はしがき

はしがき ─「愚の上にまた愚にかえる」時

   春立や 愚の上に又 愚にかへる

 この句は、小林一茶(一七六三‐一八二八)が還暦を迎えた春、文政六年(一八二三)正月に詠んだものです。言うまでもなく、句は法然上人の「還愚(げんぐ)」の教えをふんでいます。
 一茶は、その晩年、文化文政のころ、浄土宗の高名な念仏行者徳本上人に感化を受けており、上人から十念も受けたと自ら記しています(「七番日記」)。「徳本の念仏ともなれ石の露」など秀句があります。徳本上人等、この頃輩出した念仏行者の活動は、近代を迎えんとする日本での、法然上人回帰への信仰運動ともとらえられます。
 一茶は、法然上人の、

聖道門の修行は、智恵をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚癡にかえりて極楽にうまるとしるべし。    (『法然上人行状絵図』第二十一巻)

の言葉を強く意識していて、おのれの境涯と重ね合わせながら、自分の干支が一巡したかぞえ六十一歳の春に、元祖大師の言葉によって、「愚の上にまた愚にかえる」と自分ながら「愚者の自覚」を再認識したものでしょう。
 一茶は法然上人のおっしゃる言葉を噛みしめ、すべてがゼロにリセットされる本卦還(ほんけがえ)りである還暦を機に、あらためて愚に還ろうと、原点に回帰しようとしたのです。

 浄土宗は、二十一世紀にあたり「劈頭宣言(へきとうせんげん)」を発しました。
  愚者(ぐしゃ)自覚(じかく)
  家庭にみ仏の光を
  社会に(いつく)しみを
  世界に共生(ともいき)

 これは、原点の個人に愚者としての自覚をうながし、そこから個人→家庭→社会→世界と拡大する念仏信仰運動として成立させようとするものと理解します。しかし、一方的な広がりはこわれやすいもの。世界は原点としての個人に円環していかなければ(あや)ういのです。循環する運動となって、はじめて車輪のように倒れずにいられる。それが「還愚」の本来と思います。「愚の上にまた愚にかえる」のです。
 「教諭」にありますように、本宗は平成三十六年(二〇二四)、開宗八百五十年を迎えます。宗祖法然上人八百年大遠忌が成満した今、お念仏の精神を再確認し、

無漏の正智、なにによりてかおこらんや。若し無漏の智剣なくば、いかでか悪業煩悩のきずなをたたんや。悪業煩悩のきずなをたたずば、なんぞ生死(しょうじ)繋縛(けばく)の身を解脱することをえんや。かなしきかな、かなしきかな、いかがせん、いかがせん。ここに我等ごときは、すでに戒定恵の三学の(うつわもの)にあらず。 (同・第六巻)

と、立教開宗の精神に還るべき時でありましょう。愚者の自覚の具体的再確認としての三学非器の自覚を自ら奮いたてて、念仏を申すための足腰を鍛え直す時が今でしょう。
 そうすることによって、はじめて、

なげきなげき経蔵にいり、かなしみかなしみ、聖教にむかいて、手自(てずからみずから)ひらきみしに、善導和尚の観経の疏の、「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者是名正定之業 順彼仏願故」という文を見得てのち、我等がごとくの無智の身は、偏にこの文をあおぎ、専このことわりをたのみて、念念不捨の称名を修して、决定往生の業因に備うべし。         (同・第六巻)

と、念念不捨の称名を修むることの本旨に気づくのです。

 各浄土宗教師におかれましては、この『布教羅針盤』平成二十五年度版をお読みいただき、文字どおり布教教化の方向を示すコンパスとしてご利用くださいますよう念じ申し上げます。

 合 掌

   平成二十五年 春

  浄土宗教学局長 山本正廣