教諭を拝して


  
浄土宗布教委員会副委員長 柴田 哲彦

(ⅰ)

  今年、平成二十三年は法然上人の八百回忌、正に大遠忌正当の聖辰である。去る三月十六日、宗祖法然上人の徳を讃え、昭和三十六年の和順大師以来、五十年目の今年、新たに大師号「法爾大師」が加諡宣下されたことが伝えられた。浄土の法門、吉水の流れに浴す我々一宗の徒にとって、この上ない慶事であることはいうまでもない。

 現今の御忌が営まれる縁由となった大永四年(一五二四)、後柏原帝の発した所謂『大永御忌鳳詔』には、

  われ聞く、流派をむ者ははるかにその源を尋ね、枝葉をいとしむ者はつとめてその根をつちかふと。(中略)遺教は海内かいだいひろがり、属刹ぞくせつは国中にあまねし。いやしくもその末流たる者、いずくんぞ本源を忘るべけん乎、今より後孟春の月に遇わば宜しく京幾の門葉を集会して、一七昼夜、法然上人の御忌を修せしむべし。

との文を拝覧することができる。

今日、毎年修される御忌大会は、この『大永御忌鳳詔』によって始まり、とされるが、さらに『鳳詔』の中に記される文の主旨に注目しなければならないだろう。それは「源を尋ね」、そして「根を培う」こと、すなわち、「尋源」と「培根」である。

 諸橋轍次氏の『大漢和辞典』には、尋源を「事の源をたづねる」、培根を「根本を土かひ養ふ」との意を記している。

(ⅱ)

 法然上人によって、承安五年(一一七五)開宗された、選択本願称名の念仏義は、時代や人が変わろうとも、絶対に変わらぬ普遍性を持った教えである。

 一方、時代や人は時々刻々と変化していく。当然人々の価値観も変わっていく。そのような中で根本的、基本的な教えを中心としながら、その実義をさらに明らかにするため、理論的に掘り下げ、あるいは拡大し、解釈し、実義へと導く、これを練磨の義と称している。尋源は実義の探求であり、培根は実義を練磨する姿勢と考えてもよいであろう。

 かつて、小西存祐師は、宗祖法然上人より直受した宗義念仏の教えを、そのまま掘り下げ保持する「祖述的」と、相伝の義をさらに自分で拡充し、時機相応につとめる、いわゆる「憲章的」両面に解した。

 この両面性は極めて大切なことである。百年前であろうが、五十年前であろうが、現代であろうが、まったく同じである。いみじくも五百年前に発せられた『大永御忌鳳詔』の中に、末代の門葉である我々のあるべき姿勢が示唆されているように思える。

(ⅲ)

かつて、滋賀県玉桂寺に安置され、今般、浄土宗に移られた阿弥陀仏像から一通の願文と、多量の結縁交名が発見された。そして、願文には師より受けた恩徳に報いんがため造立したと記している。発願主は常随の弟子源智であった。その結縁交名は、総計五万人におよぼうかと伝えられ、その中には源頼朝、後鳥羽上皇など貴顕の名も見出せる。その時代において五万人におよぶ結縁交名者の数、そして特定の階層だけでなく、貴顕から庶民に渡る多くの人々が、法然上人に心をよせ、敬慕していたか窺い知ることができるのである。

(ⅳ)

 法然上人は『没後起請文』に記されるごとく、没後の自分に対して追善供養を修すを禁制された。しかし門下にとって追慕の念は極めて強く、それぞれが、それぞれの仕方で追善供養を修していたことは想像にかたくない。

 同じく門下隆寛の作か、といわれる『知恩講私記』には法然上人の徳を五つ挙げている。法然上人入滅の後、比較的早い年月の間に追善供養を修し、その徳を讃歎していたが、それを書き残したものが『知恩講私記』ではないかと考えられる。さらに、やがて、この講式が知恩院の御忌にまで発展していく、とまでいわれているのである。

 この『知恩講私記』に記される、先師法然上人の五つの徳とは、

第一 諸宗通達の徳
第二 本願興行の徳
第三 専修正行の徳
第四 決定往生の徳
第五 滅後利物の徳

である。明治四十四年(一九一一)、法然上人七百回忌に、大師号明照大師が加諡宣下された折、出版された『宗教界』第七巻第四号には、浄土宗管長山下現有大僧正直筆の「円光大師十徳」の写真図版が掲載されている。この十徳は後世、宗祖の徳を讃え「十徳」として纏(まと)められ、今日まで宗祖を讃える項目の役を果たしている。

 その祖型ともいうべきが『知恩講私記』所説の「五徳」であり、その意義はきわめて大きいというべきではなかろうか。

 「五徳」中、第五讃、滅後利物の徳で、「先師上人浄土の宗義に就いて、凡夫直往の経路を示し、選択本願を顕して、念仏行者の亀鏡と為す」と記すがごとく、時空を超えて末代の凡夫に対して、選択本願称名念仏の教えを残してくださったお徳は、正に超世の徳と申して過言ではない。

 法然上人のご生涯は「化物を以て心と為し、利生を以て先と為す」であったという。

 八百年の節目を迎えた今日、あらためて宗祖法然上人のご生涯と、その教えを噛み締め、宗門人一丸となって自行そして化他に精進し邁進していかねばならないことを誓いたいものである。

※注記
①薮内彦瑞『知恩院史』六一〇頁に原文(漢文)がある。
②諸橋轍次『大漢和辞典』四巻、三七頁
③諸橋轍次『大漢和辞典』三巻、一九七頁
④服部英淳師『浄土教思想論』四四三頁
⑤小西存祐師『三上人の研究』八一頁参照
⑥京都国立博物館『法然生涯と美術』一二〇頁参照
⑦京都国立博物館『法然生涯と美術』二四〇頁参照
⑧京都国立博物館『法然生涯と美術』二四〇頁参照
⑨京都国立博物館『法然生涯と美術』二四〇頁参照
⑩『昭和新修法然上人全集』七八四頁参照
⑪『知恩講私記』については、伊藤唯眞師の「古法然伝の成立史的考察―特に『知恩講私記』を繞って―」(『法然上人伝の成立史的研究』)所収。阿川文正師の「知恩講私記と法然上人伝に関する諸問題」『大正大学研究紀要』五一号所収、等を参照願いたい。
⑫鈴木成元師「中世における浄土宗の展開」(『大正大学研究紀要』五〇号、一三頁)
⑬法然上人十徳に関しては『法然上人芳躅集』(明治四十二年、紀念出版会刊)、『法然上人十徳頌』小橋麟瑞師(昭和十年刊)等論述がある。十徳とは、一.智慧深広の徳、二.現証奇瑞の徳、三.三朝帝師の徳、四.高僧帰依の徳、五.教化廣多の徳、六.持操堅固の徳、七.慈悲宏大の徳、八.勅修行状の徳、九.徽号崇忌の徳、十.本地高妙の徳。(『法然上人芳躅集』参照)
⑭『法伝全』一〇三七頁、原漢文
⑮『教諭』