3.中国天台と『梵網経』

(ⅰ)大乗菩薩戒に着目した天台大師智顗

 インドに流布した形跡もなく、また偽撰の疑いさえ持たれていた『梵網経』と『菩薩瓔珞経』に光を当て、そこに説かれる大乗菩薩戒を宣揚した最初の人は、天台大師と仰がれる(五三八–五九七)です。『梵網経』の注釈書は多数ありますが、智顗の『菩薩戒義疏』二巻はその最初の注釈書になります。訳経目録の上で『梵網経』が鳩摩羅什訳と認知されるのは七世紀初めの『げんそうろく』ですが、それに先立って智顗は『梵網経』の存在を認めていたことになります。また『菩薩瓔珞経』の三聚浄戒に注目し、この経典を最初に引用したのも智顗の著書においてでした。

 智顗は中国天台の実質的な開祖です。彼は『法華経』の思想を中心にすえ天台教学を大成しました。特に著書である『法華もん』二十巻、『法華玄義』二十巻、実践論が説かれる『かん』二十巻は天台三大部と称され、天台教学を学ぶものにとっての必須の書とされています。浄土宗の法然上人もかつて比叡山の黒谷に移る前には、この三大部を読破したことが伝記に記されています。智顗は天台大師と仰がれますが、日本天台の伝教大師最澄にとって、その存在は浄土宗でいえば高祖善導大師に相当するかもしれません。

 智顗が『梵網経』に注目したのを契機に、多くの注釈書が続々と撰述されます。とくに後世に大きな影響を与えたものに、華厳の法蔵(六三七–七一四)の『梵網経菩薩戒本疏』六巻、新羅出身の太賢(八世紀中頃)の『梵網経古迹記』三巻があります。このほか、天台系の明曠(八世紀後半)、義寂(九一九–九八七)、法相系の智周(六六八–七二三)などが知られます。

(ⅱ)智顗の『菩薩戒義疏』

 日本の天台では『梵網経』に説かれる菩薩戒、すなわち十重四十八軽戒は「円頓戒」であると位置づけられています。そしてその淵源は中国天台の智顗にさかのぼると見られています。『梵網経』自体は経典の中で、菩薩の十重戒等を円頓戒であるとは説いていません。さらにいえば、智顗の『菩薩戒義疏』の中でも、実はそのことについて明言はしていないのです。しかしながら梵網戒は「円教の菩薩」が受持する菩薩戒であるという意味がすけて見えてくるようです。

 天台では釈尊一代の説法を「ほうの四教」にまとめます。第一は小乗の教えのぞうきょう、第二は大乗の初歩の教えで、大小乗共通のつうきょう、第三は菩薩だけに説かれた大乗の教えであるべっきょう、第四は大乗の中の最高の教えであるえんきょう、これらを化法の四教といいます。この中で、第四の円教とは完全で円満な最高最上の教えを意味しています、具体的には『法華経』の教えを指しています。『法華経』こそが大乗仏教の最高の教えであると位置づけて天台教学が成り立っているのです。その円教を円修するのが円教の菩薩ということになります。『菩薩戒義疏』の中でもこの蔵・通・別・円の四種菩薩の説明がありますが、梵網戒との関係が明示されていないように思われます。なお智顗は円頓戒という語を用いることはなく、「円戒」の語が『法華玄義』の中で初めて使用されたようですが、これは梵網戒をさしての語ではないようです。また同書の中では、梵網戒は別教と円教の両菩薩の戒にあてているようです。

 また智顗の『摩訶止観』には「円頓止観」が説かれています。これは『法華経』の真髄を「円満円融」に「頓極頓足」に体得する観法のことです。まさにこれも円教の菩薩の実践であり、このあたりにも円頓戒という用語の源泉があるようにも思います。

 さてそれでは、智顗の『菩薩戒義疏』の中を少しくのぞいてみたいと思います。まず大乗戒の制定について触れています。通常、律蔵に説かれる具足戒は「ずいぼんずいせい」といわれます。例えば、二百五十戒という具足戒は一時に制定されたのではなく、比丘の誰かが何らかの罪を犯すことに次第して、最終的に二百五十という数になったのです。これを随犯随制といい、小乗戒はこのような制定の仕方だといいます。これに対して梵網戒は、盧舎那仏が十重四十八軽戒を一時に頓制した戒であると見ています。これが大乗戒と小乗戒の違いであるといっています。おそらく言外には、円教の菩薩のために一時に頓制されたのが梵網戒であるとの意図があるのかもしれません。このあたりにも円頓戒の語の源泉があるように思えます。

