二、聖道門と浄土門
如来大慈悲哀愍護念 同称十念
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義
つつしみ敬って拝読し奉る。宗祖法然上人のご法語に曰 く
「もし智恵をもちて生死をはなるべくば、源空いかでかかの聖道門をすてて、この浄土門に趣くべきや。聖道門の修行は、智恵をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかえりて極楽にうまるとしるべしとぞ仰せられける」と。(十念)
(『元祖大師御法語』前篇第三)
お釈迦さまがある村を一軒ずつ托鉢していたときのことです。その村の長老がお釈迦さまに苦言を呈しました。
「私は田を耕し、種を蒔いて食物を得ている。あなたも自ら耕し、種を蒔いて食物を得てはどうか」
すると、お釈迦さまは落ち着いた口調でこう答えられました。
「長老よ、実は私も耕し、種を蒔いて食物を得ているのだ」
そして、疑わしい顔をしている長老に向かって、さらにこう語られました。
「田とは心の田であり、種とは信仰である。私は荒れ果てた人の心を深く耕し、そこに信仰の種を蒔き、常に安らかな世界に導くのである」と。
その長老は、その場で何度もお釈迦さまに礼を重ね、仏教の帰依者になったと伝えられています。
肥田を保つためには絶え間ない手入れが必要なように、私たちの心も放っておくとたちまち荒れ果てて、欲と憎しみの雑草におおわれてしまいます。いつになったらその心田に、豊かな稔りをもたらすことができるのでしょうか。
さて、先ほど拝読しましたのは法然上人のご法語でございます。簡単に解説いたしますと、 「もし、智慧によって迷いの境涯を離れることができるならば、私、源空がどうしてあの聖道門を捨てて、この浄土門に帰依するでしょうか。聖道門の修行は、智慧を極めて迷いを離れ、浄土門の修行は、愚かな自分に立ち返って極楽に生まれると理解しなさい」と法然上人が仰せになっているのです。
上人が寸暇を惜しんで仏教を学び、厳しい修行を実践してみても、今までの聖道門の教えでは、生死の迷いから離れて、心の自由を体得実感できるような境地にはどうしても到達できない。仏の教えを説く経典やその註釈書を学んで、それを実践してもむなしい日が過ぎゆくばかりでした。
お釈迦さまの説かれた仏教とは、人生は苦であるとして、その苦を引き起こす根本原因が、生まれながらにして我々人間の心に巣食う、貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり)、愚痴(おろかさ)の三大煩悩であるとします。その煩悩を完全に滅するために仏道修行に励み、戒・定・慧の三学を極めて悟りを得ること、あくまでも修行して仏に成るという「成仏」が仏教本来の目的です。
つまり、持戒とは日々の生活や行動を正しく
法然上人はこの「三学」を自ら体現しようと、人一倍努力を重ね修行しましたが、修行を積めば積むほど、自らの能力の足りなさに気づかされるのでした。
上人は、「わがこの身には戒行において、一つの戒も持てず、禅定において、一つも此れを得ず、智慧において、煩悩を断ちきって悟りを開く正しい智慧を得ない。(中略)凡夫の心は物にしたがって移りやすく、例えば猿が木の枝から枝へ飛び移るようなものである。心は散り乱れて動きやすく、集中して平静を保つことはむずかしい」とおっしゃっています。仏道修行の第一歩の持戒ということも、いくら戒を持つ生活をし、行いや語る言葉や心の思いを調えようとしても、生身の人間である限り、いつも心は散り乱れてしまうのです。たとえ散り乱れる心を統一できたとしても、いつまで持続できるかわからない。そして、法然上人は、「こんな私のような凡夫は、もはや戒・定・慧の三学の器ではない。この三学のほかに、わが心に相応しい教えがあるのか。わが身に堪えることのできる修行があるのか」と、滅すべき愚痴のわが身を前面にさらけ出しながら、嘆き叫ぶのでした。それでも、あきらめることなく凡夫救済の教えをもとめ続けた法然上人は、ついに四十三歳、承安五年の春、善導大師の、
一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざる者、これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に。 (『観経疏』散善義)
という文に導かれ、阿弥陀仏の大きな慈悲に気づかれました。それは三学の修行によるこれまでの仏教ではなく、三学によらない新しい仏教としての浄土宗を開かれたのであります。
「彼の仏の願」とは、
設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚
(『無量寿経』第十八願)
