4.おわりに─三代相伝の書として

 これまで重ねて述べてきたように、法然上人が『一枚起請文』において説き示そうとされた肝要は「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」という結文にあります。法然上人は、日々の相続としての日課念仏を次のように勧奨されています。

善導を信じて浄土宗に入らん人は、一向に正行を修して、日々の所作に一万二万乃至五万六万十万をも、器量の堪えんにしたがいて、いくらなりともはげみて申すべきなりとこそ心得られたれ。
 (『浄土宗略抄』昭法全六〇二頁)

 ここで法然上人は、「善導大師を信じて浄土宗の教えに帰依した人は、ただひたすらに称名念仏を修して、日々のお念仏が一万遍でも二万遍でも、あるいは五万、六万、十万遍であろうとも、その人のお称えでき得る限り、たとえ何遍であっても心を励まして称えることが大切であると心得ております」と、その人に応じた日課念仏を勧めています。
 もちろん、このように説示される法然上人ご自身が日課六万遍、いや、七万遍の念仏行者であったことが、次のようなご法語から知られます。

源空は、大唐の善導和尚のおしえにしたがい、本朝の恵心の先徳のすすめにまかせて、称名念仏のつとめ、長日六万遍なり。死期ようやくちかづくによりて、又一万遍をくわえて、長日七万遍の行者なり。 (『聖光上人伝説の詞』昭法全四六一頁)

 ここで法然上人は、「私は、中国の善導大師のみ教えに従い、またわが国の先徳、恵心僧都のお勧めのままにお念仏を称え、これまで長いあいだ日課六万遍としてまいりました。いよいよ自分の死期が近づいたと感じてからは、さらに一万遍を加えて、日々七万遍を称える行者となったのです」と、日課六万遍、晩年は七万遍となったことをお示しです。
 そして、二祖聖光上人の日々の行実も次のようでありました。

この聖、浄土門に入りしより後は、毎日に六巻の『阿弥陀経』、六時の礼讃時を違えず、
又、六万遍の称名怠る事なし。初夜の勤め終わりて、一時ばかりぞ(まどろ)(まどろ)まれける。その後は起き居つつ、明くるまで高声念仏(たゆ)む事なかりけり。
(『四十八巻伝』四六、聖典六・七二二頁。『決答授手印疑問鈔』聖典五・三七一頁、『聖光上人伝』浄全一七・三九二頁下、『念仏名義集』浄全一〇・三七四頁下、『念仏三心要集』浄全一〇・三九二頁上にも同様の説示が伝えられる)

 このように聖光上人も、浄土門の教えに帰依されてから、毎日六遍の『阿弥陀経』読誦と「六時礼讃」の厳修と共に、日課六万遍のお念仏を欠かすことはありませんでした。こうした聖光上人の日課六万遍のお姿は、「弁阿、先師の御教訓を守って、毎日六万遍、畢命(ひつみょう)()と為す」(『決答授手印疑問鈔』聖典五・二九八頁)とご自身が述べられているように、師法然上人のお姿を間近にご覧になられ、その実践を師の「御教訓」として継承されていたからに他ならないのです。
 さらに、三祖良忠上人の日々の行実も次のようでありました。

六万の名を以て日課と為し、小経六部毎日()かさず。六時礼讃、蓮漏(れんろ)を失わず。又月月に法事讃を行じ、節節に別時念仏を勤む。 (『然阿上人伝』浄全一七・四一〇頁上)

 このように良忠上人も、毎日六遍の『阿弥陀経』読誦と「六時礼讃」の厳修と共に、六万遍のお念仏を日課とし、毎月『法事讃』法要を勤め、しばしば別時念仏を修めていたことが知られます。こうした良忠上人の日課六万遍の念仏相続も、師聖光上人、さらには、その師法然上人から継承されたものと言えるでしょう。
 『一枚起請文』ご撰述の二日後、建暦二年正月二十五日、選択本願念仏の教えを確立され、専修念仏のご生涯を送られた法然上人は、念仏相続のうちに往生の素懐を遂げられました。法然上人―聖光上人―良忠上人という浄土宗三代に相承された日課念仏六万遍のお姿は、「ただ一向に念仏すべし」と『一枚起請文』を結ばれた法然上人の思いの具現化に他ならず、法然上人が未来永劫にわたる衆生に付属された念仏相続の伝統は、まさにわが浄土宗にこそ継承されているのです。

 最後になりましたが、『一枚起請文』には、膨大な数になる各種註釈書、『一枚起請文』にならい歴代祖師が撰した各種一枚起請文、『一枚起請文』の文体をまねて民間で作成された一枚起請文の擬古文、そして、多くの解説書・研究論文などがあるので、その主なものについて紹介します。

