第3章◎ 現代社会とのかかわり
戒の精神と現代社会とのかかわり
このシリーズは三年間にわたって続くので、一年目は「現代」に焦点を合わせ、課題としての問題点を洗い出し、二年目は「戒の精神とは何か」に焦点を置き、最後の結論として三年目に、表題の「戒の精神と現代社会とのかかわり」について述べることにしたい。
早速、本年は宗祖法然上人が生きた時代にどう関わったかに触れていきたい。しかし、法然上人は現代に生存してはいないので、現代から類推するほかに道はないと言わねばならない。いい換えれば、現代にもしも法然上人が生存していたならば、と仮定して、現代との相関をどう考えていただろうか、を考察してみたい。
この際、まず「現代」をどう捉えるかが問題として浮上してくる。「現代化」と同義語として「近代化」がよく使われるのも事実である。その際、「現代化」ないし「近代化」を同じカテゴリーで一括出来ないかどうかを考えてみたい。すなわち、「近代化」は歴史的概念を伴うのでここでは「現代化」に統一して用いることにしたい。それが故に「近代化」を現代に通ずる用語として用いるためには「現在化」としてみてはどうか、と考えてみたい。このような論理展開から「近代・現代化」を「現在化」と同義に捉えて論を進めたい。
宗祖法然上人がもしも現代に生存していると仮定した場合、現代をどのように処したかが問題である。
現代は直葬・家族葬が流行っていると聞く。いうまでもなく直葬とは火葬場で僧侶も呼ばずに葬儀を営むことをいうし、家族葬とは、弔問者は家族・近親者のみで僧侶なしで葬儀を営むことをいい、ともに僧侶を呼ばないことで経済的に安価ですむことの特徴があるという。ある雑誌によると、その割合は「直葬」の八割に達すると伝えている。①何故直葬・家族葬が流行ってきたのかをまず始めに問うていきたい。
それには遠因と近因とがあるといえる。まず遠因であるが、歴史的、社会的、文化的要因があり、遠因と近因とは相互に関係し合っているが、近因は遠因の影響ないしその結果としてなり、近因としては最近の価値観の変化ないし価値観の多様化が挙げられよう。まず、遠因としての歴史的要因であるが、江戸幕府の宗教統制の強化が挙げられよう。すなわち、寺請制度・寺院法度による寺檀関係の成立である。第二は社会的要因であるが、
しかも、心理的には個人の解放と自由を求めての、
現代人の思考論理の傾向は、とどのつまり有限的な、直線的死生観と、永遠的な、円環的死生観に二分することができる。この二分化された死生観のなかで、前者の死生観が発展し続け伝統的な後者の死生観を圧迫しているところに現代の問題がある。現代はこのように特徴づけられるといえる。直線的死生観とは、社会の約束事としての観点で、法律的には民法に規制されているように私権の享有は「生」とともに始まり、「死」でもって相続が始まる。いうならば一人の人間の「生」は、「死」をもって完結する。すなわち「生」と「死」は直線で結ばれているところにその名がある。一方、永遠的な、円環的死生観は「生」は「死」でもって終わるものでなく、すなわち「死」はターミナル・ステージではなく、次に進む liminal な段階として位置づけられる。同様に、子供は授かるものであって現代人が考えるように、造るものでなく、妊娠・誕生・育児は七歳に至るまでは霊的に不安定な liminal な段階であった。「死」は直線的でなく、円環的で相互に繋がっているといえる。
したがって、現代では生きている間は法律に従って満年齢で数えるが、死後は享年ないし行年と呼ぶ死者の年齢は胎児の歳を入れて、かつて一年を二期に数えていた名残りとされる数え年でもってするのが慣例である。この二つの死生観が併存するなかに、問題が錯綜してくるのである。
現代の合理論は十七世紀に霊肉二元論ないし物心二元論を展開したデカルト(Rene, Descartes 一五九六―一六五〇)に始まるが、現代をどう捉えるかは人によって異なる。そもそも人間の論理思考には、ものを水平的に並べて思考する構造と、ものと垂直的に一つのものとして論ずる構造とがある。仏法は「人間成就の法」ともいわれるように、深く自己凝視するところから始まり、次第に人間凝視へと移っていく。ものを一つに並べずに垂直的に考えていくのである。例えば「煩悩即菩提」「生死即涅槃」というように、ものを対立的に、水平的に捉えずに垂直的に捉える「即」の論理ともいえる。「煩悩即菩提」とは、我々は煩悩に満ち満ちているからこそ菩提(さとりの智慧)を求めることになる。
