教諭を拝して
平成二十三年三月二十六日より、同年五月八日に至る間、京都国立博物館において、法然上人八百回忌を記念して、「法然―生涯と美術」と題して特別展覧会が大々的に開催された。
その展示物は、国宝『法然上人絵伝(四十八巻伝)』(知恩院蔵)、重文『選択本願念仏集』(廬山寺蔵)、重文『七箇条制誡』(二尊院蔵)等々、百二十点もの、宗祖に縁の深い貴重な宝物資料が出品され、宗祖門葉の一人として、感動のうちに拝覧したことが記憶に新しい。
それ等の中で、最も注目を集めた展示品といえば、現在浄土宗蔵となった、玉桂寺旧蔵の重文「阿弥陀如来立像」及び、その立像像内納入品であったと称しても過言でないであろう。
その立像像内納入品が、「源智阿弥陀如来造立願文」と、五万人にも及ぼうかという道俗貴賤の名が認められる「
周知のごとく、勢観房源智は平
三祖良忠上人の『観経疏散善義略抄』第一に、
故上人伝えて曰く…… |
と記しているが、浄土宗二祖聖光上人、そして、三祖良忠上人に伝わった引接想の念仏は、正に「造立願文」に説示される回向に関する所説と同一線上におかれるべき教説と思われるのである。
善導大師は『観経疏』散善義において、
回向と言うは、かの国に生じ已って、還って大悲を起こし、生死に回入して衆生を教化するを、また回向と名づく。 |
と説示して還相の回向を説いているが、法然上人は『選択集』八章において、善導大師の文を解釈していることが知られ、善導大師所立の義が宗祖に伝わり、さらに「造立願文」へと相承されたものと推考できるのである。
「造立願文」には、往生浄土を果たした後、ただちに還来して自他共に悪趣を離れ蓮台上に化生したい、とする強い願望が記されている。
武家で宗祖の門人となった熊谷蓮生について『法然上人行状絵図』巻二十七は、
蓮生、願を起こして申さく、「極楽に生まれたらんには、身の楽しみの程は、下品下生なりとも限りなし。 |
と記し、上品上生を発願した理由は自利のためでなく、上上品でなければ、自らと同様に苦界に沈淪している衆生を救済できないから、生死苦界に来生するため上上品発願を強調していることが知られる。
『往生礼讃偈』は善導大師撰述の書、いわゆる「五部九巻」の行儀分の一書として知られ、浄土往生のための実践行儀を明らかにした書であるが、顕著な構成として昼夜を六時に分け音曲をともないながら浄土往生の実践行を説いている。
その偈の最後の部分では必ず「願共諸衆生往生安楽国」、すなわち「願わくは衆生と共に安楽国に往生せん」と繰り返し唱えている。その数は『往生礼讃偈」全体で百二十一回にも及んでいる。一見些細なことに思えるが、善導大師の「一切の衆生と共に」という思いが滲む記述といえよう。
浄土宗の教義体系は「二祖三代」の義で決着する、とされるが、良忠上人と源智上人の弟子蓮寂房が談義をして両流すべてが符合した、とする伝承を想起しつつ、自他共に往生を願求する日々の念仏の大切さを、改めて実感した次第である。
※注記
①「法然―生涯と美術」『図録』(京都国立博物館、二〇一一) 二四〇頁
②『浄土宗大辞典』一・三八六頁 【源智】の項参照
③『浄土宗全書』二・五九二頁上段
④『浄土宗聖典』二・二九九頁
⑤『浄土宗聖典』三・一五一頁
⑥『浄土宗聖典』六・四〇九頁
⑦『浄土宗全書』四・三五七~三七五頁