第3章◎ 社会的現代的背景とのかかわり
  「死生を超えて」と布教教化

 
 
布教委員会委員 藤井 正雄

「死生を超える」とは

 現代の変化には目覚ましいものがある。なかでも医学の急激的で、しかも異常な進歩によって一連の生命操作が日常化されるに伴い、身体がモノと化し、パーツ化され、これまで宗教が説いてきた「生死一如」、「いのちの尊厳さ」の意味にも変化をもたらすこととなった。つまり「生死」、「いのち」そのものの存在が見えなくなってきたということになると思う。仏教には次のような説話が伝えられている。

  ひとりの人が旅をして、ある夜、ただひとりでさびしい空き屋に宿をとった。すると真夜中になって、一匹の鬼が人の死骸をかついで入ってき、後からもう一匹の鬼が追ってきて、その所有をめぐって激しい争いが起こった。証人として引っ張り出された男は、決心して正直に自分の見ていたとおりを話した。案の定、一方の鬼は、大いに怒ってその男の手をもぎ取った。これを見た前の鬼は、すぐ死骸の手を取ってきて補った。前の鬼は、後の鬼が抜き取った男の手、足、胴、頭をみな補ってしまった。こうして二匹の鬼は争いをやめ、あたりに散らばった手足を食べて満腹し、口をぬぐって立ち去った。男はさびしい小屋で恐ろしい目にあい、親からもらった手も足も胴も頭も、鬼に食べられ、いまや自分の手も足も胴も頭も、見も知らぬ死体のものである。一体、自分は自分なのか自分ではないのか、まったくわからなくなった男は、夜明けに気が狂って空き屋を立ち去ったが、途中で見つけた寺に入って、昨夜の恐ろしいできごとをすべて話し、教えを請うたのである。人びとは、この話の中に、無我の理(ことわり)を感得し、まことに尊い感じを得た。
  (仏教伝道協会『仏教聖典』一九七九年五月一日〈二十三版〉一五〇─一五二)

 以上の話は『仏教聖典』に記載されている仏教説話の概要で、この説話が端的に示しているのは、この世界のあらゆる存在や現象には実体がないという「無我」なるが故にとらわれてはならないというのである。しかし、見方を変えて言うと、身体の各部分にとらわれてしまうと、「生死」の意味は無論のこと、「いのち」の所在が何処にあるのか分からなくなり、自己のアイデンティティを喪失してしまっている今日、現代日本がおかれている状況をもっともよく伝えている説話でもあると思う。まさに、我が国にあっては、宗教意識の衰退とあいまって、科学絶対主義による死生観が伝統的な死生観を圧迫している状況が目に見えるようである。

 一般には「死生」というが、仏教では「生死」という。以下の論考は、生死として論ずることにする。また、同様に「いのち」の表記に「生命」ないし「命」という表記が用いられることがある。各々意味が異なるのであろうか? 一般に「生命」・「命」は生物学的ないし医学的な意味で用いられ、仮名表記の「いのち」は祖先祭祀に見いだされる伝統的な生命観の場合に用いられることが多い。言うならば、「生命」は生まれてから死ぬまでの間と直線的に理解されるのに対し、仮名表記「いのち」は誕生と死は現象的によく似ているものと理解され、死は祖先として生まれ変わる閾域(しきいき)と理解されて、この世における生は個を超えて開かれ、連続的に伝統的に考える円環的・循環的生命観と考えていい。前者が西欧的であるとするならば、後者は東洋的であり、冒頭に掲げた仏教の説話が分からなくなっていることを言い換えて、西欧的思考論理が東洋的思考論理を圧迫しているところに現代的な特徴が見出されると論じたことは、すでに述べたとおりである。

 この「いのち」の問題は「生死」の問題と結び付けて考えると、仏教では教義上から言って仮の存在体である身体そのものに重きを置かないという身体観があることと、それを人生の根本問題である生き死にの問題と絡ませると、「生死一如」 「身心一如」 が仏教の死に対する根本的立場として説かれることになる。 生と死とは分離して考えられるものではなく、死を離れた生がないように、生を離れた死もないのである。人間は寿命の長短や肉体の大小の限界をもって生まれ変わり死に変わりして輪廻する存在であるから、仏教では「分段生死」、単に「分段」と言っている。最近問題になっている脳死問題について一言触れると、脳死は脳の部分死ではあるが、不可逆的に他の臓器の部分死に波及して最終的には全体死に至るとする考えであって、生の領域に死が侵入するという、 まさに生と死を分離してみる考えで、生死一如の仏教とは乖離した見方になると言える。

 曹洞宗の宗祖である道元禅師は『正法眼蔵』の 「生死」 のなかで、 「この生死はすなわち仏の御いのちなり。これをいとい捨てんとすれば、すなわち仏の御いのちを失わんとするなり」と述べている。時宗の宗祖一遍も同じように、時宗の念仏とは、まさに 「南無阿弥陀仏と一度正直に帰命せし一念の後は、我も我にあらず、故に心も阿弥陀仏の御心、身の振舞も阿弥陀仏の御振舞、ことばもあみだ仏の御言なれば、生たる命も阿弥陀仏の御命なり」 と『一遍上人語録』巻上で語っている。臓器はいのちの一部であって身体の一部ではないとする一元論の立場からは、臓器移植否定ないし拒絶へと導かれることになるわけである。道元はまた、同じく『正法眼蔵』の 「現成公案」 のなかで 「生も一時の位なり、死も一時の位なり」 と述べている。薪が燃え尽きれば灰になる。したがって、 薪が先(生)で灰が後(死)と考えがちであるが、薪も灰も一時の位であって、それぞれの役目を果たしている。まさに生死を超える道は、今を離れてはないというのである。

 禅でいう身心脱落、放下の境地はすべてのとらわれを離れた境地で、浄土教で言う自己のあらゆるはからいを捨てた「自然法爾」の境地と共通する。このような境地、すなわち「仏の御いのち」 といい、「我も我にあらず、阿弥陀仏の御心……」 という境地は、大いなる生命への帰入であり、小智しい凡夫のはからいをかなぐり捨てた境地なのである。標題となっているのはこのことで、超えるとは英語でいうbeyondである。意訳して言えば、「超える」とは意識して考えないことを意味すると言ってもいい。