4.円頓戒の特色
(ⅰ)仏から授けられる
天平時代に鑑真が来日して伝えた授戒作法は、インド以来の伝統的な授戒作法であり、一人前の出家僧になるために必要な具足戒を授ける作法でした。この授戒は有徳の出家僧からなる三師七証による授戒です。三師とは、正しく戒を授ける
これに対して、円頓戒は受者の眼には見えない不現前の師、つまり仏・菩によって受者に授けられます。その仏・菩の名は湛然の『授菩戒儀』に示されます。この書は十二門の順序次第による授戒作法を説きますが、その第三門の「請師」の箇所で仏・菩の名が授戒の師として示されます。また最澄の『天台法華宗年分度者回小向大式』では、その根拠となる経典名を『観普賢菩行法経』と明示し、三師七証に代わる仏・菩を授戒の道場に招くのであると言っています。三師と証明師、仏・菩の関係は次のとおりです。
戒和上 釈如来
羯磨阿闍梨 文殊菩
教授阿闍梨 弥勒菩
証明師 十方諸仏
同学等侶 十方諸菩
このように釈如来と文殊・弥勒の二菩が三師であり、七証に代わる証明師が十方の諸仏です。さらに十方の諸菩が同学等侶になっていますが、同じ菩道を歩む仲間という意味で、大乗菩戒である円頓戒を受戒することによって菩の仲間入りをするのですから、先輩のすべての諸菩にも道場に同席を願うのです。ただしこれらの仏・菩は受者の眼には見えないので、不現前の師と言いますが、『黒谷古本戒儀』では、
菩戒は、不現前師の諸仏菩を請じ奉ってこれを受く。衆生は見たてまつらずといえども、仏はこれを見たまう。神通に乗じて必ず来たもう。 (『聖典』五・四七五頁)
とあります。
以上のように、インド以来の具足戒を授けるときの戒和上は現前の人師であるのに対して、円頓戒を授ける戒和上は不現前の師である釈如来です。つまり受者は釈如来から授けて頂くのです。しかし実際の授戒作法のときは、釈如来は不現前ですから、受者と釈如来の間に入り、いわば釈如来の代役となる「伝戒師」が授戒作法を執り行うことになります。
なお、典拠となった『観普賢菩行法経』は普賢菩を観想する方法を説く経典で、普賢菩は『法華経』を信仰するものを擁護する菩として説かれています。ちなみに法然の『選択本願念仏集』第一章には、『無量義経』『法華経』とともに法華の三部経としてその経典名が見えます。
また大乗菩戒の場合、戒和上は必ず釈如来であるとは限りません。『瑜伽師地論』の「菩地戒品」には大乗仏教の菩のための三聚浄戒が詳説されますが、三聚浄戒を授けるのは有徳の長老の菩です。ここで言う長老の菩とは不現前の師ではなく、新学の菩の指導者とも言うべき修行を積んだ先輩の菩です。長老の菩は授戒が終わると仏様の前で証明を請います。
なお大乗菩戒の場合、戒を受けるのに
若し千里の内に能く戒を授くるの師無くんば、仏菩の形像の前にして、自ら誓って受戒することを得べし。而も要ず好相を見るべし。 (『正蔵』二四・一〇〇六頁下)
とあり、やはり自誓受戒を認めています。これとほぼ同文の経文が『菩瓔珞本業経』下巻の「大衆受学品」にも見られます。最澄の『天台法華宗年分度者回小向大式』でも『梵網経』を引用しています。仏前で懺悔して、七日、二七日、三七日、ないしは一年間かけて、仏の相好を感得できたとき、その仏前で自誓受戒をするのです。
ただし、最澄もしくはその後の比叡山において、円頓戒の自誓受戒を認めていたかは不明です。また湛然の『授菩戒儀』にも自誓受戒に触れてはいません。なお鎌倉時代の奈良西大寺の叡尊(一二〇一‐一二九〇)と、その弟子で鎌倉極楽寺の忍性(一二一七‐一三〇三)は、『瑜伽師地論』にもとづいて自誓受戒した僧として知られています。
(ⅱ)円頓戒は三聚浄戒として授ける