 次に浄土宗の円頓戒では、蓮華台上の盧舎那仏から、インド、中国、日本への相伝が綿綿と途切れることなく相伝されるのですが、その相伝の中に『梵網経』には見られない表現があります。梵網戒は蓮華台蔵世界の盧舎那仏から釈迦如来へ伝えられたことはすでにのべましたが、『黒谷古本戒儀』によれば、

昔蓮華台上の盧舎那仏、常に自らの眷属のために誦するにこの心地金剛宝戒をもってす。すなわち我が本師釈迦牟尼如来大和尚、および妙海王ならびに一千王子のためにこれを授く。次に阿逸多等の二十余の菩薩、次第に伝持し、ないし本朝に将来す。

とあります。これを「たいじょう相承」と称していますが、これらの相伝の様相は『梵網経』には説かれていません。しかし『菩薩戒義疏』には、

梵網の受法はこれ盧舎那仏、妙海王子のために戒を授くる法なり。釈迦、舎那の所に従って受誦し、次に逸多菩薩に伝与す。かくのごとく二十余の菩薩、次第に相付して、什師伝来せり。

と記しています。智顗が記す妙海王子とは、おそらく『梵網経』が説くせんようの蓮華に坐す化仏としての釈迦如来を指しているのでしょう。また逸多菩薩とは阿逸多(アジタ)、つまり弥勒菩薩のことで、インドにおける相承を釈迦如来から弥勒等の二十余菩薩としています。そして中国へ伝えたのが『梵網経』の翻訳者である什師、すなわち鳩摩羅什であるとしています。したがって台上相承の相伝の根拠は『菩薩戒義疏』になります。

 次に大乗菩薩戒の授戒法について記していますが、智顗の時代はいまだ定まった授戒作法はなかったようです。比丘・比丘尼が受持する具足戒の授戒法は通常は三師七証、つまり三人の師と七人の証明師の合計十人によって作法がおこなわれます。これが伝統的な出家への授戒です。しかし大乗戒は在家出家に共通する戒であって、『菩薩戒義疏』に「道俗共に用いる方法不同なり」といい、次の六種の受法を列挙しています。

〈1〉『梵網経』の受法
〈2〉『菩薩地持経』の受法
〈3〉高昌本の受法(〈2〉の改変で高昌国に広がる受法)
〈4〉『菩薩瓔珞経』の受法
〈5〉新撰本の受法(近代の諸師が集めた受法)
〈6〉制旨本の受法(詳細は不明)

 これらの詳細については略しますが、『梵網経』『菩薩地持経』『菩薩瓔珞経』にはそれぞれに授戒法が説かれています。また三経ともにふさわしい授戒の師がいない場合は、仏像の前における自誓受戒も認めています。しかしながら『菩薩戒義疏』は六種を列挙するのみで、さらにいえば智顗自身が梵網戒を受持したのか否かも不明のようです。

(ⅲ)湛然の『授菩薩戒儀』

 智顗の後の中国天台はやや停滞気味でしたが、第六祖に位置づけられるたんねん(七一一–七八三)は中興の祖とされ、みょうらく大師と仰がれます。また智顗は梵網戒をただちに円戒とはしませんでしたが、湛然は自著の『ほっもん』九巻上において、円戒とは梵網戒であることを明言しています。さらに円教の菩薩が受持すべき戒こそが梵網戒であるともいいます。なお、円頓戒ではなくここでも「円戒」という語を使用しています。また彼の『かんぎょうでんけつ』一巻三では、小乗戒(具足戒)と大乗菩薩戒(梵網戒)との関係に触れて、小乗戒は浅であっても出家の菩薩はこれを受持することが大事であって、これがもとになって深淵なる大乗戒が助成されるといっています。さらには小乗戒をおろそかにすれば、大小乗戒が共に失われるともいっています。つまりは大乗戒と小乗戒の兼学が主張されたということです。