よく子供と大人とを比較しているケースに譬えると、子供は時間の経過とともに大人になっていくという意味で、垂直的な思考は今もって大切である。いうならば煩悩は菩提を求める縁になるというべきであろうといい換えた方がいいかもしれない。「生死即涅槃」も同様に考えられる。コンピューター思考から離れて東洋的な思考でもってものを考えて言葉を変えて表現すれば、東洋的思考論理は、ものごとを西洋の思考論理と異なって水平的に処理するのではなく、垂直的に物事を思考するものと見たい。
この両者の考え方の一方に固執すれば、今日の諸問題は対立を生むだけで問題解決には繋がってこない。両思考を統合的に捉え、両思考が相補関係に立ってこそ、現代の合理思考に対応し得る健全な思考力を構成するものと見たい。両思考を相対立して捉えるのではなく、両者を統合的に捉えることが求められているといってもいい。
かつては一家に男の子が誕生すると、「位牌持ち」ができたと喜んだといわれている。「位牌持ち」とは葬列のなかで位牌を持つ役割のことであることはいうまでもない。位牌を持つのは「跡取り」と決まっていたからである。「跡取り」は葬式の際は喪主になることも決まっていた。焼香順もトップである。葬式の最後の締めくくりに喪主の挨拶があるが、喪主が挨拶もできない年端もない子供であった場合、喪主の脇に名目上の喪主を置いて、亡父の弟である叔父が代わってお礼の挨拶をするのが常識であったのである。
ところが、最近では喪主の選定に変化が生まれている。喪主の選定に際して故人と最も親しくしていた者といえば、平均寿命からいって妻の方が夫より長生きするので、喪主は妻すなわち配偶者となる。最近では、WHO(世界保健機関)がいくら長生きとはいっても、寝たきりになっては意味がないので、この期間を除くという「健康寿命」なる概念を提唱しているが。平均寿命は日本一、世界一であるから、喪主はいきおい妻となる。妻と男の子の関係をみると、妻は男の子の母に当たるから、喪主が子供に代わって単に母になっただけではなく、葬制の上で大きな変化を汲み取ることができるといっても過言ではない。喪主が子供である場合の葬式は家の存続のためにあったのである。いわば、葬式の機能が家の存続を願って次代の担い手、いわば「跡取り」になる。母が喪主になることは家の葬式よりも故人との間柄や情緒に移行したことを表す。このことはコミュニティの崩壊に通ずるのである。
これは現代の多価値的文化と無関係ではない。つい最近まで親が死んでも慌てることはない。誰に葬儀の案内状を差し上げたらいいか、誰を葬儀に呼ぶかの決定は、親の年賀状を調べたらいい、と回答して来たことがある。
ところが、大きくなってから親に連れられて寺に行ったことがないという現状を知らなければならない。親の葬儀に菩提寺の和尚を呼ばないというのも、こうなると当然の話である。知っているなら兎も角、知らない僧侶ならば、呼ぶ必要はないと現代人は考えるのである。墓についてもいえる。
現在すでに起こっている「葬儀の宗教離れ」を導いている要因を巡って、多くの論議が展開されて来た。葬儀はその形骸化が大きな要因であると共に、①葬儀を執行する僧自身の資質の問題と、②葬儀を取り巻く状況の変化にどう対処していくか、そして葬儀社との関わりをどう保っていくかという、大きく二つの問題が介在しているといってもいい。
しかし、問題は①の僧自身の資質が②の時代の状況変化をどう捉えるかにあるといっていいだろう。各種の統計類をみても、僧侶への強い期待感はなく、また宗派名を知っているものは半数にも満たず、宗派の崇拝対象である本尊の名や、宗派の本山の開祖を知っているものとなるとさらに低く、一割以下になってしまう。
このような状況であるからこそ、都会で葬儀社に葬儀を頼む場合に、自分の宗旨にこだわらない人が圧倒的に多いということになる。したがって葬儀社が葬儀をリードすることになるというよりは、リードせざるをえないといったほうが適切であるかも知れない。かつては僧侶が葬儀屋に堕しているという批判があったが、現在は、さらに進んで僧侶が葬儀社のもとで使われている、というもっと厳しい状況に至ったと批判する人が多くなっているといえよう。
