さんがお仏壇にお線香やお灯明をあげて、真心こめて阿弥陀さまにお給仕されていたからだと思うのですね。だからこそ、そのご両親の後姿を見るうちに、その女の子にも自然と供養の心が育まれたと思うのですが、さぞかし極楽浄土におられるお祖母ちゃんもお孫さんの姿を見て喜んでらっしゃることでしょう。このように、五番目の「讃歎供養正行」とは、阿弥陀さまの功徳を褒め讃え、真心をこめて供養させていただくこととお受け止めいただきたいと思います。

 以上、「五種正行」の一々について触れさせていただきましたが、法然上人は、さらに、この「五種正行」を「正定業」と「助業」とに分類されまして、「正定業」とは第四番目の「称名正行」、それ以外の四つの正行を「助業」とされています。そして、「正行を修せんとおもわば、正助二業の中に、なお助業を傍にして、えらびて正行をもはらにすべし」とおっしゃっているように、あくまで「五種正行」の中心は第四番目の「称名正行」であります。それはなぜかと申しますと、お念仏の行が「正定業」であるからです。この「正定業」の「定」という字には二つの意味がありまして、一つには、私たちがお念仏をとなえれば必ず極楽往生が「定」まる「決定」という意味と、もう一つには阿弥陀さまが数ある仏道修行の中から、お念仏をとなえる者は必ず救うと、お念仏の行を選び「定」めてくださった「選定」という二つの意味が込められています。そして、法然上人が「正定の業というは、すなわちこれ仏の御名を称する也。名を称すれば、かならずうまるることを得。仏の本願によるが故に」とおっしゃっていますように、お念仏というのは、ひとえに阿弥陀さまの本願に裏打ちされたものですから、お念仏が一番大事になってくるのであります。
 したがって、本来は浄土宗の行といいましたら、第四番目の「称名正行」、お念仏の一行だけで十分なのですが、それでは、なぜ「称名正行」以外に四つの助業が説かれているかというと、「正行を 五種と説けども 他は皆 第四の御名を 助けんがため」とお歌にも詠まれていますように、第四番目の「称名正行」を助けんがために他の読誦をはじめとする四つの助業が説かれているのです。ちなみに、読誦をはじめとする四つの助業を、第四番目の「称名正行」からみて、前に三つ、後ろに一つあることから「前三後一の助業」と申しますが、ここで留意していただきたいのは、「助ける」といっても正定業であるお念仏の行そのものを助けるといった「補助」の意味とは違う、ということです。あくまで、「前三後一の助業」を修すことで、お念仏をよりとなえられるよう、ますますお念仏に励めるよう、翻ってお念仏をとなえる私たちを助けるという「助発」の意味でございまして、決してお念仏だけでは心許ないから、「前三後一」の助業があるわけではない。いわば助業というのは、私たちが真の念仏者となるための環境作り、雰囲気作りとして説かれているのでございまして、ここのところをお間違えのないようにお願いをいたします。ですから、何をおいても一番肝心なのは、お念仏をとなえるということであります。

 このたびの結びといたしまして、数年前に映画化やドラマ化され話題となった「がばいばあちゃん」についてお話しさせていただきます。
 「がばいばあちゃん」とは、言わずと知れたタレントの島田洋七さんのお祖母さんのことでありますが、本名を徳永サノさんといいます。当時、島田洋七さんこと本名・徳永昭広少年は、家庭の事情で小学二年生から中学を卒業するまで、佐賀に住むサノさんのもとに預けられることになりました。このサノさんと過ごした八年間が、後に島田洋七さんにとってかけがえのない宝物になっていくのですが、しかしながら当時、佐賀での生活というのは本当に貧しかったそうですよ。でも、生活は貧しくとも、そこにはいつも笑いがあったんですね。
 ある時、昭広少年が食べる物がなくて、サノさんに「おばあちゃん、腹減った」と言うと、「気のせいや」と言われた。昭広少年も、そう言われて「気のせいか」と思って一旦は寝たのですが、実際お腹は空いているし、夜中に目を覚まして、もう一度サノさんに「やっぱり腹減った」と言うと、今度は「夢ばい」という答えが返ってきた。また、ある時は、昭広少年が「おばあちゃん、この二、三日おかずないね」と言うと、サノさんは「アハハハ」と豪快に笑いながら「明日はご飯もなかよ」と言った。それを聞いて、昭広少年はサノさんと顔を見合わせて、また笑った。このように、普通では考えられない会話でありますが、こんな極貧状態にありながらも、サノさんのその明るさと逞しさはどこからきたのか。そのルーツをたどると、何とそれはお念仏の信仰に支えられたものだったのです。サノさんの毎日は、南無阿弥陀仏のお念仏と共にあったといわれているくらい、地元では評判の「念仏ばあさん」で通っていた。暇をみつけてはお仏壇の前に座って「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」ととなえ、また川で鍋や釜を洗っている時も、道を歩いている時も、いつでも、どこでも、どんな時でも、お念仏を片時も離さなかった。そして、お寺で法要が勤まるたびに、昭広少年を連れてお寺参りに行かれては、決まって法話も聴聞される程の熱心なお念仏の信者さんだったそうです。
 そんなお念仏の信仰に篤いサノさんが残した言葉に、「頭のいい人も、頭が悪い人も、金持ちも貧乏も、五十年経てば、みんな五十歳になる。心配することはない」というものがありまして、これは味わい深い言葉だなと思うのですね。私たちが今いるこの世は、すべて移り変わってゆく、儚い無常の世でありますから、五十年経てば、みんな五十歳になります。さらに、もう一歩踏み込んで申しますと、この世に生を受けたものは、いつかは必ず死んでいきます。だけど、サノさんがおっしゃる通り、心配することはないのであります。それは、なぜか。阿弥陀さまが、お念仏をとなえる私たちを間違いなく極楽浄土に救ってくださるからであります。
 このようにサノさんは、お念仏の日暮しの中で、阿弥陀さまとしっかり心を通わせ、救いの喜びを噛みしめておられたからこそ、どれだけ貧しい生活であっても、決して明るさと逞しさを失わず、この世を生き抜いていかれたのでございます。

  話の初めの方で、オリンピックマークについて少し触れましたが、このオリンピックマーク、何と一筆書きが出来るのですね。つまり、五つの輪っか、五輪も紐解けば一本の線に帰結されるものでありまして、それは浄土宗における行の体系も同じで、「五種正行」も紐解けば、最終的には第四番目の「称名正行」、すなわち正定業であるお念仏ただ一行に帰結していくのであります。このことを、「結帰一行三昧」と申しますが、したがって、お念仏の他にあえて助業を加える必要などもないのでありまして、どうぞ、これからもますますお念仏一行に励んでいただきますことをお願いしまして、このたびのご縁とさせていただきます。
    (同称十念)