3.『一枚起請文』の心─結帰一行の書として

 以上の点を踏まえ、ここでは『一枚起請文』を七段に分け、その【原文】【現代語訳】を紹介した後、その撰述背景や法然上人の思想変遷、さらには、二祖三代の教学や五重相伝との関わりを念頭に、法然上人が遺された各種ご法語を交えて【解説】を施していきます。

(ⅰ)観念と称念と─法然上人による仏教の転換

【原文】
唐土我朝に、もろもろの智者達の、沙汰し申さるる観念の念にもあらず。
【現代語訳】
私、法然の説いてきたお念仏は、み仏の教えを深く学んだ中国や日本の高僧方が理解して説かれてきた、心を静めてみ仏の姿を想い描く観念のお念仏ではありません。

【解説】
 本段において法然上人は、ご自身の勧奨するお念仏がいわゆる「観念の念仏」ではないことを明らかにされます。法然上人は、観念の念仏と称名の念仏とを対比して次のように述べられています。

近来の行人観法をなす事なかれ。仏像を観ずとも運慶・康慶がつくりたる仏ほどだにも、観じあらわすべからず。極楽の荘厳を観ずとも、桜・梅・桃・李の花菓ほども、観じあらわさん事かたかるべし。ただ彼の仏、今現に世に在して成仏したまえり、まさに知るべし本誓の重願虚しからず、衆生称念すれば必ず往生を得の釈を信じて、ふかく本願をたのみて一向に名号を唱うべし。名号をとなうれば、三心おのずから具足するなり。
(『つねに仰せられける御詞』昭法全四九四頁。『十七條御法語』昭法全四六八頁にも同内容のご法語が伝えられる)

 ここで法然上人は、同時代に活躍された運慶・康慶の造立した仏像を引き合いに出し、「近頃の修行者は、静めた心で極楽の様子や阿弥陀仏のお姿を想い描く修行をする必要などありません。み仏のお姿を心に想い描いたとしても、あの名高い仏師、運慶や康慶が彫り上げた仏像よりもはっきりと想い描くことなどできようはずもありません。極楽のあり様を想い描こうにも、現実の桜や梅や桃や李の花や実ほどにはっきりと想い描くことは難しいものです。ただ『往生礼讃』において善導大師が〈阿弥陀仏は、今現に仏となって西方浄土にましますのだから、その誓いに建てた本願が虚しかろうはずがない。衆生が阿弥陀仏の名を称えれば、必ず往生が叶うのである〉と示された解釈を信じて、その本願を深く頼みとしてひたすらお名号を称えるべきです。お名号を称えれば、三心は自然と具わるものです」と、私達凡夫には観念の念仏を成就することが不可能であり、だからこそ本願称名念仏に帰すべきことを訴え、念仏相続による三心具足について言及されています。
 そもそも念仏の源流を遡ると、初期仏教において仏・法・僧・戒・施・天を思念する六念(六随念)の第一に据えられた「念仏」を見出すことができます。初期経典である『雑阿含経』には、仏の妙なる功徳を讃えた十種の異名である十号を念ずることを「念如来」とし、その実践によって貪瞋痴の三毒煩悩を離れ、仏の教えを体得することができると説かれています。その後、こうした六念の説示は『大般涅槃経』等の大乗経典にも継承され、広く「念仏」と呼称されていきます。その際、念仏の念とは、サンスクリット語のsmrtiの訳で、対象を心に保持して忘れない(憶念)という意でした。

 その後、大乗仏教の生成・発展に伴う、仏像の造立、あるいは、三十二相八十種随形好と呼ばれるような仏の身体的特徴の整備と具象化、さらには、時空を超越した多仏思想の成立によって、時間的には三世の諸仏、空間的には六方や十方の他方諸仏、あるいは、姿形を超えた真理そのもの(真如・法性・第一義空等)としての法身仏へと念仏の対象が拡大し、その目的も滅罪や護念、見仏、そして他方諸仏の建立になる浄土往生などへと多様化していきます。また、そうした流れと平行して、インド・中国・日本へと仏教が東漸・伝播し、浄土教、特に阿弥陀仏信仰が僧俗を問わず広く浸透するに及んで、拡大した念仏の対象も西方極楽浄土の救主たる阿弥陀一仏へと次第に収斂(しゅうれん)され、多様化していた念仏の目的もその浄土への往生を第一義とするようになっていきます。
 そうした念仏思想の一つの集大成が、わが国の恵心僧都源信が撰述した『往生要集』です。『往生要集』において源信は、念仏を説くにあたり、心を静めて阿弥陀仏の身体的特徴である相好を順次に観察していく別相観、阿弥陀仏の姿を総括的に観察する惣相観、そして、阿弥陀仏の白毫に限って観察する雑略観の三種の観念の念仏を説き、浄土往生への肝要として人々に勧めました。一方、称名念仏はどこまでも観念の二次的・副次的な立場に抑えられていました。『往生要集』の思想は、貴族層を中心に浸透し、永承七年(一〇五二)、末法の世に入ったとされると、急速に浄土教信仰は広まり、宇治平等院鳳凰堂(一〇五三年造)や平泉中尊寺金色堂(一一二四年造)に代表される、観念を主目的とした阿弥陀仏像を祀る阿弥陀堂が日本各地にこぞって建立されていくのです。

 『往生要集』の思想に基づく阿弥陀堂建立が当時の権力者達にとって浄土往生への捷径(しょうけい)であったのに対し、そうした仏像や堂塔を建立でき得ない庶民にも阿弥陀仏信仰に基づく念仏、とりわけ称名念仏が広く浸透していきます。そうした状況の中で登場されたのが法然上人です。法然上人は、『往生要集』に導かれつつも、一貫して観念として受容されてきた念仏理解の潮流を称名へと大きく舵を切り、善導大師の思想を拠り所として、極楽浄土の救主である阿弥陀仏自身が、浄土往生の行として他ならぬ称名念仏一行を選び取って(選択)、その誓願(本願)とされているという選択本願念仏思想を確立されたのです。
 そして、『選択集』第三章において法然上人は、阿弥陀仏が本願選定の際、善妙を選取し、粗悪を選捨されたという取捨の姿勢こそ「選択」であるとし、阿弥陀仏が浄土往生行として称名念仏を本願に据えた理由として、勝劣・難易の二義を提示されます。
 『往生要集』を含む法然上人以前の仏教界の常識は、次の図式にあてはまります。

称名念仏       =易行→劣った人に用意されている=劣った功徳
諸行(含、観念の念仏)=難行→勝れた人に用意されている=勝れた功徳

 こうした図式は、私たち凡夫の常識(機辺)に基づいた価値判断であり、因果の道理を基調とする仏教においては基本的な構図です。しかし、こうした立場に留まっている限り、誰にでも実践可能な称名念仏は易行なるが故に劣った功徳であるという見解は微動だにせず、後述するように法然上人の弟子達もこうした非難を多く蒙っていました。そこで法然上人は、勝劣・難易の二義を通じて、次のような阿弥陀仏の本意を明らかにしなければならなかったのです。

称名念仏       =易行=勝れた功徳←阿弥陀仏の他力が及ぶから
諸行(含、観念の念仏)=難行=劣った功徳←自力の功徳に限定されるから

 こうした図式は、阿弥陀仏の常識(仏辺)に基づく価値判断であり、ここに法然上人は、「易」なるが故に最底辺に位置づけられていた称名念仏を仏教界の表舞台に引き上げ、お念仏の「ひとりだち」(『禅勝房伝説の詞』昭法全四六二頁)を実現する勝易念仏を成立されたのです。勝劣・難易の二義に基づく法然上人による称名念仏の提唱は、出家僧侶中心のそれまでの仏教から、阿弥陀仏の前では出家僧侶も在家信者もすべて平等であるという民衆主役の仏教への大転換でもあったのです。(4)
 ところで、こうした観念の念仏から称名の念仏への移行については、『四十八巻伝』等の諸伝記において、法然上人が比叡山西塔黒谷におられた頃、師叡空上人と観称勝劣を議論し、観念が劣行であり、称念が勝行であると主張された旨の記述があります。
 しかし、上人四十三歳(承安五年〔一一七五〕)の回心(えしん)から、五十八歳(文治元年〔一一九〇〕)の東大寺講説までの著述と考えられる『往生要集詮要』には、「観念と称念と勝劣あり難易あり。即ち観念は勝れ、称念は劣なり」(昭法全五頁)と、観念に比して称名念仏は劣った行であることを明示し、難易に約して易行なる称名念仏を時機相応な行として勧奨していることが分かります。また、東大寺講説「三部経釈」や『逆修説法』など、『選択集』以前に成立した一連の著作を見ても、称名念仏こそが選択本願行として勝・易の行であり、観念を含めた諸行が劣・難の行であることを明言されている著作は見出せず、『選択集』においてはじめて、勝劣・難易の二義が成立していることが分かります。つまり、勝劣・難易の二義は、四十三歳で本願念仏の教えに回心された法然上人が六十六歳の『選択集』撰述に至るまでの二十年以上に及ぶ深い思索を経た結果、明らかにし得た教えであり、これまでの仏教界の支配的常識を百八十度覆す画期的な思想だったのです。ところが、後述するように、その教えを自身の都合の良いように曲解して、念仏相続を軽んじ、ひいては造悪無礙をも主張する輩が現れてしまう事態となるのです。