すでに述べたように、現代はいのちを、生まれてから死ぬまでと見る「直線的死生観」と、死を終焉と捉えるのではなく、来世の存在を志向する「円環的死生観」に大別することが可能で、現代はこの二つの死生観に揺らいでいるといっていいと思われる。宗教界は現代人の生死観について問い直さざるをえなくなったといえよう。実はこのような死生観の揺らぎが葬儀を見えなくしているのであって、葬式無用論、墓無用論(散骨、葬送の自由)、宇宙葬、樹木葬・月面葬が現れたのは当然といえば当然である。
現代仏教は「葬式仏教」と揶揄されていることはよく知られている。仏教は神道・儒教・道教と習合してきた葬式は歴史の産物としての習俗であった。いい換えれば、読み・書き・ソロバンとして知られる寺小屋は明治五年の学制発布によって教育を譲り渡して、寺院に残されたのは、葬式だけになった経緯を踏んでいる。最後の砦となった葬祭ですら批判の対象になったのである。
現実に葬式で寺院は生活が潤っている。葬式は臨終行儀に則っていることは事実であるが、江戸幕府の一連の寺院統制以後、葬式は宗派のものとなった。宗派の決定に所属する僧はなに一つ文句をいうことなく、それに従がったのである。
概して宗教は、先に述べたように、社会変動によって変化してきた。数学的表現でいえば、宗教は社会変動の「従属変数」であったのである。仏教も同様であった。葬式にも内側に変化があったことは見逃せない。
次に社会的・文化的要因に触れると、現代死語となっているものの一つに「仏間」がある。「仏間」とは仏壇のある部屋である。さまざまな統計調査は仏壇や神棚を購入する新家庭人口が減少していることを伝えている。今でもドラマで祖母が孫を叱る際、孫を「仏間」に連れて行く。「仏は全てをお見通してござる」といい、仏に対して嘘はつけないのが伝統であった。また、主人公が決断を下すとき数時間「仏間」に籠もって先祖の霊と対話するのがドラマのパターンである。
同様に「食事作法」「もったいない」「お蔭さま」も死語になっている。家庭で食事のとき合掌して「戴きます」、「御馳走さま」というのは常識とされてきた。「戴きます」とは天地の恵みに感謝し、与えられた食事の「いのち」に対して発する感謝の言葉である。しかし公立学校ではいわない。手前でお金を払っているのだから感謝する必要はないというのである。
ちなみに給食費未納額の統計資料を挙げるならば、昨年(二〇一〇)十二月一日の読売新聞によると、未納額は前回二〇〇五年の文科省調査から一一・八ポイントも上昇し、五五・四パーセントになったという。さらに、未納の理由が保護者の責任感や規範意識の問題が保護者の経済的理由を上回っていることである。これも理由の一つに挙げられるだろう。
仏教の再生は、「仏教は社会変動の従属変数」を「仏教が社会変働を推し進める独立変数」に変えるべきであるというのはもっともな意見ではあるが、そう簡単にはいかない。その所以は、前述のように社会変動も量的であることはいうまでもなく、質的に見て変化し続けているからである。現代人が病んでいることは事実である。僧侶も在家の人も一般的に見て、物事に「なぜ」という問いを発しないで、事実をそのまま受け入れるからである。
しかしこのような変化―「仏間」「食事作法」は、今さら始まったのではない。すでに子供の勉強部屋を個室化することに始まった。極端にいえば、今の学生は共同研究ができないという。昔は本を読むのに騒々しいなかでできたのに、とくに知っている人が傍らにいてはできない。誰も知らない人込みのなかでは、例えば電車のなかでも、図書館の読書室でも、喫茶店のなかでも読書三昧できるのである。
この現象は最近の少子化現象と無関係ではない。兄弟が大勢いては教育にも関係する。小人数ならば、昔の何倍もの学資を与えられるのである。勉強部屋も一人で占有でき、個化が可能となる。すなわち「イエ」の個人化であり、兄弟姉妹の民主化といい換えてもいい現象なのである。この結果、「イエ」の客間は個人に分配されて、不要なものの仲間入りするのである。価値観の変化といってもいい。
また、「直葬」とはいっても、内容は千差万別で、火葬だけをして郷里の菩提寺で葬式をする場合もある。「直葬」は大きく分けて、菩提寺のある場合とない場合とである。