 さて智顗の時代には大乗菩薩戒の授戒法は様々であったと思われるのですが、湛然によって梵網戒の授戒法が新たに創作され、これが後世の基本テキストになりました。それが『授菩薩戒儀』です。この戒儀では授戒の順序次第が十二の段階をへて儀式作法が行われるので、また『十二門戒儀』とも称しています。

 その『十二門戒儀』の冒頭には、この戒儀を作成するにあたって、

古徳、および梵網、瓔珞、地持、ならびに高昌等の文に依って、菩薩戒を授ける行事の儀、略して十二門となす。専ら一家に依らずといえども、ならびに聖教に違わず。

とあります。智顗の『菩薩戒義疏』では六種の受法を並記していましたが、湛然はこれらを参考にして独自の戒儀を作ったことになります。ちなみに「古徳」とは智顗の師であった(五一五–五七七)であるとも目され、慧思作とされる『授菩薩戒儀』があります。この書は多分に『菩薩瓔珞経』によって三聚浄戒や十重戒を説明しているとの指摘もあります。さらにいえば湛然の『十二門戒儀』も『菩薩瓔珞経』の小乗戒を含まない三聚浄戒によって、『梵網経』の十重戒を授けることになります。

 それでは十二門の次第を簡略に説明いたします。

〈1〉かいどう…授戒の主旨を説明し、戒をたもつことの大切さをのべる。
〈2〉さん…仏・法・僧の三宝に帰依し、仏教徒としての誓いをたてる。
〈3〉しょう…授戒の師である仏菩薩を道場に奉請する。
〈4〉さん…仏菩薩に遠い過去世からのすべての罪を懺悔する。
〈5〉ほっしん…大乗仏教の精神を体して生きていくことを誓う。
〈6〉もんしゃ…授戒の資格があるか否かを問う。
〈7〉じゅかい…摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒の三聚浄戒を授ける。
〈8〉しょうみょう…受者が菩薩戒を持つことを誓ったことに、一切の如来に証明を請う。
〈9〉げんそう…授戒によって一人の菩薩が誕生したことにより、他の仏国土に奇瑞が現れる。
〈10〉せっそう…〈7〉の授戒は三聚浄戒を授けるが、ここで改めて摂律儀戒の内容である『梵網経』の十重戒を説明し、一一の受持を誓う。
〈11〉こうがん…菩薩戒を受持して生きていくことを誓った功徳を広く一切に施す。
〈12〉かん…受者に対して、今後は止悪修善の生活を送ることをさとし、結びとする。

 以上が十二門の概要ですが、この中の「請師」は小乗戒と対比されるところで、授戒の師は人ではなく仏です。その仏とは『観普賢菩薩行法経』によって、釈迦如来が戒和尚となり、この他に文殊菩薩、弥勒菩薩、一切の如来、一切の菩薩を道場に招き、小乗戒の三師七証の役を担っていただくのですが、これについては稿を改めたいと思います。

 また「授戒」では三聚浄戒の受持を誓うことに注目すべきです。円戒としての梵網戒は三聚浄戒として授けられるのです。三聚浄戒については『菩薩瓔珞経』を説明した中でも触れましたが、仏の教えを実践することがその主旨になっています。つまり『法華経』の教え、『般若経』の教え、「浄土三部経」の教え等々を実践することです。これが中心にすえられて、摂律儀戒や摂衆生戒があることを忘れてはならないと思います。

 念仏門についていえば、浄土宗では戒は念仏の助業であると位置づけます。ただしこの場合の戒とは、三聚浄戒でいえば摂律儀戒がこれに相当します。摂善法戒は念仏の教えそのものですから、これを助業とすることはできません。三聚浄戒をたもつと誓うことは、念仏の教えを実践するという誓いにもなっていることを理解すべきです。この点も稿を改めたいと思っています。

 さらにもう一点、湛然の『十二門戒儀』に触れておきたいことがあります。九世紀の初頭、湛然の弟子のどうずいは日本からの留学僧の最澄に大乗菩薩戒である梵網戒を授けています。最澄は日本に帰朝後、天台宗を開き、大乗菩薩戒をもとに比叡山において僧侶養成を行います。この流れをうけているのが浄土宗の円頓戒ですが、湛然の『十二門戒儀』そのものは決して天台宗向きにできてはいないということです。宗派を超えた大乗仏教徒向きに作成されている点もかえりみる必要があります。