(ⅱ)学問のための念仏か、念仏のための学問か

【原文】
また学問をして、念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。
【現代語訳】
また、み仏の教えを学びとることによって、お念仏の意味合いを深く理解した上で称えるお念仏でもありません。

【解説】
 本段において法然上人は、ご自身の勧めるお念仏が、学問を修めてその()われを表面的に理解しただけで事足りるような念仏ではないことを主張しています。法然上人が、こうした一節を説き示さざるを得なかった背景は、門下の異義・邪義にこそ求められるでしょう。とりわけ、幸西等による一念義の主張が法然上人を悩ませていたことが、『四十八巻伝』二九において次のように述べられています。

上人の弟子となり、成覚房幸西と号しけるが、浄土の法門を、元習える天台宗に引き入れて、迹門(しゃくもん)の弥陀、本門の弥陀という事を立てて、「十劫正覚といえるは、迹門の弥陀なり。本門の弥陀は、無始本覚の如来なるが故に、我等所具の仏性と、全く差異なし。この(いわれ)を聞く一念に事足りぬ。多念の遍数、甚だ無益なり」と言いて、「一念義」という事を自立しけるを、上人、この義、善導和尚の御心に背けり。甚だ然るべからざる由、制し仰せられけるを、承引せずして、猶この義を興しければ、我が弟子にあらずとて、擯出(ひんしゅつ)せられにけり。 (聖典六・四五三頁)

 こうした説示から、一念義の教えが、「浄土三部経」に説かれる阿弥陀仏や極楽浄土と大きく乖離し、自身の内にある仏性と阿弥陀仏とが同一であるなどという謂われを聞く一念によって救済が成立すると理解し、念仏相続を著しく軽んじている様子が窺えます。すなわち、一念義が法然上人の説かれてきた選択本願念仏思想と根本的に異なる邪義であり、先述したようにそれを主張する輩による他宗への誹謗中傷や造悪無礙な振るまいが専修念仏教団全体に大きな被害をもたらしていたのです。そうしたことから法然上人は、『七箇条制誡』はもちろんのこと、いくつもの消息においてまことに厳しく一念義の主張を誡めておられます。ここでは、その一端について紹介します。

罪をおそるるは本願をかろしむるなり、身をつつしみてよからんとするは、自力をはげむなりという事は、ものもおぼえぬ、あさましきひが事なり、ゆめゆめ耳にも聞きいるべからず、露塵(つゆちり)ばかりも用いまじき事なり。 (『示或人詞』昭法全五八八頁)

 ここで法然上人は、「〈罪を犯しては往生できないと恐れるのは、阿弥陀仏の本願を信じ切っていないのだ〉とか、〈身を慎んで念仏するのが善いとするのは、自力を頼りに往生しようと努力しているのだ〉などと言っているのは、物知らずで、まったく嘆かわしいばかりの誤りです。決して聞き入れることがあってはなりません。微塵も信用してはいけないことです」と、造悪無礙の主張を強く誡められています。

一念往生の義、京中にも(ほぼ)流布するところなり。おおよそ言語道断のことなり。……かくのごときの人は、附仏法(ふぶっぽう)の外道なり、師子の身の中の虫なり。またうたごうらくは、天魔波旬(てんまはじゅん)のために、その正解をうばわるるともがらの、もろもろの往生の人をさまたげんとするなり。あやしむべし。ふかくおそるべきものなり。
(『越中国光明房へつかはす御返事』昭法全五三七頁)

 ここで法然上人は、「一念往生の義が、京の都にもだいぶ弘まっております。全く言語道断のことです。……そんなでたらめを弘める人は、仏法に従っているふりをして正しい教えを妨げる悪魔であり、〈獅子身中の虫〉です。天魔波旬のしわざによって、教えを正しく理解することを妨げられた人々が、他の多くのお念仏の行者に支障を与えるのではないかと心配されます。本当にとんでもないことであり、実に恐ろしいことです」と、彼等の主張を強く退け、正しい信仰を具えた方への悪影響を憂えておられます。

近来、一念のほかの数返無益なりと申す義、いできたり候よし、ほぼつたえうけたまわり候。勿論(もちろん)言うに足らざるの事に候か。文義をはなれて申す人、すでに証を得候か、いかん。もっとも不審に候。またふかく本願を信ずるもの、破戒もかえりみるべからざるよしの事、これまた問わせたもうにも、およぶべからざる事か。附仏法の外道、ほかにもとむべからず候。
(『基親の書信並びに法然上人の返信』昭法全五四九頁。『基親卿に遣はす御返事』昭法全六〇八頁にも同内容のご法語が伝えられる)

 ここで法然上人は、「近頃、〈往生のためには一遍のお念仏で十分なのだから、一遍称えた後のお念仏はもう必要はない〉などといった説が出てきていることは、おおむね伝え聞いております。もちろん、言うに足らないとんでもないことです。そのように言っているのは経文や論書から離れて勝手なことを言っている人なのでしょうが、そう言える証拠でもあるのでしょうか。そんなはずはありません。まことに不審に思います。また〈深く阿弥陀仏の本願を信じる人は戒律を破っても気にすることはない〉などという説については、私にお尋ねになるまでもありません。そんなことを言う人は仏法に従っているふりをして正しい教えを妨げる外道であり、ほかに例を見ることもできません」と、やはりその主張を強く非難し、一念義が経典・論疏に基づかない外道の教えであると訴えています。

一念の後又称念せず。ならびに犯罪(ぼんざい)せば、なお決定往生と信ずべきにあらず。此くの如く信じ候は、一重、深心に似たるといえども、還りて邪見と成り候()
(『九條兼実の問に答ふる書 其の二』昭法全六一〇頁)

 ここでも法然上人は、「わずか一遍のお念仏で往生が叶うからといって、それ以後お念仏もせず、そればかりか、いたずらに罪を重ね、それでも必ず往生が叶うなどと言っていることを信じてはいけません。このように信じることは、阿弥陀仏の本願をいっそう深く信じているかのようにみえますが、実際は(よこしま)な考えとなるのではないでしょうか」と、一念義が邪見に他ならないと指弾しています。
 このように法然上人は、一念義とその輩に対して「ものもおぼえぬ、あさましきひが事」「言語道断のこと」「附仏法の外道」「師子の身の中の虫」「天魔波旬のために、その正解をうばわるるともがら」「言うに足らざるの事」「邪見と成り候」と、実に厳しい指摘を重ねておられます。あの寛容で温厚な法然上人が、他の著作・法語・消息等では決して見せることのなかった、こうした厳しい態度を示されたのも、念仏相続を軽んじ、造悪無礙を吹聴する輩の邪義なることを明らかにする必要があったと共に、一念義の徒によって法然上人が創唱した選択本願念仏思想に著しい誤解を生じ、教化伝道に努めてきた専修念仏教団が大きな損害を蒙る事態を引き起こしていることを、いたく憂えたからに他なりません。現にこれら一連の、いわゆる「一念義停止起請文」は、専修念仏教団への弾圧の結果、法然上人が流罪となり、摂津勝尾寺に逗留されていたあいだに筆記されたものが多いと考えられています。こうした消息や法語をしたためざるを得なかった法然上人の思いはいかばかりであったことでしょう。これら一念義を誡める一連のご法語からも知られるように、表面的な学問がもたらす弊害について、法然上人は次のように訴えておられます。

学生骨(がくしょうこつ)になりて、念仏やうしなわんずらん。
(『つねに仰せられける御詞』昭法全四九三頁)