で、「もし私が仏になって」、「十方の衆生」が「至心に信楽して」、私たちが真心をこめて、信じ願って、「我が国に生まれんと欲して」、西方極楽浄土に生まれたいといって、「乃至十念」、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と十遍となえて、もし生まれることができなかったら私は仏にならない、というものです。ところが、すでに仏さまになっているのですから、この願いは成就されているわけです。「南無阿弥陀仏」ととなえれば皆、往生ができるということなのです。つまり、過ちだらけで罪深い、煩悩だらけの凡夫の私たちを極楽浄土に救うため、「南無阿弥陀仏」と念仏申す者は、必ず救うという本願をお立てくださったのです。
・聖道門 :自力修行・智慧・悟り…この世での成仏を目的とする
・浄土門 :他力念仏・慈悲・救い…浄土に往生してから成仏する
このように、浄土門というのは、この娑婆世界を
この聖道門と浄土門とはそれぞれ難行道・易行道とも呼ばれて、たとえば、難行道は険しい道を徒歩(自力)でいくようなもので、易行道は海路を船(他力)に乗って行くようなものであると言われています。つまり、「易行道」である浄土門とは、ただ、阿弥陀如来の本願の船に乗ることによってのみ、向こう岸の極楽に辿りつくことができるという教えなのです。
このように、法然上人がご一生を通して説きすすめられた称名念仏による極楽往生の教えは、平安末期から鎌倉初期にかけて動乱の時代を生きぬいた人々に受け容れられました。時あたかも相続く戦乱、平家没落、鎌倉幕府の誕生という激動の転換期であっただけに、悲痛な生活の不安におびえる人々にとって「念仏の教え」は、まさに今を生きる喜びと希望を与える「救いの光」となったのでした。
そして、「自身はこれ煩悩具足せる凡夫なり」という法然上人の人間観は、今を生きる現代人にも救いの道となっているのです。ここに、法然上人の教えが、他の仏教の教えと根本的に違う、万民救済という念仏信仰の真髄を見ることができるのです。
また、上人は『要義問答』の中で「教えをえらぶにはあらず 機をはからうなり」と説かれています。つまり、尊い教えは多く説かれてはいるが「今のこの私」が、そのみ教えによって本当に救われるのだろうかという絶望的な苦悩に対する、法然上人ご自身の卓見でありました。このことについて藤堂恭俊大僧正は『一紙小消息のこころ』(一一九六年・東方出版)の中で、
教えは人を対象としていると申しましても、一概にすべての人を対象とすることができるか、否かということを考える必要があります。また人は教えを受ける担い手ですが、受けいれることができる教えであるか、否かを考える必要があります。たとえるならば、どのような豪華なお料理でも満腹の人は、いただく意欲すら起こってきません。しかし空腹の人は、どのようにお粗末なお料理でも、おいしく頂戴できます。お料理を考えるには、それに使われた材料の良し・悪しや、料理技術の優・劣をポイントとしなければなりません。また、お料理を食べていただく人を考えるには、健康な人か・病人か、おとなか・こどもか、満腹か・空腹かをポイントとしなければなりません。しかしせっかく出来上がった山海の珍味も、それを口に入れないまま放置していたのでは値打ちのないことになります。
したがって二つのポイントがぴったり重なり合う・整合することを念頭に置く必要があるわけです。そのためには、なんとしてでも、お料理をいただく人を優先させなければなりません。法然上人の教と機とに対する基本姿勢は、ここに置かれているのです。
と、教(おしえ)と機(人間)の関係について懇切丁寧に述べているように「教えをえらぶにはあらず 機をはからうなり」というお言葉は、万民救済の教えを求めて止まなかった法然上人の至言なのです。
これは、恩師である正村瑛明上人から何度もお聞きした、忘れがたいお話です(『愚に還る』二〇一三、浄土宗東京教区)。
大泥棒で有名な、あの石川五右衛門は少年のころは五郎吉と申しまして、大変素直な少年でございました。ある時、お友達のところへ遊びに行きました。夕方帰ってまいりましたら、行く時にはちびた汚い下駄履いていったのに、間違えたんでしょう。慌てていたのか、なんと新しい下駄を履いて帰ってきました。
「あっ、いけない。お母ちゃん、友達の家の下駄履き違えて帰ってきちゃった。返さなきゃ」
「待ちな!」
お母さんが止めたそうでございます。
「五郎吉、おまえは偉い。親が貧乏だから、ちびた下駄、買いかえてあげることができないのに、おまえは親の心を察して、新しい下駄を履いてきた。おまえは偉い。返すことないよ」
と褒めたそうでございます。
「これからは親の喜ぶようなことをしていこう」
ということで、爾来、大泥棒になったという。嘘か本当か、そんな話がございますが。
昔、私も高崎刑務所へまいりました。入ったんじゃないですよ。施設見学ということでまいりました。あそこは十六万個の、レンガでできた塀があるんですよ。まあ、すばらしいもんでございますね、文化財にもなっています。明治二十一年に施設の人がみんなで造って建てた、その一部が残っている。あんまり美しいので、記念写真をパチッと撮りました。
昔、その刑務所に前科十三犯、脱獄二回という強者がいました。最初からそうじゃないですよ。子供のころはみんな変わりがありません。ところがこの子は、七人いる兄弟の末っ子で、かわいい、かわいいで育てられました。親は仕事が忙しい。「はい、小遣いあげるよ」といって、二銭銅貨をもらう。
