第1章◎ 学問的・歴史的視点から
  中国における大乗菩薩戒の展開

 
 
大正大学客員教授 小澤 憲珠

1.『梵網経』の登場

(ⅰ)訳出の問題

 インドにおいては大乗仏教が興起し、その歴史が展開していく中で、膨大な量の大乗仏典が編纂され、また数多くの論書が撰述されましたが、大乗仏教の菩薩のための律蔵の編纂はありませんでした。その点は前回にも少しく触れましたが、『大智度論』や『ろん』がいうように、出家の菩薩には釈尊以来の伝統的な出家教団が依用した律蔵が用いられました。つまり大乗仏教であっても、大乗の側が小乗であると批判した部派仏教の出家者たちの律蔵を用いたのです。具体的には『ぶんりつ』という律蔵であれば、比丘の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒が大乗仏教の出家の菩薩戒でした。また在家の菩薩は、初期仏教以来の在家信者と同じ五戒が菩薩戒でした。

 このような展開の中で、中国には、インドには流布しなかった、またインドでは知られなかった大乗仏教の菩薩戒、つまり菩薩の十重戒と四十八軽戒を説く『ぼんもうきょう』が登場します。中国でその存在が知られるようになったのは五世紀の中頃と見られています。それがじゅう(三四四–四一三)訳の『梵網経』二巻です。なお、別に阿含経典として支謙訳の『梵網六十二見経』がありますが、まったく別の経典です。

 この経典は文献学上では多くの問題をかかえています。『梵網経』の名が初めて史料上に登場するのは、現存する最古の訳経目録である『出三蔵記集』巻十一に収められる作者未詳の「菩薩波羅提木叉後記」の中です。そこには、天竺沙門の鳩摩羅什は大小乗経五十余部を訳出したが、『梵網経』はその最後のじゅしゅつ(暗記していた経文を口でとなえること)である、とあります。しかし『出三蔵記集』巻二の鳩摩羅什の訳出経典のリストにはその名はなく、また同書巻十四の鳩摩羅什伝の中にも『梵網経』を訳出したことには触れていません。ここではこの問題に深入りするのが目的ではありませんが、中国でも、この経典はインド成立ではないという偽撰の疑いがもたれていたのは事実のようです。七世紀の初頭になって『梵網経』は鳩摩羅什訳とされるに至ったようです。ちなみに鳩摩羅什は中国西域のこく出身の僧侶で、四〇一年に長安に入り『阿弥陀経』『法華経』をはじめ多くの大乗経典を翻訳しています。

(ⅱ)しゃぶつの蓮華台蔵世界

 さて、『梵網経』は不思議な経典です。くわしくは『梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十』といいます。この経題は『梵網経』という経典の中のある一章であるかの印象をうけます。鳩摩羅什の弟子であったそうじょう作の伝説による経序によれば、この経典は、本来は百二十巻六十一品という大部の経典であり、その中の「菩薩心地品第十」が今いう現存の『梵網経』上下二巻なのです。この真偽のほどはわかりませんが、菩薩の心地の法門を修行して凡夫から仏陀となった盧舎那仏の教説が説かれるのが『梵網経』という経典です。

 『梵網経』の教主は盧舎那仏であり、その世界は蓮華台蔵世界です。その蓮華台の周囲にはせんようの蓮華があり、その一葉に千世界があり、そこに化仏としての釈迦仏がいます。さらにはそのまた一世界ごとに無数の須弥山を中心とする世界があり、無数の化身の釈迦がいると説かれます。これが盧舎那仏の蓮華台蔵世界なのですが、『華厳経』の影響を多分にうけているといわれています。またその世界の様相は、奈良の東大寺の盧舎那仏像の蓮台に線刻されているともいわれます。

 『梵網経』の上巻は主に盧舎那仏のいんにおける菩薩の修行内容が説かれます。それが心地の法門なのですが、具体的には十発趣心・十長養心・十金剛心・十地の四十位です。またこれは『仁王般若経』の修行道とも密接に関連しています。そして下巻になってその菩薩の心地の法門の基本になる菩薩戒が説かれてくるのです。『梵網経』の下巻そのものが、盧舎那仏の意をうけた釈迦仏によって大乗の菩薩戒を説くことでついやされています。したがって下巻を『菩薩戒経』とも称しています。

(ⅲ)新学の菩薩に菩薩戒が説かれる

 なお下巻の前には、これも作者不詳の「梵網経菩薩戒序」があります。この序文は授戒会のおりに奉読されることでも知られています。下巻では蓮華台蔵世界から娑婆世界にしょうした盧舎那仏の化身である釈迦仏がいよいよ菩薩戒を説くことになります。釈迦仏は菩提樹下で成道して間もなく、これから菩提心を発し菩薩の道を歩みはじめようとする新学の菩薩を対象に、菩薩のだいもくしゃ(「プラーティモークシャ」の音写。戒本)を説くのですが、その説法の聴衆について経文は次のようにのべています。