 すなわち法然上人は、「学者ぶって念仏をあれこれ議論していれば、いつしかお念仏を称えなくなってしまうでしょう」と述べられているのです。
 もちろん法然上人は、ある程度の修学の必要性を次のようにお示しです。

往生のためには称名足んぬとなす。学問を好まんよりは、唯一向に念仏して往生を遂ぐべし。弥陀・観音・勢至に遇い奉らん時、何れの法門に達せざらん。彼の国の荘厳、昼夜朝暮に甚深の法門を説くなり。念仏往生の旨を知らざらん程はこれを学すべし。もしこれを知り已りなば、幾ばくならざる智慧を求めて称名の(いとま)を妨ぐべからず。
(『勢観上人との問答』昭法全六九五頁。『信空上人伝説の詞 其一』昭法全六六九頁、『一期物語』昭法全四四三頁にも同内容のご法語が伝えられる)

 ここで法然上人は、「往生のためには称名念仏で事足りるのです。好んで仏法を学ぼうなどと思うよりも、ひたすらお念仏して往生を遂げるべきです。ひとたび極楽浄土において阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩にお会いしたならば、いったいいかなるみ教えを究められないなどということがありましょうか。かの浄土の貴い荘厳は、昼夜朝暮に奥深い教えを説いているからです。ただし、念仏往生の道理がしっかりと理解できていないうちはこれを学ぶべきです。しかし、この道理が理解できたならば、いかほどの成果も見込めない仏法の智慧を求めようとして、かえって称名念仏の暇を妨げることがあってはなりません」と、智慧の成就は極楽において達成すべきことを説きつつ、念仏往生の道理を理解するための修学の必要性は説かれています。ほぼ同内容の法語として次のものもあります。

往生のためには念仏第一なり。学問すべからず、ただし念仏往生を信ぜん程はこれを学すべし。  (『渋谷入道道遍伝説の詞』昭法全四六八頁)

 ここでも法然上人は、「往生を叶えるためにはお念仏が第一です。学問は必要ありません。ただ、お念仏を称えて往生が叶うと信じられるようになる程には、学問を修めるべきです」と、念仏往生の信を確立するための修学の必要性をお示しです。
 このように法然上人は、学問とはどこまでも「念仏相続のための学問」であって、結果として念仏相続が妨げられるような「学問のための念仏」、ひいては「学問のための学問」に終わってしまってはいけないと強く訴えておられるのです。

(ⅲ)三心具足の称名念仏

【原文】
ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。
【現代語訳】
阿弥陀仏の極楽浄土へ往生を遂げるためには、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」とお称えするのです。一点の疑いもなく「必ず極楽浄土に往生するのだ」と思い定めてお称えするほかには、何も細かなことはありません。

【解説】
 法然上人にとって、浄土往生のための唯一の条件が「三心具足の称名念仏」の実践でありました。それは言うまでもなく、善導大師の『観経疏』等に基づきつつ、『無量寿経』の阿弥陀仏による第十八願に説かれる「至心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して」の一節こそが、『観無量寿経』上品上生に説かれる至誠心・深心・廻向発願心の三心に相当すると理解されたからです。法然上人は、『選択集』第八章の篇目において「念仏の行者必ず三心を具足すべきの文」と三心具足が念仏行者に必須であることをお示しです。同章において法然上人は、善導大師の『観経疏』と『往生礼讃』の三心についての記述を全文引用している一方、私釈がわずかであることからも、『選択集』撰述時の法然上人にとって、三心の理解は善導大師の説示通りに受けとめればそれで事足りるものでした。ところが先述したように、念仏相続を軽んじ、(おとし)めるような輩が、三心を様々に理解し、あろうことか三心を私達凡夫が具える心ではなく、仏から私達に賜る心である等と受け止める邪義も出てきました。そうした点について法然上人は、次のように述べられています。

三心の中に、至誠心をようようにこころえて、ことにまことをいたすことを、かたく申しなすともがらも侍るにや。しからば弥陀の本願の本意にもたがいて、信心はかけぬるにてあるべきなり。いかに信力をいたすというとも、かかる造悪の凡夫の身の信力にて、ねがいを成就せんほどの信力は、いかでか侍るべき。ただ一向に往生を決定せんずればこそ、本願の不思議にては侍りけれ。さように信力もふかく、よからん人のためには、かかるあながちに不思議の本願おこしたもうべきにあらず。この道理をば存じながら、まことしく専修念仏の一行にいる人いみじくありがたきなり。
(『念仏大意』昭法全四〇九頁)

 ここで法然上人は、「三心のうち、至誠心をさまざまに理解して、〈私たちは凡夫であるから真実の心を発すことなどなおさらできようはずもない〉と申す輩などおりましょうか。もしそうであるなら、そうした人は阿弥陀仏の本願の()(こころ)()き違え、信心が欠けてしまっているに違いありません。たとえ私たちがどれほどに信心の力を注ごうとも、私どものような悪業を造ってきた凡夫の信心に、往生という願いを叶わせるほどの力が、どうしてあるものでしょうか。ただひたすらに往生の願いを揺るぎなくするからこそ、阿弥陀仏の本願は私たちの理解を超えてもたらされるのです。自ら往生を遂げるほど信心の力が深く、徳も高いであろう人のために、阿弥陀仏がわざわざ私たちの理解を超えた本願をお誓いになるはずはございません。こうした道理をよく心得て、ただひたすらにお念仏一行を修める教えに心から帰入する人は、たいへん尊い方です」と述べられています。
 このご法語から、すでに法然上人ご在世当時には、三心、特に至誠心の受けとめ方に異義が生じていたことが分かります。なるほど法然上人は、門下における三心の正しい理解を促すべく、種々のご法語や消息・問答などにおいて、三心について、他のいかなる教学用語よりも多くの紙幅をさいて懇切に解説を施しておられます。かつて丸山博正先生は、念仏相続による三心具足の根拠を検討された際、「(法然上人が)念仏の継続により三心具足が可能であると言い切れた根拠は、三心が仏の本願によって定められたものであり、したがって念仏を継続していく行者の心に三心を具足させる本願力がはたらくからであるといえる(5)」と述べられていますが、先ほどのご法語に説かれる「さように信力もふかく、よからん人のためには、かかるあながちに不思議の本願おこしたもうべきにあらず」という一節からも、「阿弥陀仏の誓願の中に説かれる三心が凡夫に具えられないような難しい心であるはずはない」と法然上人が受けとめられていたことが知られます。だからこそ法然上人は、以下の一連のご法語において述べられるように、『観経疏』や『往生礼讃』に説示される詳細な三心の理解をかみ砕いて平易にし、あるいは、その文言を一旦離れるなどして、実に多様な三心具足の姿を説き示されるようになったと推測されます。

三心を具して、かならず往生す。一つの心もかけぬれば、生まるる事を得ずと、善導は釈し給いたれば、往生を願わん人は最もこの三心を具すべきなり。しかるにかように申したるには、別々にて事々(ことごと)しきようなれども、心得解くにはさすがにやすく具しぬべき心にて候なり。詮じてはただまことの心ありて、深く仏のちかいをたのみて、往生を願わんずるにて候ぞかし。
(『御消息』昭法全五八四頁。『浄土宗略抄』昭法全六〇〇頁、『大胡の太郎実秀へつかはす御返事』昭法全五一九頁にも同内容のご法語が伝えられる)

 ここで法然上人は、「〈三心を具えたならば必ず往生する、そのうち一つでも欠けることがあれば往生は叶わない〉と善導大師が解釈しておられますからには、往生を願う人は必ずこの三心を具えるべきです。このように言いますと、三心はなにやらまちまちで仰々(ぎょうぎょう)しいものに思われるでしょうが、心得てみれば実は具えやすい心なのです。要は、ただまことの思いで、阿弥陀仏の本願におすがりして、往生を願う心なのです」と、三心を平易かつ簡潔にまとめ、実は具足しやすい心であるとお示しです。

三心と申し候も、ふさねて申すときは、ただ一つの願心にて候なり。その願う心の、いつわらずかざらぬかたをば至誠心と申し候。このこころまことにて念仏すれば、臨終に来迎すということを、一念も疑わぬかたを深心とは申し候。このうえわが身もかの土へ生まれんと思い、行業(ぎょうごう)をも往生のためとむくるを廻向心とは申し候なり。
(『法性寺左京大夫の伯母なりける女房に遣はす御返事』昭法全五八九頁)