『梵網経』所説の十重四十八軽戒を円頓戒と称するのですが、授戒のときは『十二門戒儀』(湛然の『授菩戒儀』)にのっとり、十二門中の第七門、「正授戒」において三聚浄戒として授けます。換言すれば円頓戒を三聚浄戒の中に組み込んで授けます。さらに具体的には三聚浄戒の中の第一の摂律儀戒の内容が円頓戒なのであって、正授戒では三聚浄戒(摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒)を「能く
三聚浄戒については本書「授戒編(1)」「授戒編(2)」ですでに説明しましたが、天台では伝統的に『菩瓔珞本業経』所説の三聚浄戒です。その三聚の第一が摂律儀戒で、その内容は『梵網経』所説の十重戒です。第二は摂善法戒で、八万四千の法門、第三は摂衆生戒で、慈・悲・喜・捨の利他行です。『菩瓔珞本業経』では、この三聚浄戒は新学の菩の「正法戒」と言っていますが、三聚浄戒を総合的に見ると仏の教えのすべてがその中に収蔵されていることがわかります。
つまり広義としての戒と狭義の戒があると言えます。広義の戒とは、三聚浄戒の全体を指すのであり、仏の教えそのものです。そして狭義の戒とは、円頓戒である『梵網経』の十重四十八軽戒です。私たちが通常に考える戒の概念、つまり殺生をしてはいけない、盗みをしてはいけない等の戒のことです。これは三聚浄戒の中の摂律儀戒になります。念仏と戒との関係で常に話題になるのはこの狭義の戒になります。
『選択集』の最終章に「正定の業とは、すなわちこれ仏名を称するなり。
さて、広義としての戒は三聚浄戒の全体を指すことになりますが、その中心は摂善法戒です。それは七仏通戒偈の「衆善奉行」に通じる意味があり、その「衆善」とは仏の教えの意味が強いと思います。摂善法戒の「善法」も仏の教えそのものです。八万四千の法門です。したがって摂善法戒を持つというのは、仏の教えを積極的に実践することを意味します。そのときの仏の教えの内容は、宗派によって異なってくることになります。聖道門もあれば浄土門もあります。
日本天台の安然(八四一‐九一五)には『十二門戒儀』を解説した『普通授菩戒広釈』がありますが、その下巻の第七正授戒では円教の菩の三聚浄戒を授けるとしています。天台宗の立場に立てば、円教の菩にとっての摂善法戒は、大乗仏教の最高峰の教えである円教、すなわち『法華経』になるのでしょう。しかし私たちは浄土門なのですから、摂善法戒の内容は「浄土三部経」になります。さらに言えば、「浄土三部経」を依り所にした法然の『選択集』に示される念仏の教えです。
このように理解すれば、持戒は念仏の助業であるという考え方がある一方で、摂善法戒は決して助業にはなり得ないのであって、むしろ念仏の教えそのものになります。したがって摂善法戒を持つと誓うことは、念仏の教えを実践しますと誓うことと同義であることを理解すべきです。さらに言えば、広義の意味での戒を否定すれば、念仏の教えそのものの否定になりかねないのです。これをふまえて摂衆生戒は、念仏信仰を基盤にしての利他行であって、教化活動はもちろんですが、福祉や弱者への救援活動等々もこれに含まれます。
なお十二門中の第十門、「説相」において、円頓戒の内容である『梵網経』の十重戒の一一が説明され、その受持を問います。しかしあくまで円頓戒の授戒は第七門の正授戒であって、円頓戒を組み込んだ三聚浄戒の実践を誓うことによって、いわゆる戒法の発得があるからです。
(ⅲ)円頓戒に再受はない