◎一枚起請文註釈書
聖冏上人『一枚起請之註』一巻、聖聰上人『一枚起請見聞』一巻、忍澂上人『吉水遺誓諺論』一巻、同『吉水遺誓諺論附録正流弁』一巻、義山上人『一枚起請弁述』一巻、関通上人『一枚起請文梗概聞書』三巻、法洲上人『一枚起請講説』二巻、隆長上人(天台宗)『一枚起請但信鈔』二巻(以上浄全九所収)の他、玉山成元師は一〇九部の『一枚起請文』註釈書を調査、紹介しておられます(後掲、玉山師論文参照)。
◎祖師一枚起請文
鎮西禅師一枚起請文(聖光上人)、記主禅師一枚起請文(良忠上人、大本山光明寺開山)、寂慧上人一枚起請文(四祖良暁上人、同第二世)、定慧上人一枚起請文(同第三世)、良順上人一枚起請文(同第四世)、了専上人一枚起請文(同第五世)、良吽上人一枚起請文(同第六世)(了吟上人撰『新撰往生伝』浄全一七・五〇九頁上~五一二頁下)
◎一枚起請文擬古文
千利休『茶の湯一枚起請文』、伝尊朝法親王『飲酒一枚起請文』、狐立大我『渡世一枚起請文』、手島堵庵『商人一枚起請文』、井上円了『哲学一枚起請文』、小沢蘆庵『和歌一枚起請文』等(後掲、伊藤師・玉山師論文、野田師編著参照)
◎主な一枚起請文解説書・論文
[主な解説書]

・香月乗光師『一枚起請文のこころ』(知恩院御忌局、一九五九年)
・藤井実応師『法然上人と一枚起請文 法然上人のご遺訓』(大東出版社、一九八六年)
・藤堂恭俊師『一枚起請文のこころ』(東方出版、一九八七年)
・野田秀雄師編『一枚起請文あらかると』(四恩社、二〇〇〇年。後、増補改訂版〔二〇一〇年〕刊行)
[主な研究書、論文]
・林彦明師「一枚起請文の研究」(『専修学報』二、一九三四年)

・伊藤祐晃師「一枚起請文並に二枚起請文に就て」(同師『浄土宗史の研究』〔同師遺稿刊行会、一九三七年〕所収。後『浄土宗学研究叢書〈宗史・宗論篇〉浄土宗史の研究』〔国書刊行会、一九八四年〕として再刊)

・玉山成元師「一枚起請文について」(『浄土学』二六、一九五八年。後『日本名僧論集 第六巻 法然』〔吉川弘文館、一九八二年〕に再録)

・小川竜彦師『一枚起請文原本の研究』(同刊行会、一九七〇年)
・松島定宣師『一枚起請文の起請について』(常光寺、一九八〇年)
・中野正明師「「善導寺御消息」諸本の問題点」(同師『法然遺文の基礎的研究』第Ⅱ部 第六章、法蔵館、一九九四年)
・安達俊英師「御法語の背景⑬『一枚起請文』(一)~(四)」(『宗報』二〇〇二年一月号、三月号~五月号)
【註】
(1)前掲、玉山成元師「一枚起請文について」を参照されたい。
(3)拙稿「『選択集』の構造―偏依善導一師―」(『印度学仏教学研究』五五―一)を参照されたい。

(3)源智上人系統の『一枚起請文』や『御誓言の書』に対し、聖光上人系統の『善導寺御消息』諸本にも「智者フルマイナカクセスシテ、タタ一向ニナモアミタ仏トマウシテソカナハム」(昭法全四三四頁)とあり、両者の趣旨は同一と見て良いだろう。

(4)拙稿「仏教における念仏―念から声へ―」(『秋篠文化』五)、同「『選択集』における善導弥陀化身説の意義―選択と偏依―」(『仏教文化研究』四二・四三合併)等を参照されたい。

(5)丸山博正師「行具の三心について」(『小澤教授頌寿記念論文集 善導大師の思想とその影響』三二四頁)。
(6)柴田泰山師「『選択集』第八章段所説の至誠心釈について」(『宇高良哲先生古稀記念論文集・歴史と仏教』)を参照されたい。

(7)『昭法全』において「第八輯 伝法然書篇」に所収されるなど、書誌的に検討を要するものの、『一枚起請文』に準じる内容を有する『二枚起請文』には「称名の外には三心なし、称名の外には決定往生の四修なし。五念も称名の外にはなし」(昭法全一一三〇頁)とあり、『東大寺十問答』と『一枚起請文』を結ぶ説示が施されている。

(8)聖光上人による宗義・行相の成立背景については、藤堂恭俊師「法然・聖光両祖師における善導教学の受容と展開」(『善導大師研究』)、同「聖光房弁長上人における善導教学の受容と展開」(『仏教文化研究』二四)、同「聖光房弁長上人による宗義・行相の創設とその意図」(『坪井俊映博士頌寿記念・仏教文化論攷』)を参照されたい。

(9)拙稿「選択本願念仏と結帰一行三昧」(『佛教文化学会十周年・インド学諸思想とその周延』)を参照されたい。
(10)拙著『法然上人と聖冏上人』(傳通院、二〇一二年)を参照されたい。