 ここで法然上人は、「三心と言いましても、ひとことで言うならば、ただ往生を願う心です。その願う心の、正直で飾ることがないさまを至誠心と呼びます。そのようなまことの心でお念仏したならば、臨終には必ず仏さまのお迎えがあると信じて決して疑わないさまを深心と呼びます。その上で自分自身が極楽浄土へ往生したいと思い、すべての善根を往生のために振り向けるさまを廻向心と呼ぶのです」と、三心に共通する基盤を願往生心に集約し、その上に至誠心・深心・廻向(発願)心を配しています。

三心を安く(そなう)る様あるなり。決定往生せんずるなりと(おもい)(とり)て申す念仏は、誠の心を至さんと(おしう)る至誠心も(この)(こころ)に納りぬ。又この阿弥陀仏の本願に疑いを成さず。決定往生すべきぞと思えと教るに、深心も此内に納りぬ。第三の廻向発願心も申したらん念仏を一脈に決定往生せんずるぞと願えと教るに、廻向発願心も此内に納るなり。明らかに知んぬ、決定往生せんと思い切りて申す念仏に三心は皆納るなりと云う事を、されば習わざる物なれども決定往生せんずるぞと思い切て申し居る程に三心を具ることは安きなり。
(『常に仰せられける御詞』昭法全四九一頁)

 ここでも法然上人は、「三心をたやすく具える様とは次のようなものです。〈必ず往生するのだ〉と思い定めてお念仏を称えるなかに〈誠の心をもって〉という至誠心がすでに込められているのです。また〈阿弥陀仏の本願に疑いを差し挟まず、必ず往生するのだと思いなさい〉と教える深心も、やはり、お念仏を称えるなかに込められているのです。また同様に〈お念仏を称えるにあたっては、必ず往生するのだと絶え間なく願いなさい〉と教える第三の廻向発願心も、お念仏を称えるなかに込められているのです。これらのことから明らかにお分かりでしょう。〈必ず往生するのだ〉と心を決めて称えるお念仏に、三心はみな納まっているということを。ですから、三心とはどのようなものか教わらなかった人でも、〈必ず往生するのだ〉と心を決めて称え続けるならば、三心を具えるのはたやすいことなのです」と、やはり三心を願往生心に集約し、あわせて、習わずとも三心を具えられるとお示しです。

その名をだにもしらぬものも、このこころをばそなえつべく、またよくよくしりたらん人の中にも、そのままに具せぬも(そうらい)ぬべきこころにて候なり。
(『大胡の太郎実秀へつかはす御返事』昭法全五二〇頁)

 ここでも法然上人は、「三心は、その名称すら知らない人にも具わるものです。けれども、実に細かにその内容を理解している人の中にも、その通りには具わっていない人もいるものです」と、三心の内容をよく学んだ人が必ずしも三心を具えているわけではなく、その名称すら知らない人でも三心を具えているとお示しです。

故法然聖人のおおせごとありしは、三心をしれりとも念仏せずばその詮なし。たとい三心をしらずとも念仏だにもうさば、そらに三心は具足して極楽には生ずべしとおおせられし。  (『隆寛律師聴聞の御詞』昭法全七三七頁)

 ここで法然上人は、「たとえ三心をよく理解していてもお念仏を称えなければ何にもなりません。たとえ三心を知らなくともお念仏さえ称えていれば、自ずと三心は具わり極楽に往生するのです」と、三心を学び知ることよりも、念仏を相続することの大切さと念仏相続による三心の具足をお示しです。

南無阿弥陀仏というは、別したる事には思うべからず。阿弥陀ほとけ我をたすけ給えということばと心えて、心にはあみだほとけ、たすけ給えとおもいて、口には南無阿弥陀仏と唱るを三心具足の名号と申すなり。 (『つねに仰せられける御詞』昭法全四九二頁)

 ここで法然上人は、「〈南無阿弥陀仏〉については、別段難しく考える必要はありません。〈阿弥陀仏、どうかこの私をお救い下さい〉という言葉と心得て、心には〈阿弥陀仏、お救い下さい〉と思い、口には〈南無阿弥陀仏〉と称えることを〈三心が具わった名号〉というのです」と、「助け給え」という思いで念仏相続する中に三心が具足されるとお示しです。

詮ずる所、この念仏は決定往生の行なりと信を取りぬれば、自然に三心は具足して、往生するぞと、易々と仰せられ侍りしなり。 (『念仏往生修行門』聖典六・二七一頁)

 ここで法然上人は、「要するに、このお念仏は必ず浄土往生が叶う行であるという信心に至ったならば、自ずと三心は具わり往生が叶うのです」と、称名念仏による決定往生心が三心具足に通じているとお示しです。

三心といえる名は各別なるににたれども、詮ずるところは、ただ一向専念といえる事あり、一すじに弥陀をたのみ念仏を修して、余の事をまじえざるなり。
(『念仏往生義』昭法全六九一頁)

 あるいは法然上人は、「三心という名称からするとそれぞれ別の心持ちのようですが、経文に〈一向専念〉とあるように、要はひとすじに阿弥陀仏をたよりとしてお念仏を称え、他の行をまじえない、そうした心持ちをいうのです」と、『無量寿経』三輩段に「一向に専ら無量寿仏を念じ(上輩)」「一向に専ら無量寿仏を念ずべし(中輩)」「一向に意を専らにして、乃至十念、無量寿仏を念じて(下輩)」とお念仏と共に説かれ、あるいは、『観経疏』散善義に「一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるに在り」等とやはりお念仏と共に説かれる「一向」の中に三心を求めています。

観経の三心、小経の一心不乱、大経の願成就の文の信心歓喜と、同流通(るずう)歓喜踊躍(かんぎゆやく)と、みなこれ至心信楽の心なり。 (『十七條御法語』昭法全四六九頁)

 さらに法然上人は、「『観無量寿経』に説かれる〈三心〉と、『阿弥陀経』に説かれる〈一心に乱れることなく〉、『無量寿経』の阿弥陀仏の本願成就の文にある〈心から信じて喜びにひたる〉、同じく流通分の〈喜びに湧き身を踊らせる〉などの一節は、すべて第十八念仏往生願で〈嘘偽りなく心の底から……〉と説いているのと同じ心なのです」と、『阿弥陀経』の「一心不乱」、『無量寿経』の「信心歓喜」「歓喜踊躍」など、お念仏と共に説かれるさまざまな心のありさまも三心に他ならないと理解されていることが分かります。
 このように「三心具足の称名念仏」とは言いながらも、法然上人が、実に多様かつ柔軟に三心を受容していることが分かります。そして、ここまで幅広く、かつ豊かに三心を説示することができた背景と、念仏の相続によって三心が具足できるという裏付けとを次のご法語に見出すことができるのです。

ある人問うていわく、善導本願の文を釈し給うに、至心に信楽して我が国に生ぜんと欲して、の安心を略し給う事、なに心かあるや。答えての給わく、衆生称念すれば必ず往生を得、と知りぬれば、自然に三心を具足するゆえに、このことわりをあらわさんがために略し給えるなり。
(『信空上人伝説の詞 其一』昭法全六七一頁。『一期物語』昭法全四四二頁、『源智上人伝聞の御詞』昭法全七五五頁にも同内容のご法語が伝えられる)