日本天台の祖、最澄は二十歳のときに東大寺の戒壇院で具足戒(二百五十戒)を受戒していますが、五十三歳のときに具足戒は小乗戒であるからとの理由でこれを棄捨しています。最澄は具足戒は小乗戒であると強く意識しましたが、具足戒そのものは釈尊の在世時からの伝統的な出家僧の戒であり、後には大乗仏教の菩も受持するようになります。ただし具足戒は自らの意思で捨戒ができることが特色です。現在のタイやスリランカの上座仏教でもこの制度は残っています。つまり出家僧が捨戒をすれば、通常はその時点で還俗することになり、俗人に戻ります。
しかし最澄は留学先の中国で大乗菩戒である円頓戒を授かり、具足戒と大乗戒の両方を受持する身でした。最澄にとっては具足戒を棄捨して還俗したのではなく、大乗の菩僧としての身分は維持していました。最澄は円頓戒を中国の地で相伝して比叡山に伝え、そして法然に相伝されました。その大乗菩戒としての円頓戒は『黒谷古本戒儀』によれば、
この円頓の妙戒は、一たび得て後、戒を破り悪を作るといえども、永く失せず。これに依って一得 永不失 の戒と号す。 (『聖典』五・四八一頁)
とあります。さらに「今日この妙戒を受けて生々に失せず」ともあります。円頓戒は一たび受戒すれば、その受戒によって植えつけられた効果としての功徳力、これを戒体と言いますが、これが永久に持続するというのです。たとえ戒を破り悪を作しても、です。永久に持続するとは、輪廻して生まれ変わってもということで、これを「一得永不失」と称しています。
ただし『新本戒儀』、さらには湛然の『十二門戒儀』には「一得永不失」の語はありません。聖冏の『顕浄土伝戒論』では一得永不失の典拠として『菩瓔珞本業経』を引用しています。その下巻の「大衆受学品」には、
菩戒には受法のみ有りて捨法無し。犯すこと有るも失わずして未来際を尽くす。
(『正蔵』二四・一〇二一頁中)
とあります。具足戒のように自らの意志で捨戒できないのが大乗菩戒と説いています。この経典のこの箇所は大乗菩戒を論ずるときによく引きあいに出されます。また道光(一二四三一三三〇)の『天台菩戒義疏見聞』巻一にも、法然が伝えた戒法は一得永不失であると述べています。
大乗菩戒は受法のみで捨戒はないのが基本のようですが、戒法は全く失われることがないのか、また再受はあり得ないのかについては、経論によって説き方が異っています。『瑜伽師地論』巻四十、「菩地戒品」では、二つの場合には戒法は失われます。一には、無上正等菩提(仏陀のさとり)への大願を棄捨する、二には、重罪(
『菩瓔珞本業経』下巻は、「受法のみ有りて捨法無し」と説きますが、実際には十重戒を犯したとき懺悔がなければ再受させる必要があると説いています。また『梵網経』下巻の第四十一の軽戒の箇所では、十重戒を犯したときは仏前で懺悔すべきで、七日、二七日、三七日ないし一年かけても仏の相好を感得し、感得できたときに滅罪になると説きます。もし相好を感得できなければ「この人現身にまた戒を得ず、しかして増して受戒を得る」と説かれ、そのときは戒法が失われるので再受が必要であると、後世の注釈書は解釈しています。
法然の伝記によれば、法然は円頓戒の正流を相伝したと記していますが、法然自身は法語等でそのことに言及していません。『黒谷古本戒義』や聖冏の『顕浄土伝戒論』は、円頓戒の受法によって得られた戒法は一得永不失、すなわち円頓戒の受戒は生涯で一度だけでよいといい、具足戒との相違を主張しています。諸経論をふまえれば、おそらくこれは大乗菩戒の基本的な特色をこのように表現したのだと思われます。なお法然は伝記の中では同一人物に複数回の授戒をしています。大乗菩戒の基本から見ればあり得ないのですが、これは異る観点からの授戒、異なる内容の戒の授戒であったと理解すべきかもしれません。