仏子よあきらかに聴け。もし仏戒を受けん者は、国王、王子、百官、宰相、比丘、比丘尼、十八梵天、六欲天子、庶民、黄門、婬男、婬女、、八部、鬼神、金剛神、畜生ないし変化人まで、ただ法師の語を解すれば、ことごとく戒を受得し、皆第一清浄者と名づく。

 この経文の意味はとても重要です。その聴衆には国王から庶民まで、さらには最下層のものまでがいます。比丘・比丘尼という出家者もいます。また畜生も含まれていることがわかります。経典は、梵天の虚空を覆う羅網の網のあなのようにあらゆる無量の衆生が説法の対象であるといいます。また菩薩戒は「仏性戒」とも説かれていますが、まさに六道の衆生のすべてに仏性を認め、すべての衆生が菩薩戒を受持することが認められています。

 ただしその有資格者は「法師の語を解すれば」とあります。法師とは説法師のことです。つまり誰であれ、説法師が説く菩薩戒の内容を理解できるものであれば、ということです。さらにこの経文から読みとれるのは、『梵網経』の菩薩戒は在家と出家を区別しないことです。すでに前述のように、インドでは在家の菩薩と出家の菩薩とでは受持する戒の内容は全く異なりました。しかし『梵網経』では法師の語を理解できるものであれば区別をしないのです。つまり在家と出家に共通する菩薩戒です。これを「道俗一貫」の戒と称しています。

(ⅳ)十重の波羅提木叉

 それでは道俗一貫の戒である菩薩戒とは具体的にはどのような内容なのでしょうか。経典は十種の重罪となる波羅提木叉と四十八種の軽罪となる波羅提木叉、すなわち十重戒と四十八軽戒を説きます。今は十重戒のみの概略を説明しておきます。なお経典には一一の戒に名称がついていませんので、後世、最も一般的に使用されるらぎたいけん(八世紀中頃)の『梵網経古迹記』による戒の名称を用います。

〈1〉不快意殺生戒……どのような手段であれ人を殺すことを禁じ、ないし一切の命あるものを故意に殺してはならない。
〈2〉不劫盗人物戒……どのような手段であれ一切の財物を盗むことを禁じ、一切の人に福楽を与えなければならない。
〈3〉不無慈行欲戒……非道に無慈悲の婬行をなしてはならない。
〈4〉不故心妄語戒……どのような手段であれ妄語や邪語を禁じ、一切の衆生に正語正見を生ぜしめる。
〈5〉不しゅ生罪戒……「酤酒」とは酒を売ることで、どのような手段であれ酤酒を禁じ、酒に起因する罪を防ぎ、一切衆生に智慧を生ぜしめる。
〈6〉不談他過失戒……ここでの「他」とは在家出家の菩薩および比丘・比丘尼の四衆のことで、彼らの罪過や欠点を指摘していいふらすことを禁じ、仏教を悪くいう人を教化しなければならない。
〈7〉不自讃毀他戒……自分を讃美し、他人をそしることを禁じ、むしろ悪事を自分に向け、好事を他人に与えなければならない。
〈8〉不慳生毀辱戒……物おしみをして貧窮の者に施与しないことを禁じ、また仏の教えの一句さえも説かないで、逆に乞者を罵ったりしてはならない。
〈9〉不瞋不受謝戒……あらゆるいかりや瞋りに起因する行為を禁じ、また相手が悔いて謝罪しているのに、それを受け入れないで瞋ったままではいけない。
〈10〉不毀謗三宝戒……仏・法・僧の三宝を誹謗することを禁ず。

 以上が十重戒の概略です。酒を売ってはならないという不酤酒生罪戒は重戒ですが、酒を飲んではならないという不飲酒戒は四十八軽戒の第二の軽戒であり、梵網戒の特色にあげられます。またこの十重戒のそれぞれには、これに違犯すれば「菩薩のざいなり」との句で結ばれています。波羅夷(「パーラージカ」の音写)とは重罪、断頭罪とも訳される語で、初期仏教以来、出家者がこれを犯せば教団を追放される重罪です。具体的には殺人、盗み、婬行、大妄語(さとってもいないのにさとったといいふらす)を四波羅夷罪といい、出家者としての資格が失われる罪です。したがって菩薩の波羅夷罪とは、この十重戒の一つでも違犯すれば在家でも出家でも菩薩としての資格が失われ、三悪道に堕すと説かれています。

 この十重戒にひきつづき四十八の軽戒が説かれますが、『梵網経』ではこれらの菩薩戒は三世の諸菩薩、三世の諸仏が、過去に学し、現在に学し、未来に学すべきものであり、「金剛宝戒」、「仏性戒」、「仏性種子」とも説いています。そしてこの『梵網経』所説の菩薩戒を中国天台では「えんどんかい」とみなすようになり、やがては日本の比叡山に伝わり、さらには浄土宗にも伝承されるようになります。