そうこうしているうちに、仕事が忙しいから、銭箱を置いて、勝手に持ってけと、こういうことになったそうでございます。信頼していたんですね。
「お母ちゃん、二銭銅貨もらったよ」と見せる。
「ああいいよ、早く帰ってくるんだよ」と出かける。
そのうちだんだん知恵がつきまして、二銭銅貨よりも小さいやつで十銭銀貨というのがあるそうでございます。それを一緒につかんで、お母ちゃんに見せるほうは二銭銅貨。
「お母ちゃん、二銭もらってくよ」
「ああいいよ、気をつけてね」
といって外へ行くと、裏に十銭銀貨がくっついている。くっついているわけじゃない。自分で重ねて、見せたのは二銭のほう。
そういう悪知恵がだんだん許されてまいりますと、大胆になりまして、そのうち、おやじさんの財布から五百円を抜き取って遊びに出かけたんですね。今の五百円じゃないです。昔の五百円ですから、まあそんなの幾らか調べていませんが、例えば八万円といたしましょうか。適当でございます。大阪へ参りまして八万円、あっという間になくなってしまいました。
しかし、帰るに帰れませんね。おやじさんの五百円を盗んじゃったわけですから、おやじさんにこっぴどくお仕置きをされるというので帰れない。どうしよう、どうしようと千日前でこうやって考えあぐねておりますと、ぱっと知恵がひらめいた。
知恵といっても悪知恵のほうでございます。人の懐をねらうというスリをやってみようという思いになった。どんとぶつかった拍子にスッとやってみたら、手に財布が残っていた。これは濡れ手で粟でございまして、成功しちゃったわけですね。
次もやってみたら、次も成功する、二回、三回やるうちに病みつきになりまして、とうとう家にも押し入るというような泥棒稼業をして、前科十三犯、脱獄二回という身になったというのでございますね。
施設に入っている頃、お母さんが病気になりまして、兄弟みんなが集まりました。長男の方が「お母ちゃん、みんな兄弟集まっているから、みんな来てますよ。大丈夫ですよ」と言ったら、苦しんでおったお母ちゃんが、布団の中でパッと目を開けて、右から左にじっと見つめて、またパッと目をつぶってしまった。みんな来てると長男が言ったから、目を開けて確認したら、私が産んだのは七人だけれども、数えてみると六人しかいない。またあいつ、出るに出られないところに入っておるのかと悲しまれたそうでございます。
やがて臨終を迎えまして、苦しい息の中で何かつぶやいている。何かつぶやいているというので、長女の方が静かに口元に耳を寄せてみますると、こんなふうに言っていたそうでございますね。
「私を成仏させてくれるのは、あの子が真人間になってくれることだけだ」と言いつつ息を引き取られたというのでございます。ご長女はそのことを兄弟に話し、やがて教誨師の先生、施設におります末っ子の、前科十三犯の対象者に対しまして、こういうことがあって、母の死に目にも会わせることができませんでしたが、母の最後の言葉を伝えてくださいといって、教誨師の先生から対象者、前科十三犯の方に「私を成仏させてくれるのは、あの子が真人間になってくれることだけだ」と、お母さん亡くなるまで心配しておったよ、そのことを深く、おまえ、心に受けとめて、立ち直ってくれ。こうおっしゃったことが胸にこたえたんでしょう。その後ぴたっと泥棒する気が起きなくなってしまったそうでございます。
模範囚として刑を終えて、出てまいりますと、それからは防犯講習会の講師として全国を歩き回ったというのでございます。「皆さん気をつけて、泥棒がそれでは入りますよ」あの手、この手、裏の手全部知ってる前科十三犯でございますから、全国歩いて、防犯の運動を進められて一生涯を終えられたというのでございます。どんな子であっても決して見捨てないという、この親心に触れて、真人間として魂の回復ができたのでございます。
自分の心でありながらその心に振り回されている自分、どうして上手くコントロールできないのか。それは「三毒」の煩悩を生まれながらに持ち合わせてきた人間の「
そして、私自身もその欲に溺れ、自分の思い通りにならないといって腹を立て、怒り狂うことがありますが、いったん怒りの炎が燃え上がると、だんだんエスカレートして、ついに暴力を振るってしまう愚かな人間です。頭では解っているつもりでも、どうしても「からだ」が言うことを聞きません。
このような赤裸々な自分自身の姿を素直に見つめ、深く「自内省」するとき、おのずから懺悔の心がめばえ信仰への道が開けてくるのではないでしょうか。
阿弥陀さまのご本願、この私を絶対見捨てないという親心を信じ、ひたすらお念仏をおとなえることが浄土門であります。阿弥陀さまはこんなできそこないの私に、お慈悲のみ心をもって「わが名となえよ、われを呼べ」と絶え間なく呼び続けられているのです。今はただ、その親心におすがりし、共々にお念仏をおとなえいたしましょう。 (同称十念)
ぼんのうよ のくのがいやならそこにおれ
そちにかまわず なむあみだぶつ (徳本上人)