 ここで法然上人は、「善導大師が阿弥陀仏の第十八念仏往生願を解釈するにあたり、その文にある〈嘘偽りなく心の奧底からわが浄土に往生したいと願う心〉、すなわち安心を省略されたのはどういう理由からなのでしょうか」という質問を受け、「善導大師の『往生礼讃』に説かれる〈衆生が阿弥陀仏の名号を称えれば必ず往生が叶う〉とのお言葉を心得れば、三心は自ずと具わるものだからです。こうした道理を明らかにするために、略して解釈されているのです」とお答えになりました。
 なるほど、善導大師が『往生礼讃』において、阿弥陀仏の第十八願を解釈された「もし我れ成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称すること、下十声に至るまで、もし生ぜずんば正覚を取らじ。彼の仏、今現に世に在して成仏したまえり。まさに知るべし。本誓の重願虚しからず、衆生称念すれば必ず往生することを得」という一節の中に三心の意は説示されていません。偏依善導一師を撰述の基底に据えた『選択集』第三章において、この一節を引用された法然上人ですが、このご法語において、弥陀化身たる善導大師が、阿弥陀仏ご自身の直説として、三心を略され、「衆生称念すれば必ず往生することを得」という念仏相続による決定往生を説かれた点を根拠として、さまざまなご法語において、あるいは三心を略され、あるいは三心を多様かつ柔軟に説示され、あるいは三心が念仏相続によって具足されるというご法語を展開されるようになったのでしょう。法然上人の慧眼にあらためて敬服させられます。
 さらに言えば、同じく『選択集』第三章において第十八願の善導大師による解釈として引文とされた『観念法門』の「もし我れ成仏せんに、十方の衆生、我が国に生ぜんと願じて、我が名字を称すること、下十声に至るまで、我が願力に乗じて、もし生ぜずんば正覚を取らじ」という一節にも三心に準ずる説示はなく、「我が国に生ぜんと願じて」という願往生心のみが説かれるのです。この説示を通して法然上人は、凡夫の(さが)を知り尽くされた専修念仏の導師たる善導大師が、弥陀化身の立場から、あらためて三心を願往生心に集約して説き示されたと受けとめ、それを契機として、種々のご法語において、三心を願往生の一心へと転換・昇華されたのでしょう。
 このように法然上人は、善導大師による『観経疏』や『往生礼讃』の三心釈を踏まえつつも、やはり善導大師による『往生礼讃』や『観念法門』において第十八願を解釈された説示を拠り所として、善導大師が、あるいは三心を略され、あるいは念仏相続による三心の具足を説かれ、あるいは三心を願往生心に転換・昇華されていると受けとめられた結果、三心を①願往生心、②「助け給え」、③決定往生心、④『無量寿経』『観無量寿経』所説の「一向」、⑤『阿弥陀経』所説の「一心不乱」、⑥『無量寿経』所説の「信心歓喜」「歓喜踊躍」等と実に多彩に三心を解釈され、あるいは、①念仏相続による三心の具足、②三心を学び知ることを浄土往生の必要条件とはしない等と柔軟に理解されるようになったのです。そして、そうした法然上人の尊い智見が「うたがいなく往生するぞと思い取りて申す」という本段の説示に結実されることとなったと考えられるのです。

(ⅳ)行を通じて具わるもの

【原文】
ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり。
【現代語訳】
ただし、お念仏を称える上では、三つの心構えと四つの態度が必要とされていますが、それらさえもみなことごとく、「『南無阿弥陀仏』とお称えして必ず往生するのだ」と思い定める中に、自ずと具わってくるのです。

【解説】
 本段において法然上人は、前段において紹介した「衆生称念すれば必ず往生を得、と知りぬれば、自然に三心を具足する」等という一連のご法語に説かれるように、念仏相続すれば三心や四修が自然と具足されるとお示しです。本段は、理解の便をはかるため、〈a.行具の三心〉と〈b.結帰(けっき)一行三昧(いちぎょうざんまい)〉の二項に分けて解説を施すこととします。

〈a.行具の三心〉
 まず法然上人は、三心具足までの経過について次のようにお示しです。

三心に智具の三心あり、行具の三心あり。智具の三心というは、諸宗修学の人、本宗の智をもって信をとりがたきを、経論の明文を出し、解釈のおもむきを談じて、念仏の信をとらしめんとてとき給えるなり。行具の三心というは、一向に帰すれば至誠心なり、疑心なきは深心なり、往生せんとおもうは回向心なり。かるがゆえに一向念仏して、うたがうおもいなく往生せんとおもうは行具の三心なり。
(『東大寺十問答』昭法全六四四頁)

 ここで法然上人は、「三心には、教えを学ぶうちに具わる〈智具の三心〉と、お念仏を称えていくうちに具わる〈行具の三心〉とがあります。〈智具の三心〉とは、他宗の教えを学び修めてきた人に、その宗の視点からでは信じがたいお念仏の教えについて、さまざまな経典や論書からその典拠を明らかにし、それらの正しい解釈を語り聞かせて、お念仏が信じられるように説き聞かせて具わる信心です。〈行具の三心〉とは、ひたすら阿弥陀仏にわが身を託す心が至誠心であり、往生への疑いがなければそれが深心であり、往生を目指せばそれが廻向心なのですから、ひたすらお念仏を称えて、疑いの心など抱かずに往生を目指すことが〈行具の三心〉となるのです」と、三心具足に智具の三心と行具の三心とがあることを明らかにしています。すでに紹介してきたご法語でも縷々言及されていたように、法然上人は、以下に示すご法語においても行具の三心についてさかんに説かれています。

一向の心にて念仏申して、疑い無く往生せんと思えば、即ち三心は具足するなり。
(『三心料簡および御法語』昭法全四四九頁)
ひたむきな心でお念仏を称え、何も疑うことなく往生したいと願うのであれば、それだけで三心は具わるものです。
願う心いつわらずして、げに往生せんとおもい候えば、おのづから、三心は具足することにて候なり。
(『法性寺左京大夫の伯母なりける女房に遣はす御返事』昭法全五八九頁)
極楽往生を願う心に嘘偽りがなく、心底往生したいと思うのであれば、三心は自然に具わってくるのです。
まめやかに往生せんとおもいて念仏申さん人は、自然に具足しぬべきこころにて候。
(『大胡の太郎実秀へつかはす御返事』昭法全五一五頁)
心から往生を願ってお念仏を称えている人には、自ずと三心は具わるものです。
人目をかざらずして、往生の業を相続すれば、自然に三心は具足するなり。
(『乗願上人伝説の詞』昭法全四六七頁)
人目を気にして自身を飾り立てることなく、往生の叶うお念仏を相続すれば、自ずと三心は具わるのです。

 こうしたご法語において法然上人は、「一向の心」で、「疑い無く」、「げに」、「まめやかに」、「人目をかざらず」お念仏を相続すれば、自ずと三心が具わることを明らかにしています。

三心を具する事、別の様無し。阿弥陀仏の本願に、我が名号を称念すれば、必ず来迎せんと誓い給えるが故に、決定して引接せらるべしと深く信ずるなり。心念口称に()かず、已に往生を得たるの心地にして、しかも最後の一念に至りて退転せざれば、自然に三心を具足するなり。
(『禅勝房に示されける御詞』昭法全六九九頁。『十二問答』昭法全六四〇頁、『配流の途次修行者に示されける御詞』昭法全七一二頁にも同内容のご法語が伝えられる)

 ここで法然上人は、「三心を具えるにあたっては、とりたてて特別の方法はありません。阿弥陀仏の本願に〈わが名号を称えよ、されば必ず来迎しよう〉と誓われているからには、必ず阿弥陀仏がお導きに来てくださると深く信じなさい。そして、心に往生を願いつつ、口にお念仏を称えることを怠らず、すでに往生している心持ちとなって、臨終における最後一遍のお念仏まで退転することがなければ、おのずと三心は具わるのです」と、決定往生心をもって、あるいは、すでに往生しているという心持ちで念仏相続すれば自然と三心は具足されていくとお示しです。

我が身に三心を具せることを知る事。大経の説の如く、歓喜踊躍の心即ち発りたらば、三心具せる(しるし)と知るべきなり。歓喜とは、往生決定と思う故に喜ぶ心なり。往生を不定に歎く位は未だ三心を発さざる者なり。三心を発さざるが故に歓喜の心無し、これ即ち疑を致すが故に歎くなり。
(『三心料簡および御法語 昭法全四五〇頁)

 ここで法然上人は、「自分に三心が具わったかどうかを知ることについて」と題して、「『無量寿経』に説かれるように、躍り上がるほどの歓喜の心が湧き発ったならば、三心が具わった証とお心得なさい。歓喜とは、浄土への往生は間違いないとの確信を得て湧き発る喜びの心です。往生に確信を持てずに歎くようであれば、まだ三心が具わっていない人ということになります。三心が湧き発っていないために歓喜の心が発らないのです。これはつまり、往生に疑いをかけるために歎きとなるのです」と、歓喜踊躍の心が発った人は三心が具足されているとお示しです。

今度の生に念仏して来迎にあずからんうれしさよとおもいて、踊躍歓喜の心のおこりたらん人は、自然に三心は具足したりとしるべし。念仏申しながら後世をなげく人は、三心不具の人なり。もし歓喜する心いまだおこらずば、漸漸(ぜんぜん)によろこびなろうべし。又念仏の相続せられん人は、われ三心具したりとしるべし。
(『禅勝房伝説の詞』昭法全四六一頁)