菩提寺のある場合は檀徒の教化の不足の賜である。菩提寺のない場合がむしろ問題であると如上の論理からいいたい。それが流行ってきた所以はエンバーミングや散骨・樹木葬・宇宙葬・月面葬の展開と無縁ではない。いわば死の自己決定権といってよい個人化への動きの時代の流れのなかで、市民権を獲得していった新しい葬法である。
現代はこれまで人類が経験しなかった新しい局面を迎えていることから、二十一世紀は教団あげてのチャレンジが強く要請されている。チャレンジの機能としての教化のあり方も、高齢化社会を迎えて新たな対応が迫られているといえる。問題は深刻度を深めるばかりである。現代人は生きる意味を主体的に問い直しはじめたといえよう。
では次に、具体的に解決策があるかということになる。互いに信頼関係で結ばれた僧侶と遺族とが一体となり、互いに共感・共鳴して、遺族が自らの力で一歩を踏み出すような場の構築が計られてしかるべきであろう。
問題の解決にはさまざまな障害が立ちはだかっている。僧侶が現状をどのように把握してるかにかかっているといってもいい。
具体例を「臓器移植」にして見よう。心臓の悪いレシピエントがいて、いい心臓を移植したがっていた。レシピエントが老人で、一時でも長生きしたいと思って、自分に合う心臓を探していたが、たまたまドナーが現れて移植が成功して寿命が三年延びたとしよう。この際、自分の欲望のために他人の心臓を欲しがっていたことは、目的が不純で、自然に任すべきもので、自らの欲望を延ばすことに加担する行為は念仏行者である仏教者であれば、断じてゆるされるべき行為ではないとする意見である。
一方、生まれながらにして心臓の悪い生後数カ月の赤ちゃんの場合を考えてみよう。泣き止まないのは、痛みをなんとかして欲しいと訴えているだけで、臓器移植のことは知る由もない。たまたま死んだ同年代の赤ちゃんがいた場合、臓器移植に反対する者でも、仏教者であれば、「移植すべきでない」とその母親に告げられるだろうか。この場合には「臓器移植」に賛成の立場をとることになる。このように、仏教者たるものは即の論理で、状況倫理でもって解答をなすべきである、②と結論をださざるを得ない。
現代人に感動を呼び起こす葬儀、手作りの葬儀を取り戻そうという願いは強い。しかしこの願いは小手先の工夫で取り戻せるものではない。
多様化する現代人の死生観にみ合うさまざまな形の葬儀があっていい。葬儀は一人の人間のこの世における人生の締めくくりであり、宗教的には来世への旅立ちである。その意味では、その人の生前の死生観が問われることになる。葬式仏教は、仏教が生前に故人の心の支え、生きる指針を与えてきてこそ初めて生きたものとなってくることを忘れてはならないであろう。
あらゆる民族・文化を問わず、死者を弔う行為は存続し、多様化、多伎化、省略簡易化のなかで、人間にとって見失ってはならないもの=本質を見極め、護っていくことが大切で、葬儀の形骸化を止め、葬儀が主体性を取り戻し、あたたかみのある葬儀を取り戻す努力を始めたい。新しい葬儀を求めることは、単に時代をバックすることではない。新しい時代にあった葬儀の機能を考えるためには、さまざまに討議を重ねることが必要である。これからも皆とともに考えていきたい。
卑近な例として、身近に起こっている問題がある。それは「自殺」の問題である。一九九八年から十三年連続して年間自殺者が三万人を超え、しかも増大の傾向があるとの報道が、連日のようにマスコミをにぎわしていることは、全く由々しき事態である。
警察庁の発表によると、二〇〇四年の自殺者は三万二千三百二十五人に達し、交通事故死者に比べて四倍以上となっている。人口十万人当たりの自殺死亡率(平成十二年、厚労省データ)は日本が二四・一人で、米国の約二倍、英国の約三倍に達しているという。③
仏教のタテマエ論からいえば、いのちを尊重する仏教にあっては「自殺」の行為は許されるものではない。すべての人々を往生させると仏の本願にもとづいて開宗された浄土教はともかく、自殺は、仏性の対象である我が身を断つことに他ならず、成仏の可能性を否定することに通ずるからである。
普段、法話で自殺を戒めることを論じてきた僧が、自殺してしまった者の遺族に対して葬儀を執り行わず、先祖代々墓の納骨を阻む僧侶はいるであろうか? 故人の成仏を願うのは仏の慈悲のこころと心得て大部分の僧侶は普通通りの葬儀を営むであろう。せいぜい遺族に対して、故人が自殺せざるを得なかった心境を思い計って、どんな条件が整えれば死なずに済んだのか、その条件の整備にどう立ち向かうのか、故人がしたかったことを考えさせ、故人が生きたかった分まで精一杯生き抜くことを故人を前にして論じ合うことしか考えられない。
