第1章◎ 『一枚起請文』
『一枚起請文』の心─結帰一行の書として
1.はじめに─末代の一切衆生に向けた「付属」の書
『一枚起請文』は、京都東山華頂山の大谷の禅房(現在の総本山知恩院勢至堂)において、建暦二年(一二一二)正月二十三日、二日後に往生の素懐を遂げられることとなる法然上人が、師の命終の近いことを感じとられた常随給仕十八年の愛弟子・源智上人の懇請により、一枚の紙にしたためられたものです。浄土宗の教えの肝要である本願念仏の意味内容と共に、念仏行者の安心(心構え)・起行(所作)・作業(生活態度)等について、平易かつ簡潔に説き示されています。
智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし。
『一枚起請文』本文末尾のこの一節こそ、法然上人がその生涯を通して探し求め、その理論構築に努め、そして、人々に説き続けられた内容であることに異論を唱える方はいないでしょう。なぜなら、称名念仏こそ、阿弥陀仏が五劫思惟の末に誓願され、兆載永劫の修行を経て、唯一の浄土往生の行として成就された選択本願の行であり、弥陀・釈迦・諸仏が三仏同心に勧進している行であるからです。まさに『一枚起請文』こそは、法然上人にとって、釈迦・弥陀二尊、広くは弥陀・釈迦・諸仏の三仏に向けて自身の説くところに嘘偽りのないことを誓う「起請文」であり、八十年の生涯を終えられるにあたって、周囲の弟子達はもちろん、未来永劫に及ぶ一切衆生に向けた「付属」の書であり、現代的に言えば「遺書」「形見」とも呼べるものなのです。
法然上人が源智上人に授けた真蹟とされる大本山黒谷金戒光明寺蔵の『一枚起請文』は、冒頭に「一枚起請文 源空述」という八字をおき、ついで本文を記し、奥書には「建暦二年正月二三日 源空(花押)」と記され、さらに、全体的に両手の印を押されています。『一枚起請文』成立の経緯や伝来の系譜、現存諸本の校訂等については、すでに多くの先学が詳細に検討を加えられ、その結果、鎮西義の派祖にして浄土宗二祖を継承された弁阿聖光上人系統と、紫野門徒の祖にして知恩院や知恩寺など法然上人ゆかりの寺院の二世となられた勢観房源智上人系統との大きく二系統に分類されることが指摘されています(1)。本稿では、そうした先学の所論を踏まえつつ、黒谷金戒光明寺蔵の『一枚起請文』に基づきながら、解説を施していきます。