 ここで法然上人は、「この世に生を受け命ある間にお念仏を称え、臨終には阿弥陀仏のお迎えにあずかれるとの嬉しさのあまり、躍り上がるほどに歓喜する心が湧き発った人は、自ずと三心が具わったのだとお心得なさい。お念仏を称えながらも後生を悲嘆する人は、三心が具わっていない人なのです。もし、いまだに歓喜の心が湧き発らないのでならば、次第にその心が発るように勤めるべきです。また、お念仏を相続している人は〈自分には三心が具わった〉と理解すべきです」と、踊躍歓喜の心が発った人、知らぬ間に念仏が相続されている人はすでに三心が具足されているとお示しです。

往生の得否はわが心にうらなえ、その(うら)(よう)は、念仏だにもひまなく申されば往生は決定としれ。もし疎相にならば、順次の往生はかのうまじとしれ。この占をしてわが心をはげまし、三心の具すると、具せざるとをもしるべし。
(『禅勝房伝説の詞』昭法全四六一頁)

 ここでも法然上人は、「浄土往生が叶うかどうかは自分の心に尋ねなさい。自身のありようが、お念仏を絶やさず称えているならば、往生は間違いないと知りなさい。もしお念仏を怠りがちであるならば、臨終の後、ただちに往生することは叶わないと知りなさい。このように判断して自らの心を励まし、三心が具わっているかいないかを推し量るべきです」と、知らぬ間に念仏相続されるようになれば、すでにその人に三心は具足されているとお示しです。
 このように法然上人は、前段で紹介したご法語にもあったように、一向の心や願往生心、決定往生心で念仏相続に努めることによって自ずと三心が具足されるとお示しになるばかりでなく、①すでに往生を遂げているという心持ち、②歓喜踊躍の心で念仏相続が進められていれば、さらには、③知らぬ間に念仏相続される姿になっていれば、すでに三心が具足されている証であるとお示しです。すなわち、願往生心を具えて念仏相続に努める「三心具足の称名念仏」という「心」と「行」との同時平行的な理解を踏まえつつも、三心理解の通規に留まらず、さらには、「行」を先とした「心」の涵養について説かれたのです。こうした法然上人の一連のご法語は、『選択集』開巻劈頭の「念仏為先」や『同』第八章私釈段の「外をひるがえして内に蓄えばまことに出要に備うべし(6)」との説示の具体的展開として捉えられ、次に示す結帰一行三昧へと継承されていくのです。

〈b.結帰一行三昧〉
 次に法然上人は、念仏相続による三心の具足と共に、敬恭修・無余修・無間修・長時修といった四修の具足をも述べられています。そこで、念仏相続による四修の具足について、先に紹介してきた各種ご法語の内に四修の具足を求めると次のようになりましょう。
 まず「心念口称に()かず」(『禅勝房に示されける御詞』)、「念仏だにもひまなく申されば」(『禅勝房伝説の詞』)といった説示は、念仏相続の無間なることを示しており、念仏相続と無間修とが同時並行的に成立していると読み取れます。
 次に「一向専念といえる事あり……余の事をまじえざるなり」(『念仏往生義』)等といった説示中にある「一向」について法然上人は、『選択集』第四章において「もし念仏の他にまた余行を加えば、すなわち一向にあらず……諸行を廃してただ念仏を用いるが故に一向という」と説示され、余行を兼ねないことを「一向」と規定していることから、無余修に通じるものであり、念仏相続の内に自ずと無余修が具わっていると読み取れます。
 さらに「最後の一念に至りて退転せざれば」(『禅勝房に示されける御詞』)といった説示から、最期臨終の夕べまで念仏相続すべきことを示され、念仏相続の内に長時修も具わっていると読み取れます。
 最後に「かの仏および一切の聖衆等を恭敬礼拝す」(『往生礼讃』)、また「一には有縁の聖人を敬ふ……二には有縁の像教を敬ふ……三には有縁の善知識を敬ふ……四には同縁の伴を敬ふ……五には三宝を敬ふ」(『西方要訣』)といった敬恭修については、それと分かる明瞭なご法語は見出せないものの、念仏相続の内に阿弥陀仏や極楽浄土への恭敬の思いがあるからこそ、念仏相続がなされると読み取ることができます。
 このように、浄土往生を目指して念仏一行の実践が相続されている願往生人の自ずからなる身口意三業の働きは、意識するとせざるとにかかわらず、四修として望まれる日々の営み、あるべき念仏生活として現出されることとなるのです。すなわち、阿弥陀仏や極楽浄土に集う聖衆、あるいは経典や仏像に対して常に敬いの心を向け(恭敬修)、念仏以外の行をとりたてて修めようとはせず(無余修)、常に念仏を相続して間をおかず(無間修)、わが命尽きるその時まで念仏を称え続けよう(長時修)という思いとその実践が顕現されることになるのです。
 実は、『一枚起請文』の他には、四修の具足について法然上人が明示された法語は少ないのですが、次のご法語をその一つとしてあげることができます。(7)

五念四修も一向に信ずる者には自然に具するなり。 (『東大寺十問答』昭法全六四四頁)

 このご法語は、先に紹介した智具の三心・行具の三心を説いた直後に続けられたものです。そこでの「一向」の用いられ方から、ここでは、三心にとどまらず、「五念門や四修も、阿弥陀仏の本願をひたすら信じて念仏相続する者に自ずと身に付くものです」と理解できます。法然上人のこうした説示は、まさに「行具の五念門」「行具の四修」とも呼べるものと言えましょう。三心ばかりでなく、五念門や四修も念仏相続によって具足されるというお示しは、法然上人から二祖聖光上人へと継承されたものであることが、聖光上人撰『末代念仏授手印』の宗義・行相に続く奥図に説かれる次の一節によって知られます。

善導の御釈を拝見するに、源空が目には、三心も、五念も、四修も、皆ともに南無阿弥陀仏と見ゆるなり。
(聖典五・二四〇頁、『つねに仰せられける御詞』昭法全四九三頁、『聖光上人伝説の詞』昭法全四五九頁にも『授手印』を典拠とした同内容のご法語が伝えられる)

 ここで法然上人は、「善導大師の御解釈を拝見いたしますと、私の目には、三心も、五念門も、四修も、すべて〈南無阿弥陀仏〉と見えるのです」と、お念仏の相続の内に三心・五念門・四修が同時平行的に成立することになるとお示しです。
 周知のように聖光上人は、『授手印』序分の中で次のように述べられています。

上人往生の後には、その義を水火に(あらそ)い、その論を蘭菊に致して、還って念仏の行を失って、空しく浄土の業を廃す。悲しきかな、悲しきかな。いかがせん、いかがせん。…この間において(いたず)らに称名の行を失することを悩き、空しく正行の勤めを廃しぬることを悲しんで、かつうは然師報恩のため、念仏興隆のために、弟子が昔の聞に任せ、沙門が相伝に依って、これを録して、留めて向後に贈る。()って末代の疑いを決せんが為、未来の証に備えんが為に、手印を以て証となして、筆記する所、()の如し。
(聖典五・二二四)