なお、ここで用いる「供養」と「回向」の違いについて触れておきたい。「供養」の原語はインドのサンスクリット語やパーリ語のプージャナー(pūjanā)によるもので、「塗る」、「彩る」などの意味の言葉で、『望月仏教大辞典』では、供給資養の意味で仏・法・僧および父母師長亡者などに供給し、これを資養することと説明している。
同じような考えはわが国の習俗の中にも見られる。民俗学の柳田国男の説によると、佐渡の海府にある村里では「神やしない」とい正月行事があり、今でこそヤシナウという言葉は妻子眷属に食を給するという意味だけに使われるが、かつては神や死者に食を給する場合に用いられたものとしている。また、能登地方に伝わる正月行事、アエノコト(饗の事)では戸主が田の神を迎え炉辺で暖をとらせ飲食を供するのに、生きている人を遇するように扱うと柳田の『先祖の話』のなかで述べられている。「回向」とは、供養することによって得られた功徳を仏や死者に「振り向ける」意味である。
互いに信頼関係で結ばれた僧侶と遺族とが一体となり、互いに共感・共鳴して、遺族が自らの力で一歩を踏み出すような場の構築が計られてしかるべきであろう。教義仏教で自殺をどう考えてきたのか、どう考えなければならないか、を生活仏教との両面で考えていく時代に入ったといえるであろう。
問題の解決には「僧侶よ初心に帰れ」といいたいと思う。僧侶はいうまでもなく一般檀信徒も日常勤行式で大乗仏教徒の誓いとして「四弘誓願」を唱える。「四弘誓願」は、『心地観経』に原型が認められ、智(ち)顗(ぎ)にいたってできたとされる。だが、真言宗では「煩悩無辺誓願断」のかわりに「福智無辺誓願集 如来無辺誓願事」を加えて、『五大願』とする。全般的には一句目の「衆生無辺誓願度」は代受苦の思想の展開である。「煩悩無辺誓願断」、「法門無尽誓願知(学)」「無上菩提誓願証(成)」、浄土宗では、教義の上で『往生要集』に由来する教えとして終わりの二句「自他法界同利益 共生極楽成仏道」を加えている。
紙数も尽きたので結論を急ごう。葬儀の形骸化を止め、葬儀が主体性を取り戻し、あたたかみのある葬儀を取り戻す努力を始めたい。そう思うのは私一人であろうか。葬儀の規模についても皆ともどもに考えていきたいと思う。
冒頭に、宗祖法然上人は現代に生きてはいないので、まず「現代」との関わりであるので現代から類推するほかに道はないといわねばならない、いい換えれば現代にどう合わせるかが問題となるので、現代化と同じ意味を持つと考えていい、現代化と同義語として近代化がよく使われるが、近代化は歴史的概念を伴うのでここでは現代化に統一して用いることにする、と述べた。上人は今以上に困難に立ち向かうことに悩まれたに違いない。
法然上人在世中は浄土宗教団もなければ浄土宗学も存在しなかったからである。教団の成立は二祖三祖ないし聖冏(一三四一―一四二〇)、聖聡(一三六六―一四四〇)の頃である。教団も成立しておらず、浄土宗学にしても法然上人の教えそのものではない。教団が形成される前と後ろでは異なってくるのは当然である。教団が形成された立場で浄土宗学を論ずる場合と教団が形成されないで浄土宗学を構築しようとする場合とでは異なる。教団が形成されないで浄土宗学を構築しようとする場合には、その構築度は個人的、恣意的とならざるを得ない。
本稿では葬儀を中心に述べたが、葬儀を論ずるには、仏教そのものが祖先崇拝に彩られている。すなわち民衆が抱く霊魂論なり、回向論を民俗信仰で論じなければ
【参考文献】
①「2010年の葬儀相談は八割が直葬と家族葬」(雑誌『テンプル』七二号「テンプルDATA」10ページ参照。2010年12月20日、白馬社発行)。なお、同書の三三号から「現代葬儀事情」「現代寺院事情」「テンプルDATA」「TOPICS」の項参照。『テンプル』三三号には、「直葬の波を防ごう」の記事もある。(白馬社月2回1日・20日発行)。
②大正大学オープン・カレッジ講義で生徒に配布した資料参照。(浜松町サテライト教室、平成21年8月22日)。
③拙稿「生命倫理学からみた自殺対策法成立の意味」(『新医療』平成17年9月号)。