 ここで聖光上人は、師法然上人の教えに背き、念仏行を失っている弟子達がいたことを深く嘆き、その思いこそが『授手印』執筆の所以となっていることを明らかにしています。そして、わが浄土宗の二重伝書である『授手印』本文において聖光上人が明らかにされたのが、法然上人の遺文にも見出せない宗義・行相の構造です。聖光上人が、宗義・行相の構造を創設された最大の理由は、一念義・寂光土往生義等を主張する輩が、三心を学び知ることのみに重きを置き、念仏相続を軽んじるという憂慮すべき事態に対し、法然上人が示された真義を正しく伝えなければならないという真摯な使命感をもって、『観経疏』を中心に決定往生の道理を説く宗義と『往生礼讃』を中心に念仏行者による実践体系を説く行相という新たな枠組みを構築すべき必要性に迫られていたという点が挙げられます。(8)
 すなわち、「宗義」として語られる「第一重・五種正行」「第二重・正助二行」が、『観経疏』散善義、深心釈中の就行立信(じゅぎょうりっしん)において創設された往生行の分別、あるいは、それを受けた『選択集』第二章、ひいては第三章の所説に基づいていることは言うまでもありません。つまり、「機」の自覚に基づき、浄土門に帰入した私達に唯一残された往生行としての本願称名念仏へと至る筋道を帰納的に明かすのが「宗義」についての説示と言えます。また「行相」として語られる「第三重・三心」「第四重・五念門」「第五重・四修」「第六重・三種行儀」が、『往生礼讃』前序の安心(三心)・起行(五念門)・作業(四修)という体系的な実践方軌と『観念法門』や『往生要集』に説かれる行儀(三種行儀)に基づいていることは言うまでもありません。五念門と三種行儀についての言及こそ見られないものの、その過程に含まれるのが『選択集』第八章と第九章の二章であり、その篇目に、それぞれ「念仏の行者、必ず三心を具足すべきの文」、「念仏の行者、四修の法を行用すべきの文」とあるように、法然上人は、選択本願念仏へと帰納的に導かれた「念仏の行者」が主格となって、「必ず三心を具足」し、「四修を行用すべき」ことを訴えています。つまり、「宗義」の説示を受け、念仏行者となった私達が、その念仏を称える際の心のありようや日々の暮らしについて演繹(えんえき)的に説き明かすのが「行相」の説示なのです。
 「行相」の説示に続く「奧図」において聖光上人は、「三心も南無阿弥陀仏、五念門も南無阿弥陀仏、四修も南無阿弥陀仏、三種行儀も南無阿弥陀仏」(聖典五・二四〇頁)と記し、先述した法然上人のご法語をより所として、行相において述べてきた三心・五念門・四修・三種行儀のそれぞれが念仏一行の実践に対して各別に認識されるのではなく、念仏と表裏をなして同一視される、いわゆる「結帰一行三昧」となることを指摘しています。ここで聖光上人は、法然上人が『東大寺十問答』において提示された「行具の三心」「行具の五念門」「行具の四修」とも呼べる至極肝要な教えを簡潔鮮明に図示することに成功されたのです。古来、「結帰一行三昧」が浄土宗の教えの真髄として尊ばれている由縁こそ、まさに本段において法然上人が「ただし三心・四修と申すことの候は、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり」と述べられた意義と符号し、その意図を正しく継承しているからに他ならないのです。(9)

(ⅴ)釈迦・弥陀二尊に向けた起請

【原文】
この外に奧ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。
【現代語訳】
もし私が、このこと以外にお念仏の奥深い教えを知っていながら隠しているというのであれば、あらゆる衆生を救おうとする釈尊や阿弥陀仏のお慈悲に背くこととなり、私自身、阿弥陀仏の本願の救いから漏れ堕ちてしまうこととなりましょう。

【解説】
本段において法然上人は、これまで述べてきた説示内容について、釈迦・弥陀二尊に対して嘘偽りのないことを誓われています。そして、この一節こそ、神仏に誓願を立てる「起請」の形式を備えているので、『一枚起請文』と呼称される由縁なのです。

 本願念仏の教えを釈迦・弥陀二尊の教えとして強調されたのは他ならぬ善導大師であり、その『観経疏』には、二尊に言及する次のような一連の記述を見出せます。

今、二尊の教に乗じて、広く浄土の門を開かん。(『観経疏』玄義分、聖典二・一六一頁)
娑婆の化主(けしゅ)(釈尊)は、その請に()るが故に、すなわち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は、別意(べっち)弘願(ぐがん)を顕彰したまう。
(『観経疏』玄義分、聖典二・一六二頁)
仰ぎ(おもんみ)れば、釈迦はこの方より発遣(はっけん)し、弥陀はすなわちかの国より来迎したまう。かしこに()び、ここに()る、あに去らざるべけんや。(『観経疏』玄義分、聖典二・一六三頁)
娑婆の化主(釈尊)は物の為の故に、想を西方に住せしめ、安楽の慈尊(阿弥陀仏)は情を知りたまうが故に、すなわち東域(娑婆)に影臨(ようりん)したまう。
(『観経疏』定善義、聖典二・二六二頁)
仰いで釈迦、発遣して西方に指向せしむることを蒙り、また弥陀、悲心をもって招喚(しょうかん)したまうによって、今二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず。
(『観経疏』散善義、聖典二・二九九頁)

 このように善導大師は、本願念仏が釈迦・弥陀二尊の教えであることを繰り返し説示されており、法然上人も、こうした善導大師の意を受けて本段の説示を遺されたのでしょう。
 ちなみに、善導大師は『観経疏』深心釈中に、三仏(弥陀・釈迦・諸仏)三経(『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』)についても詳説され、次のように結論づけています。

これを仏教(釈迦)に随順し、仏意(諸仏)に随順すと名づけ、これを仏願(弥陀)に随順すと名づけ、これを真の仏弟子と名づく。 (『観経疏』散善義、聖典二・二九〇頁)

 これを受けた法然上人も『選択集』において三仏同心になる選択本願念仏思想を体系化され、特にその第十六章において、三仏三経に基づいた「八種選択」を説き、あるいは、次のような一連のご法語において、三仏への信順を訴えておられます。

弥陀の本願・釈迦の付属・六方の護念、一々にむなしからず。この故に念仏の行は諸行にすぐれたり。 (『大胡の太郎実秀が妻室のもとへつかはす御返事』昭法全五一二頁)
まことに往生の行は、念仏がめでたきことにて候なり。その故は、念仏は弥陀の本願の行なればなり……念仏は釈迦の付属の行なり……念仏は六方の諸仏の証誠(しょうじょう)の行なり。
(『九條殿下の北政所へ進ずる御返事』昭法全五三三頁)
いまはただ弥陀の本願にまかせ、釈尊の付属により、諸仏の証誠にしたがいて、おろかなるわたくしのはからいをやめて、これらの故、つよき念仏の行をつとめて、往生をばいのるべし。 (『九條殿下の北政所へ進ずる御返事』昭法全五三三頁)
阿弥陀仏は不取正覚の(ことば)を成就して、現に彼国(かのくに)にましませば、定めて命終の時は来迎し給わん。釈尊は善哉、我が教えにしたがいて生死を離ると知見し給い、六方の諸仏は悦ばしき哉、我が証誠を信じて、不退の浄土に生まると悦び給う覧と。
(『一紙小消息』昭法全四九九頁)

 このように法然上人は、選択本願念仏の教えが、三仏同心の教えであることを重ねて説き、その功徳の甚大なることを強く訴え続けられました。そして、こうした一連のご法語は、法然上人にとって、いわゆる異学・異見・別解(べつげ)・別行の者達に対峙し、念仏行者の決定往生心の確立を促すためであったと考えられます。
 (ⅰ)において言及したように、法然上人の教えは、それ以前の仏教界の常識からすれば、容易には理解し難いものでした。それを裏付けるかのように、『四十八巻伝』六には、法然上人が回心された経緯について次のように述べられています。

恵心の『往生要集』、専ら善導和尚の釈義をもって指南とせり。これにつきて(ひら)き見給うに、彼の釈には乱相の凡夫、称名の行によりて、順次(じゅんし)に浄土に生ずべき旨を判じて、凡夫の出離を、容易(たやす)く勧められたり。蔵経披覧の度に、これを(うかが)うといえども、取り()き見給うこと三遍、遂に「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に、時節の久近を問わず、念念に捨てざる、是を正定の業と名付く。彼の仏の願に順ずるが故に」の文に至りて、末世の凡夫弥陀の名号を称せば、彼の仏の願に乗じて、確かに往生を得べかりけり、という(ことわり)を思い定め給いぬ。         (聖典六・五六頁)

 ここで法然上人は、『往生要集』に導かれて『観経疏』を読み進めてみたものの、開宗の文によって本願念仏による浄土往生への確信を得られるまでに『観経疏』を取り分け三遍(ひもと)かれた、(すなわ)ち一切経を五遍披覧した分を加えると都合八遍もご覧になったと示されています。こうした経緯も善導大師、ひいては法然上人の説かれる浄土宗の救いの論理そのものが、当時の仏教界の視点を遙かに凌駕し、超越した教えであったからに他なりません。しかし、八宗兼学にして「智慧第一」(『四十八巻伝』五、聖典六・四八頁)と讃えられた法然上人であったからこそ、善導大師の説示の深意を汲み取ることができ、ここにこれまでの仏教界の常識が覆され、悟り・智慧の仏教を超えた、救い・慈悲の仏教が成立し、誰もが救われる本願念仏の教えが開花することになったのです。『津戸の三郎入道へ遣わす御返事』の冒頭において法然上人は、次のようにお示しです。

熊谷入道、津戸三郎は無智の者なればこそ(たん)念仏をば勧めたれ、有智(うち)の人には必ずしも念仏には限るべからずと申す(よし)聞こえて候らん、極めたる僻事(ひがごと)にて候。その故は念仏の行はもとより有智無智に限らず、弥陀の昔誓いたまいし本願も遍く一切衆生のためなり。無智のためには念仏を願じ有智のためには余の深き行を願じたまう事なし。
(昭法全五〇一頁)

 ここで法然上人は、「熊谷次郎直実や津戸三郎為守は無智の者だから、専修念仏を勧めているに過ぎないのであって、有智の人には必ずしも念仏に限るものではないと言っているという風聞は、とんでもない僻事です。なぜならお念仏の行はもとより有智無智に限らない行であって、阿弥陀仏がはるか昔に誓われた本願は遍くすべての衆生のためなのです。阿弥陀仏が、無智のためにはお念仏を誓願とし、有智のためには他の深遠な行を誓願されたということはありません」と、いかなる誹謗中傷があろうとも、念仏行者は阿弥陀仏によって選択された本願念仏への信を微塵も揺るがせてはいけないことを強く訴えています。
 なるほど、法然上人の選択本願念仏の教えは、それ以前の仏教界の常識を根底から覆す教えであったことから、ともすると異学・異見・別解・別行の者によって、常に疑問を提示され、断続的に非難を蒙ってきました。それは、現在も続いていると言えるでしょう。しかし、だからこそ法然上人は、本段に述べられたように弥陀・釈迦二尊に対して起請をされ、自身の教えに決して嘘偽りがないことを未来永劫に及ぶ一切衆生に説き示そうとされたのです。

(ⅵ)ただ一向に念仏すべし

【原文】
念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。
【現代語訳】
お念仏のみ教えを信じる者たちは、たとえ釈尊が生涯をかけてお説きになったみ教えをしっかり学んだとしても、自分はその一節さえも理解できない愚か者と自省し、出家とは名ばかりで、ただ髪をおろしただけの人が、仏の教えを学んでいなくとも、心の底からお念仏を称えているように、けっして智慧ある者のふりをせず、ただひたすらお念仏を称えなさい。

【解説】
 本文の結語において法然上人は、これまで述べてきた本願念仏の教えを信じる者たちに向けて、どれほど経典や論疏を学び尽くそうとも、常に自身の愚鈍なることを自省して、決して智者の振る舞いをせず、専修念仏に邁進すべきことを訴えています。善導大師の『観経疏』に説かれる九品皆凡(くほんかいぼん)の主張や深心釈中の信機・信法の説示等に基づいて選択本願念仏思想を構築された法然上人は、自身の凡夫性を振り返ることの大切さについて、次のように述べられています。

無智を本となす事。およそ、聖道門は智慧を極めて生死を離れ、浄土門は愚癡に還りて極楽に生ず。所以は、聖道門に趣く時、智慧を(みが)き禁戒を守り、心性を浄むるをもって宗となす。然るを浄土門に入る日、智慧をも(たの)まず、戒行をも護らず、心器をも調えず、只々甲斐無く無智者と成るならば、本願を憑みて往生を願うなり。……源空が念仏申すも一文不通の男女に(ひと)しうして申すぞ、全く年来修学したる智慧をば一分(いちぶん)も憑まざるなり。     (『三心料簡および御法語』昭法全四五一頁)

 ここで法然上人は、「本来、無智の者こそが救いの対象であることについて」と題して、「そもそも、聖道門とは、智慧を究めることによってこの生死の迷いの世界を離れる教えであり、浄土門とは、ものの道理に暗い愚かな身であると自覚して極楽浄土に生まれる教えです。なぜなら、聖道門を歩むのであれば、智慧を磨き、戒律を守り、心の本性を浄めることをその旨とします。ところが、浄土門を歩むには、智慧をたよりにせずとも、戒律が守れなくとも、ことさらに心身を調(ととの)える禅定が修められなくとも、ただただ取るに足らない愚か者であると自省して、阿弥陀仏の本願にすがって往生を願うのです。私、源空がお念仏を称えるのも、一文字も知らないような人々と同じ心持ちで称えるのであって、これまで修め学んできたことなど、ほんの少しも頼りにしていないのです」と、戒定慧三学の器となれなくとも、智慧を頼りとせず、常に無智なる自覚をもって、ただひたすらにお念仏に励むことこそ肝要であるとお示しです。ここに紹介した『三心料簡および御法語』の説示内容は、『浄土宗大意』(昭法全四七三頁)、『信空上人伝説の詞 其一』(昭法全六七一頁)、『或人の問に示しける御詞』(昭法全七二一頁)、『禅勝房に示されける御詞 其二』(昭法全六九六頁)等、複雑な経緯を経た多くの遺文に伝承され続けていることからも、多くの弟子達に向けて、こうした内容のご法語を常に説き示しておられたであろう法然上人のお姿を彷彿とさせられるのです。
 周知のように、浄土宗の初重伝書である『往生記』には、「種種念仏往生の機」(聖典五・二一六頁)として、智行兼備念仏往生の機・義解念仏往生の機・持戒念仏往生の機・破戒念仏往生の機・愚鈍念仏往生の機の五種が説かれています。これらの中、第五愚鈍念仏往生の機とは、経典等の謂われを学ばずとも、善知識の教えを聞くなどして、ひたすら西方浄土への信を起こし、ひたすらお念仏して往生を願う人を指しています。そして、七祖了誉聖冏上人は、『往生記投機鈔』の中で、「第五の愚鈍念仏往生の人は、正しくこれ宗の本意なり」(聖典五・二六六頁)と説示し、愚鈍念仏の機こそ、浄土宗にとって第一の機であると指摘しています。このように「一文不知の愚鈍の身になして」「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」という本段の説示にこそ、法然上人が創唱・確立され、未来永劫に及ぶ一切衆生に向けて付属された選択本願念仏思想の究極が込められていることが分かるのです。

(ⅶ)法然上人による証明

【原文】
証のために両手印をもってす。
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢んぬ。
 建暦二年正月二十三日                 大師在御判
【現代語訳】
以上のことを証明し、み仏にお誓いするために私の両の掌を印としてこの一紙に判を押します。
浄土宗における心の持ちようと行のありかたを、この一紙にすべて極めました。私、源空の存ずることには、この他の異なった理解はまったくありません。私の滅後、お念仏について(よこしま)な見解が出てくるのを防ぐために、存ずるところを記し終えました。
 建暦二年正月二十三日        (法然上人の署名と花押(かおう)

【解説】
 奥書において法然上人は、「この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候べし」(ⅴ)という説示を受けて、本文に説かれる内容に嘘偽りのないことを後の世まで証明するために、両手の印を押し、滅後の邪義が噴出しないようにと訴えて一部を結ばれています。
 前述したように聖光上人は、『授手印』序分において「手印を以て証となして」と述べ、〔ⅳ 行を通じて具わるもの〕において詳述したように、宗義・行相の構造と結帰一行三昧を説き、本文を終えた直後に「右朱印 左朱印 授手印 源空―弁阿―然阿」(聖典五・二四〇頁)とご自身で両手の印を押し、その教えが法然上人―聖光上人―良忠上人へと間違いなく継承されていることを証明しておられます。そして、二祖三代を貫く結帰一行の教えを継承された聖冏上人は、この『授手印』を中心に据えた五重相伝を構築され(10)、その後、その肝要を抽出した箇条伝法が成立し、さらには、化他五重(結縁五重)へと展開していきました。聖冏上人による五重相伝の制定以来、浄土宗僧侶はもとより、結縁五重の密室道場において、伝灯師による授手作法を通じて、多くの檀信徒が念仏行者として誕生してきました。授手作法の際、受者が合わせる伝灯師の手は、実は伝灯師お一人の手ではなく、その師の手であり、その手もまたその師の師の手であること、こうして遡っていくと、その手は良忠上人の手、聖光上人の手、そして、法然上人の手へとたどりつく旨が受者へと伝えられます。
 すなわち、『一枚起請文』において法然上人が、「滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし」終えられ、その「証のために」押された両手印は、まさに私達浄土宗僧侶や結縁五重相伝を受けられた檀信徒の方々が、それぞれの伝灯師と直々に合わせた手に他ならないのです。さらに、その手は、弥陀化身善導大師の手であり、釈迦・弥陀二尊の手へと通じていく手でもあるのです。『一枚起請文』を拝読するたびに私達は、常にこのことの意義を念頭において一層の念仏相続に励むと共に、三国伝来仏祖相承からなる選択本願念仏の教えを説き示して下さった宗祖法然上人のご恩を胸に刻み、その布教教化に邁進していかねばならないのです。